日報:6(2021/5/8)

・今日は本当にな~んもなかった。14時半に起き、スーパーで水ようかんと饅頭とフライドポテトを買って、競馬を見ながらコーラで流し込んでいた。そうしたらいつの間にか19時になっていて、ニュースを見ながら今日の分の日記を書いている。これでも女子大生だ。文句あるか。JKとかJDとか「女子」ってつくとなぜか花も恥じらう~とかいうふうに、妙に神聖なものとして取り扱われる風潮があるが、こんなもので恥じらうのなら花にはもっと自信を持ってほしい。きれいな水と暖かい光と優しい言葉で育った花が砂糖にまみれたコーラと油でギトギトなポテトと粗雑な言葉を吸収したニンゲン(メス)に劣るはずがない。お前はオンリーワンである以前にナンバーワンだ。堂々と花屋だろうが野っ原だろうが好きなところで咲き誇ってほしい。
・というかJK・JDは言い換えると「年若い女の子」ってところに集約できると思うのだけど、どちらかと言うと「女の子」と言うより「年若い」のところに重きが置かれているような気がする。若さは美しさという言説は間違いではないと思うけど、その美しさは最初から消費されるためだけのような印象を受けるので個人的にはそこまで好きではない。それをもう手に入れられない人たちが、未だそれを持ち合わせる者たちに自らの理想やありえたかもしれない過去等を見出して持ち上げているだけなのではなかろうかと勘繰ってしまう。

・出だしで競馬とポテトとコーラの組み合わせノットイコール女子大生という旨のことを自分で言ったがそれもそれで嫌だな。

・こういう好き嫌いって感情の領域にあるから理性の世界の言語で説明するのってとても難しい。考えていることと口に出せること/文字にできることって必ずしも同じ量じゃない。頭の中ではもっと情報があるはずなのに言葉に下ろしてきた途端霧消するので困る。蜃気楼のようなアイデアばかりだ。前に所属していたサークルでよく議論をする機会があったのだが、みんなよくそんなに流暢に言葉を喋れるなという感じだった。分からないことも分からないなりにそう伝えていてなぜそれができる?と思っていた。議論だから特に私にとっては難しく感じていた。

・頭のいいことを言おうとしてよりバカを晒している気がする。誰か私を叱ってくれ。お前はダメだと一言言われる方が逆に自分らしく動ける気がしている。期待されてないと思われていると思える(ややこしい)方が人の目を意識せずに動けるので自由に動けることは往々にしてある気がしている。

・今日はこれ以上ロクな事書けない。これもロクなことなのかは分からないが。義務としての日報。

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