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流行り病と武蔵村山

武蔵村山市

武蔵村山市は東京都多摩地区のうち、北多摩地区にあります。

出典:武蔵村山商工会

指田日記 (市指定文化財)


出典:「注釈 指田日記」下巻

江戸時代、現在の武蔵村山市域には3つの村がありました。
そのうちの中藤村に住んでいた指田藤詮が天保5年(1834)から明治4年(1871)まで書きつづった日記が『指田日記』です。
藤詮は農家出身ですが、原山神明宮の神職を務め、占いや祈祷を行う陰陽師としても活躍していました。

陰陽師って、農村に普通にいたんですね。

日記には、陰陽道や神職としての仕事だけでなく、村で起きた事件・年中行事・冠婚葬祭・自然災害などにも言及しています。

どうやら陰陽師って、心身ともに病の相談を受けるカウンセラーのようなものだったらしい。

さて。
安政3年にこのような記述があります。

八月二十八日
村方七月中より痢病多く死去多き故、村方談しの上、痢病の邪気送り致したきを申すにより、常宝院両人にて疫病送りの如く、村中予が宅に寄り集まり、異形の出立、人々思い思いのことを致し、丸山台に送る。

出典:「注釈 指田日記」下巻

邪気送り」は聞いたことがあります。
ウィルス発見以前は、流行り病(感染症)は神様の仕業だと思われていたので、村から追い出す儀式をするのですね。

」は日記の筆者です。

常宝院」は修験者です(修験者については後述)

異形の出立(いでたち)」とは何でしょう?
ハロウィンのように帽子やマントを被ったり、メイクをしたり、血糊をつけたり、したのでしょうか。
なまはげのように怖い格好をしていたのでしょうか。

『流行り病と武蔵村山』という武蔵村山市歴史民俗資料館が発行している冊子には「「異形の出立」については不明」と書かれており、専門家がわからないのですから、私が調べても無駄でしょう。
とは思いますが。
知りたくてうずうず。

もし情報をお持ちの方がいらしたら、ぜひ教えて下さい。


「丸山台」
は、現在の桜街道沿いにあったとされ、東大和市と武蔵村山市の境かと思われます。
「疾病送り」「邪気送り」は、村境まで行って邪気を追い出す儀式ですので、武蔵村山市域から東大和市域に送った、ということ?

あのー、迷惑じゃない?
送られた東大和市域側としては。

自分の家のゴミを隣の庭に捨てるようなものじゃない?
倫理観とかそういうのは…。


その1ヶ月後に、次のような記述があります。

丸山台に送るところに、原山の弥次郎と申す者、馬を引き、邪気送りの輿のところに至るとき、かたわらに馬を引き込みけるに、輿の中へ入りける故、そのとき自分の心臆し、身の毛よだつように思われけるところ、途中より発熱し、その夜、痢病となり家内に帰り、薬用いたしける内、近所二人の小児痢病につけい、またまた頼みにより常宝院、両人にて組合の者計りにて丸山台に送る。

出典:「注釈 指田日記」下巻


意訳しますと、先月「邪気送り」をしたとき、すれ違った原山の弥次郎さんが、すれちがいざまに悪寒がしたかと思ったら、あっという間に発熱し、夜には下痢になりました。近所のこども2人にもうつってしまいました。
それでまたわたしたちが頼まれて、「邪気送り」をしましたよ。

ということですね。

すれちがっただけで悪寒がした、と。
なんて強力な疫病神なんでしょう。


ところで「予」は筆者のことであり、陰陽師ですから、医療に携わるのはわかるのですが、修験者もそういう役割を果たしていたのでしょか。
山で厳しい修行をすると、超自然な力、つまり魔力や仙術を得たらしいので、そういう術を使ったのでしょうか。

調べてみると、必ずしも術を使っていたわけではないようです。
中世から、修験者による、造薬・売薬活動が行われており、民間薬の普及に一役買ったとか。

有名なところでは、大和の「陀羅尼助」。
今から1300年前、役小角が配合し、山伏たちによって効力が全国に知れ渡り、庶民の常備薬になったそうです。

だらすけは 腹よりまず 顔にきき

出典:だらにすけの吉野勝造webサイト

という川柳があるそうで、「陀羅尼助」は苦い薬だったのですね。

他に、伊勢の「萬金丹」、越中富山の「反魂丹」、越後の「毒消し」、目薬の元祖を言われる「真島流」など、修験者が売り歩いていたそうです。

修験者や宗教者は、医薬品とともに、医療書や医薬書を携え、術的な療法もありましたが、正統的医学書だったそうです。

一方で、贋薬が多く出回っていたのも事実で、幕府は江戸、駿府、京、大坂、堺の5都市に「和薬改会所(わやくあらためかいしょ)」を設立しました。
検査に合格しないと売ってはいけない体制は、ここから始まったのでしょうか。

カバー写真:『流行り病と武蔵村山』 

<参考資料>

『流行り病と武蔵村山』 武蔵村山市立歴史民俗資料館 令和4年(2022)

『武蔵村山市文化財資料集26 「注釈 指田日記」下巻』
武蔵村山教育委員会 平成18年(2006)

畑中章宏『医療民学序説』 春秋社 2021年

だらにすけの吉野勝造webサイト
https://darasuke.com/?yclid=YSS.EAIaIQobChMI_IfJze29hAMVt9pMAh2IqwCCEAAYASAAEgJId_D_BwE

医薬品卸資料館 エンサイス株式会社webサイト
https://www.encise.co.jp/about/history/

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