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『復刻 開館記念展ー仙厓・古唐津・中国陶磁・オリエント」

会場:出光美術館
住所:東京都千代田区丸の内3-1-1 帝劇ビル9階
アクセス:有楽町駅・日比谷駅より徒歩3分
訪問日:2024年5月6日

出光美術館は年末でいったん閉鎖されます。
帝劇ビル(出光美術館と東宝が所有)が建替えになるのだとか…寂しい。
帝劇ビル、頑丈そうですが来年で築60年なんですね。
かつて丸の内にはビルが競うように建築されましたが、皇居より高い建物を作ってはいけないと100尺(31m)に規制されていました。
戦後、規制が解かれたものの、昭和41年、高さ99メートルの東京海上日動ビルディングが建設された折には、「皇居前の景観を破壊する」と「美観騒動」が勃発し、100メートル以下が不文律に。
2000年代になってから近代ビルが林立したので、かつての高層ビルはどちらかというと平べったい印象になってしまいましたね。

出典:Wikipedia


そんなわけで、「出光美術館」休館にともなう開館記念展。
過去の展覧会を振り返る、その最初が仙厓さんって、うきうきしちゃいます。
あ、仙厓さんは江戸時代臨済宗の高僧ですが、親しまれるがゆえに「さん」づけで呼ばれがち。

館内は撮影禁止なので、出光美術館HP「コレクション」から写真を拝借します。

まずはリーフレットにもなっている、こちら。
出光佐三氏(出光興産の創業者)のコレクション第一号だったそうです。
ちなみに出光佐三氏は百田尚樹著『海賊とよばれた男』のモデル。


仙厓さん

『指月布袋画賛』 紙本墨画・墨書 54.1✕60.4センチ

出典:出光美術館「コレクション」
https://idemitsu-museum.or.jp/collection/

お尻ふりふり、もう、最高にハッピー♪
という感じの絵ですが、禅の根本である「指月布袋」の図。
んー、なんのことかわかりません。
布袋さんが指しているのは、空の月。
ところがこどもが見ているのは、布袋さんの指。

出光美術館HP「コレクション」を加工しました。

これ、実際、子育て中によくあることです。「ほらあれ見て」と指さすと、こどもは指を見ちゃうんです。
禅で「月」は「自己本来の姿」を表し、指は「道しるべ」すなわち「経典」を意味するそうです。
経典を理解しただけで真理を理解した気になってはいけないよ、という警告が込められているのでしょう。

人の指を以て月を示すに、惑者は指を視て月を視ざるが如し(大智度論)

というのは、解釈の一例です。
賛文の「を月様幾ツ、十三七ツ」は当時誰でも知っていた子守唄なのだそう。
子守唄をうたいながら、子どもと一緒に月を見ている、微笑ましい絵だ、という捉え方もありますし、手が届かない月に手を伸ばすように、ひたすら修行しましょうと説いたものだ、という解釈もありました。


『○△□』紙本墨画・墨書 28.4✕48.1センチ

出典:出光美術館HP「コレクション」

仙厓さんの作品の中でもっとも有名にしてもっとも難解。
他の絵には賛文がついているのに、これにはそれさえなく、何を描きたかったのかは、想像するしかないようです。
左端に「扶桑最初禅窟」と書かれているのは、賛文ではなく「日本最古の禅寺」という意味。すなわち仙厓さんが住職を務めた博多の聖福寺のことです。

聖福寺は源頼朝の援助で栄西(1141-1215)が創建。仙厓さんは40歳で第123世住職となりました。

□△○と書かれていますが、みなさん、どちらから読みますか?
題は『○△□』です。サインが左端にあるため、右が先頭だろうと考えられているとのことです。墨の濃さも○△□の順に薄れていますから、○が一番最初に書かれたのでしょう。
しかしそれぞれの重なり具合(墨のにじみ具合)を見ると、□△○の順序ににじんでいて、墨を濃くしながら書かれた、という説も捨て切れません。
はたしてどちら?

ちなみに、建仁寺の庭園に「○△□乃庭」という有名な庭園がありますね。

単純な三つの図形は宇宙の根源的形態を示し、禅宗の四大思想(地水火風)を、地(□)水(○)火(△)で象徴したものとも言われる。

出典:建仁寺HP
https://www.kenninji.jp/around/#guide



『堪忍柳画賛』紙本墨画・墨書 47.0✕59.7センチ

出典:出光美術館HP「コレクション」

どんな風にも耐えている柳の木。
賛は「気に入らぬ 風も有ろうに 柳かな」です。



『座禅蛙画賛』紙本墨画・墨書 40.3✕53.8センチ

出典:出光美術館HP「コレクション」

賛文は「座禅して人か佛になるならハ」
座禅さえすれば人が仏になるなら、蛙だって仏になるでしょう。
形式的に座禅しているだけじゃだめですよ、という叱咤かしら。
にやけた蛙の顔がいいですねー。


中国陶磁


『青磁下蕪瓶」中国 南宋時代 12~13世紀 高さ23.1センチ

出典:出光美術館HP「コレクション」


下のほうがふっくらした瓶を、日本では下蕪瓶と呼んでいます。
うん、蕪(かぶ)みたい。
表面には全体に貫入(ひびわれ)が走っています。

拡大写真


茶道具


『絵唐津丸十文茶碗』 桃山時代 口径14.3センチ

出典:出光美術館HP「コレクション」


「丸十」は、丸の中に十があることから、出光佐三が呼称し、鍾愛していたそうです。
やや歪んだ口縁、釉薬が塗られずに素地が見えている高台。
縁はあとからの金継ぎかしら?


日本陶磁


『絵唐津柿文三耳壺』 桃山時代 高さ17センチ

出典:出光美術館HP「コレクション」


朽葉色というらしいです、なんてシックできれいなんでしょう。
樹木は鉄絵という技法で描かれています。酸化鉄で描くと、鉄分含有量と火加減によって、黒っぽい色から赤っぽい色まで、色が変化するんですって。
肩につけられた耳は3つ、しかし不安定さがないのは、ふっくらしたした胴体が安定感を醸し出しているせいでしょう。



今回は着物生活普及活動はありません。
というのも、この日は銀座で親戚が集うお食事会があっため、洋服で行ったのです。
嫁は働かないとね。

最後までお読み頂きありがとうございました。



<参考資料>
出光美術館HP
https://idemitsu-museum.or.jp/

ZENzien Association  一般社団法人 禅人 公式サイト
https://zenzine.jp/read/columns/747/

『町のかたち村のかたち』「丸の内 今は昔の美観騒動」2014年
https://machinokatachi.main.jp/13/13_marunouchi.html

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