ただの願望

容姿が良い人を見て羨ましい気持ちになります。
この時代、TVをつけると、SNSをしていると毎日
容姿が良い人を見ます。
そのたび、素敵!の中にやっぱりいいなぁという気持ちはどうしても湧いてくるもので、、、 
それが距離の近い友達や、知り合いなら尚更。
容姿が「良い」の基準も人それぞれなのでなんとも言えない部分もありますが。
私は容姿が良いに超したことはないと思っているのです。

本当に私の主観ですが。
今まで生きてきて、容姿が良いほうが得をする、とよく感じています。毎日感じます。
多くの人が化粧をしたり、色々なファッションに挑戦したり少しでも良く見られたいと見た目に気を使うのはそれが意識せずとも、分かってしまっているからなのか。
誰だって可愛くなりたい、イケメンになりたいって思うんじゃないんですか、生きてて1回くらい。思わない人もいるか。

音楽だって芸術だって容姿なんてどうだっていい。
美人が歌う歌より、美声が歌う歌。それよりも、想いがつまった爆発的な歌を歌う人の方が何倍も良い。と思ってしまう部分もあるので音楽に関して(音楽に限らず、芸術や技術)は容姿が良い方が評価を得られるとは思いません。だから音楽好きなのもあります。素直に良いと感じるもの。
だけどやっぱり容姿が良くてギターが弾けて歌が上手いもんならこれに叶うものはないくらいには思いますね。顔がいいやつは音楽をやるな という曲があるくらいですから。嗚呼、容姿なんか気にならないくらいギター上手くなりたい。

なんでこんなに美が溢れている時代に産まれたのか、鏡を見て自分が情けなく嫌に感じることもある。色々綺麗になれるように試しても、あの子になることは絶対叶わなくて。こうなるともうあの子にはない良さが自分にはあるんだ!と逃げてしまいます。でも実際そうで、自分にしかない美は必ずしも全てのものにあるので、そこを、大切にしたいですね。
見た目も「表現」のうちの1つではあると思うので自分を最大に良く魅せる追求は歳をとっても常に続けていたいです。
せめて自分のことは自分が一番好きでいてあげたい。
自分を好きってすごく良いことだ。
結局は自分のためなんですね。

見た目がすべてとは思いません。が、見た目も大切だとは思っています。そう思わせてくるこの人間界がすごく嫌です。この容姿が良いの「良い」の基準が自分にあることすら嫌です。中身や人間性もかなり大切ですけどね。まず人生を割合で決めている時点で気持ちが悪いですね。本当。難しいです。ほんと嫌になってきます。んー、別に見た目そんなに重要じゃないか。いや重要だな。を繰り返してる

あ、これを書いてる時間たぶんもったいないな。
たらたらと書きましたが、これは単純に可愛くなりたいだけです。

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