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なぜ私が生きづらさから抜け出せたのか

あなたは「波動同調の法則」と聞くと何を連想しますか?

あの人とは気が合う、一緒にいると落ち着く、何故かピンときた、この場所なんだか居心地が良くない等、感覚的で捉えどころのないどこかスピリチュアル的なものと感じる方が多いのではないでしょうか

確かに私にとっても「波動同調の法則」とは、そんな曖昧なものとしての認識しかありませんでした

けれどここ最近、波動医学を知ったことによって、その認識は新たなものになりました

それは「波動同調の法則」が科学であり、説明可能なものだということにです


この世を形作っているあらゆるものは振動しています

振動することで、それ固有の波動(エネルギー)を有します

それは、人体ばかりでなく宇宙、人の意識に至る全てにおいてです

そして、バラバラだった2つの時計の振り子がいつしか動きを揃えていくように、その波動は同じ周波数を持つものと同調し、足並みを揃えていく又は影響を与え合うようになるのです


太陽は基本的に528hzで振動しています

この528hzは、別名愛の周波数とも言われるソルフェジオ周波数です

そして、この周波数を含む音楽を聴くと、人は副交感神経を刺激され、唾液の分泌が高まり、心拍や血圧が安定することが知られています

睡眠の浅い人は、運動不足の他に太陽光を浴びていないことが原因とされるのは、この周波数と無関係ではないかもしれません(私の勝手な解釈です)

そしてこれら波動の共振が、ヒトとヒトの間でも起き、そこに何らかの現象を引き起こしていることは容易に想像がつきます


生きづらかった子供時代

子供時代の私は、何故かクラスに馴染めず、いつも疎外感を感じていました

仲良しの友達もいたし、誰かにいじめられたという訳でもありませんでしたが、不思議とクラスの雰囲気に溶け込むことが出来ませんでした

それがどうしてだったのか、その頃は分かりませんでした

けれど今改めて共振ということを念頭に考えてみると、もしかしたらこういう事だったのかな?と思い当たるフシがありましたので、単なる思い込みかもしれませんが書いてみたいと思います


実は私には子供の頃から変わった癖がありました

それは頭の中で物語を想像して楽しむ、いわゆる妄想癖です

一人でいる時ばかりでなく、大勢の中にあっても年がら年中、現実にはない想像の世界を楽しんでいました

そして小学生の頃は、そんな想像に浸る行為は誰でもするものだと思っていましたので、一緒に帰宅していた友達にはよく「今日は想像して帰ろう!」という無体な提案をしていました

