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【不便だけど、不幸じゃない。】ミクちゃんが教えてくれたこと。

不便だけど、不幸じゃない。

コレは名言中の名言。
私の心の中を、ミクちゃんが文字に変換してくれました。

勝手に偏見と睨めっこしてた私。
いまだに周りを気にしてしまうこともありますが、人間なんてそんな強くないよね、と自分を慰めてます。人間らしいよ!

偏見睨めっこ、真っ最中の頃

周囲の視線や、理解のない社会に“怒り”を感じていました。(今思えば、怒れるほど元気になってたんだね。)

その怒りをミクちゃんに愚痴っていると、

真顔で
「不便だけど、不幸じゃないでしょ。」と言われました。

私も真顔で、
「はい、幸せです。」と答えました。

そうか、この怒りは無駄なんだ。
私達のことを知りもしない通りすがりの人のコトなんて気にしても意味がない。

それより、
親切にしてくれる人のことを大事にして、自分たちが幸せになれることに時間を費やそう。

そして、愚痴を言うなら、
「困っていること」「助けて欲しいこと」
を意見や要望として、ちゃんと伝えよう。

せっかく読んで下さる皆さんへも…

【車椅子ユーザーにとって】

・エレベーターのボタンを押してくれる
・ドアの開閉を手伝ってくれる
・狭い道を譲ってくれる
・車椅子が通れる幅の改札を譲ってくれる


※子ども用車椅子は、ベビーカーに見えるかもしれませんが、10kg以上ある車椅子です。わかりにくいかもしれませんが、車椅子マークやヘルプマークが付いていることが多いです。

このようなご配慮、とてもとても助かります。
堅苦しくなるので、この辺で(。・ω・。)
車椅子についてもいつか書こうかな。

何事も吹っ切れると

どんな視線に対しても、
「可哀想じゃありません、私たち幸せなんです。失礼します。」
と、颯爽とその場を立ち去ることができます。

さらに悟りをひらくと
「あー今日も見られてんな。今まで車椅子見たことないんだろうな。
何もしなくても存在自体が目立ちますからね」と開き直ってます。

そのうち、楽し過ぎて周りに人がいることすら忘れます(。・ω・。)

人間慣れると、不便は不便でなくなり、
生きづらさは、自分の考え方一つでどっかへ吹っ飛んでいきます。

最近、思うことは

自分が見えてくると周りが見えてくる、想像力が働く。

偏見や同情だと思っていた視線の中に、暖かい目線もあったのかな?

娘と同じ車椅子を見つけると、嬉しい気持ちでジロジロ見てしまいます。

あーゆう生地使ってるんだー!
へー、あそこにカバンかけてるんだ!
ふむふむ、アレは便利そうだな。
今日はどこ行くのかな?
自走できるんだ、凄い!
がんばれ!

とか…
まるで親戚のおばちゃんのようにジロジロ見てしまいます。本当は話し掛けたい気持ちでいっぱいです。

私たちを見ていた視線の中にも、こうゆう優しい視線があったのかな?と今では思えるようになりました。
(自分のおばちゃん視線は優しさだと思ってます(°_°))

立場変わると、見え方変わりますね。

そして、気にかけていること

実際、偏見だと感じた経験もあるので、今はジロジロ見ないように気をつけてます。

車椅子を見かけると、
今日も楽しそう!
がんばれ!
とエールを遠くから送っています。

話しかけられる環境の場合は、自分から話しかけるようにしています。
同じ療育センターやリハビリを利用していても、他の利用者、保護者の方と話すことは、あまりありません。

同じ悩みを抱えている人が隣にいるのに、案外孤独なんです。

私もそうでした。
支援者だけではなく、同じ境遇のママと話したかった。

今は、自分からその一歩を踏み出すように心がけています。

現在、我が家はお友達がたくさんいます。孤独ではありません。

最後にいつも思うこと

不便でもいい、幸せであれ

最後はいつもここに到着します。


当たり前に学校へ行く、
当たり前にランドセルを背負う、
当たり前に就職する、
当たり前に成人式に行く、

そんな誰かが決めた当たり前は求めていません。

娘にとっての幸せが必ずあります。
それを一緒に考えられたらいいなぁ。
私だけでなく、いろんな人にも助けていただきながら。

そんな母
こんな思いを
文字に変換して、noteに執筆中。
_φ(・_・

カキカキ

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