慶性院
4月8日はお釈迦様のお誕生日。
慶性院でも「花まつり」を開催中でした。
そもそも仏教徒ではない私、「花まつり」は初体験です。
住職さんの奥様が気さくに迎えてくださったので、
「初めてなのでやり方を教えて下さい」と言うと、お手本を見せて下さいました。
灌仏桶には甘茶が入れてあり、柄杓ですくって、何回か頭からかけます。
お願い事をするのではなく、おめでとうございます、とお祝いしながら。
終わると、紙コップで甘茶をふるまってくださいました。
ほんのり甘くて美味しい。
「砂糖の甘さじゃなくて、漢方っぽいちょっと癖のある甘さなの。飲めるかしら」と心配してくださいましたが、特に癖は感じなかったです。
こちらが本堂です。
民家のように素朴で、荘厳な感じはしません。
住職さんの奥様のお人柄のようです。
本堂の中には、御本尊の不動明王座像(40センチ)がいらっしゃいます。
400年に1度しか、お目にかかれない秘仏です。
その不動明王のお腹の中に、更に小さいな立像があり、もともとはそちらが御本尊だったそうです。
明和2年(1765)に、今の不動明王を作って、胎内に収めました。
たまたまその400年に一度が、平成にあり、奥様は拝まれたそうです。
「わりと小さくて可愛いの」というご感想でした。
慶性院とは
正式名を「白部山医王寺慶性院」といいます。
白部山は、地主神として、白山大権現をお祀りしていることを意味しています。
医王寺は、薬師如来の異称「医王」に由来。
慶性院は、慶性=慶長(国の繁栄、民の長寿)の意味です。
奈良の「長谷寺」を総本山とする真言宗豊山派に属しています。
歴史
現在の多摩湖(村山貯水池)に沈んだ、かつての「石川の里」に建立されていました。
大正13年(1924)東京市により多摩湖建設用地として買収され、現在の場所に移転。
移転当時、周辺は見渡す限りの畑でした。
もし石川の里が現在もあるとすれば、このへん。
江戸時代の記録としては、『新編武蔵風土記稿』と『武蔵名勝図会』に、見ることができます。
『新編武藏風土記稿』
『武蔵名勝図絵』
境内
<水天像>
右 水天像 江戸時代末期
左 庚申塔 享保7年(1722)
中 弁財天 寛延2年(1749)
いずれも村山貯水池に沈んだ石川の里から移転しました。
水天像(東大和市文化財)を拡大します。
水天は、世界を守護する十二天のひとつで、水の守護神です。
帝釈天とか梵天とか「天」がつく仲間。
十二天は、ざっくり言うと方向の神様で、水天は西です。
水難除けや雨乞いを祈願するため、池や川のほとりに建てられます。
水天像は全国的に例が少なく、都内に存在する三基のうちの一基であることから、昭和58年(1983)に東大和市より市重宝に指定されました。
<奥の院 薬師堂>
御本尊の薬師如来さまは、毎月8の日にご開帳。
「靴を脱いで、中まで入っていいですよ」と奥様。
像高50センチくらい(一尺六寸)の薬師如来立像(木造)の両脇に、日光・月光菩薩が安置されています。
薬師如来像は「善名称吉祥王如来」といい、薬師如来の中でも一番庶民に近いお方なのだとか。
病気の中でも特に目の病気を治す力がおありだそうです。
作者や年号の記録はありません。
作風から安土桃山時代の作と思われ、開基の頃に造られたと推測されます。
手前に、わりと子どもっぽい顔と体型の、十二神将が一列に祀られています。
像高15センチ〜20センチくらいでしょうか。
室町時代から江戸時代初期の作成と推定されています。
<大日如来像> 石仏
あれ? 手の形が違和感。
金剛界大日如来の石仏。
全国の大日如来の1%しか存在しないといわれる逆智拳印を結んだお姿をしています。
「私、恋しちゃったの」と言っているような初々しいお像ですね。
帰り際にご挨拶すると、奥様からお土産を頂きました。
桜の形のクッキーと、桜もようのスポンジでした。
後ろにあるグリーンは、にんじんの葉っぱです。
noter「絵本の虫」さんが教えてくださったリボベジを実践中。
リボーンベジタブル(reborn vegetable)の略で、野菜の葉っぱや芯を水につけて育てています。
<参考資料>
「真言宗豊山派白部山慶性院」公式webサイト
https://www.keisyouin.com/
「東大和の歴史」公式webサイト
https://higashiyamato.net/higashiyamatonorekishi/2245