小学生が何も会話することなくただ黙って帰るのですから、その友達はさぞやつまらなかったことでしょう

そんな風に、私は目の前の世界ではない、現実とは別の世界に生きる時間を頭の中に持っていたんです

いつも夢うつつ、そんな別世界に生きる私から発せられる周波数は、もしかしたらかなり特異なものだったかもしれません

よく人に対して「何だか空気が違う」と言いますが、それって周波数が違うってことなんじゃないでしょうかね

因みに「空気が違う」は、実際私が言われたフレーズです

そして想像の世界にいる時、私自身は外界をシャットアウトした状態ですから、そこで現実世界に生きるクラスメイトたちと共振現象を起こすのは難しかったのかもしれません


さてその妄想癖ですが、その後年齢を重ねると共に徐々に私の中から消えていきました

消えた、というより妄想癖は形を変え、今度は思考癖へと変わっていきました

思考するというと何だか高尚な感じですが、その殆どは自分や他人又は起きた出来事に対するジャッジでした

良い悪い、上手い下手、美味しい不味い、素敵ダサい、正しい正しくない、とその頃はのべつ幕なし評価しまくっていました

特に自分に対するジャッジは手厳しくて、そのため自分に自信が持てない時期が長いことありました

自分に自信が持てないせいか、ちょっとしたことで直ぐに緊張してしまうようもになりました

そして、過度に緊張することによって物事はうまく運ばなくなり・・という悪循環に陥っていました

私は、自分自身へのジャッジを繰り返す度、自尊心を傷つけていたことに、長い間全く気がついていなかったんです

また妄想癖がなくなったと言っても、終始頭の中は思考で一杯、言ってみたら脳内引きこもり状態だったので、他人と共振するどころではありませんでした


思考を黙らせる

思考を自分自身だと思うなとは、「超シンプルな悟り方」の著者、エックハルト・トールの言葉です

本の中では、思考することによって生まれるニセの自分のことをエゴと言っています

エゴは全ての物事や人、自分自身をジャッジし、その本人を追い詰めていきます

そしてこのエゴは、考えることでのみ存在できるので、思考をなかなか手放そうとはしません

けれど、この思考を手放さない限り、私たちは本当の自分と繋がることができないのだそうです

本には、思考を黙らせるテクニックも載っていました

一つは、思考の声に出来るだけ耳を傾け見張ること

もう一つは、今おこなっている行為に集中し、そこから得られる感覚全てを味わい尽くし思考の入る余地をなくすことです

よく人に対してオープンと言いますが、あれは自分の思考を手放すことで、目の前の人に先入観を持たない(ジャッジのない)状態で向き合うということ

そしてその相手の波動を感じ、いつでも共振できる無垢な状態でいることを言うのではないでしょうか

その事に気づかされてから、私は自分の思考を注意深く見守るようになりました

そして出来るだけ自分や他人、または起こった出来事に対してネガティブなジャッジをしないよう心がけました

さらに、出来るだけ中今の状態でいるようにも心がけました

中今の状態とは、今目の前で起きている出来事に集中し、その感覚の中で生きる事です

そんなアプローチをしているうちに、心の声(思考)は、だんだんその声をひそめていくようになりました

と同時に、私の耳には外界のあらゆる音が届くようになってきました

その音は、時に美しい鳥達のさえずりであったり、想いのこもった人の声であったり、闇を震わす虫の音であったり、家々から聞こえる生活音だったりしました

それまでこれらの音を私は聞いているようで聞いていなかったことに気がついたんです

そして、あらゆる音が私の耳に届くと共に、あらゆるものと繋がっている自分を感じることもできるようになりました

というより、本当の自分と繋がっていることを実感できるようになったのかもしれません

それは、どこにいたとしても居心地の悪さや疎外感を感じない自分になっていくことであり、又そこに共振が生まれたことでもあったように思います

 

もちろん相手によっては、共振したくない人や出来事もあります

でも、そんな時は自分の波動を上げることで共振が起きないようにする事ができます

どうやら物質と違って、私たちの感情は波動を上げ下げ出来るもののようですから


波動を上げるには、感謝や愛を感じることとよく言われています

けれど、案外感謝の念って簡単に湧き上がってこないように思います

私にとって波動を上げる行為とは、どんな自分でも赦し受け入れること、そして出来る限り自分を甘えさせることです

自分を甘えさせることとは、自分が好きなものに囲まれた中で、自分が好きなことだけに興じる時間を持つことです

それは、好きな音楽を聴くことであったり、猫の動画を観ることであったり、お気に入りのお茶を飲むといった、ほんの些細なことばかりです

そうすることで、いつも穏やかで平和な気持ちでいられますし、それが波動を上げる私なりの一番の方法だと思っています


また波動を上げるための感情とは、私たちの思考から生まれています

そう考えると、やはり思考の番をすることは、これからもずっと必要なことのようです

私のメンター、松田豊さんのメンターにひまわりさんという方がおられます

私はこのひまわりさんの声が大好きです

ひまわりさんの声を聞くと、不思議と気持ちが前向きになったり、やる気が起きたりします

それは、私の中にもひまわりさんと同じような感性があって、それが同調しているからなのかな、と思っています

そしてこれからも自分の思考をコントロールして波動を上げ、世の中にある全ての良きこと、良き人たちと共振を起こしながら生きていきたいと思っています


読んでいただきありがとうございました

                 きみどり









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