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「子供」という特別な時間に自分の本を読んでもらうこと――「特装版 活版印刷三日月堂」ほしおさなえさんインタビュー


文庫を単行本化したいんですけど。

そんな依頼を受けて、著者は「は?」と思ったことでしょう。
単行本を文庫化することはあれど、文庫を単行本にするなんて、聞いたことがない――。

それが、あるんです。

2020年4月、ほしおさなえさんの文庫シリーズ『活版印刷三日月堂』が単行本になりました。

正確に言うと、「特装版」として生まれ変わりました。

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(特装版を並べたところ。タイトルが箔押し!)

文庫として愛されてきたシリーズが単行本の大きさになり、堅牢なハードカバー。しかも豪華箔押し!

こんな素敵な「特装版」が並ぶ場所は、本屋さんではありません。

学校の図書館です。

学校図書館にはすごくたくさんの本があります。
本屋さんで買える新刊小説以外に、古典と呼ばれる小説、調べ学習で使うための資料本や図鑑、百科事典。そして図書館専用の「小説」なんてものもあるのです。
(図書館専用の本があることは、恥ずかしながら僕もポプラ社に入って初めて知りましたが……)

図書館の本は色んな人に貸し出されるので、すぐに傷んでしまいます。ハードカバーの本ならいいですが、文庫などはカバーが柔らかいので、すぐに破れたりしてしまいます。
なので、もともと文庫で出していた本を学校図書館用にハードカバーにして出しなおすことがあるのです。

これが、世にも珍しい「単行本化」の真相です。

もちろん、文庫をなんでも単行本化できるわけではありません。
主に学校の図書館に入るので、内容的に子供が読んで問題ないか、子供が手にとりやすいか、などなどいろんな条件をクリアした作品が、晴れて単行本化されるわけです。
また、読者が子供たちになるので、指導要領に沿ってルビも付け直します。


図書館の本については専用の部署――図書館事業局があり、そこで独自に本を編集・販売しています。

今回も図書館事業局から依頼を受けて、単行本化がスタートしたわけですが、あらためて「この本を世に出すお手伝いができてよかった……」としみじみ思いました、

僕は「三日月堂」の担当編集ですが、自分が関わった本が図書館に入り、子供たちが読んでくれる。

それが、すごく嬉しかったのです。

でも、著者のほしおさんはどう思っているのだろうか。
そもそも、図書館に向けた単行本化の依頼なんて受けることはめったにないはず。

今回の企画について、著者はどう感じたのだろう。
元の文庫の形と比べて、どう見えたのか。

そんなことを聞いてみたいと思って、ほしおさんにお話を伺いました
(聞き手:担当編集 森潤也)


☆図書館専門の本づくりをしている部署――図書館事業局が新しくnoteのアカウントを立ち上げました。
こちらでは図書館用書籍の裏側についてお知らせしていきますので、よかったら遊びに行ってください。


<活版印刷三日月堂シリーズとは>
ほしおさなえさんによる人気シリーズ。現在6冊刊行されていて、シリーズ累計30万部を突破。

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<内容紹介>
川越の街の片隅に佇む印刷所・三日月堂。店主が亡くなり、長らく空き家になっていた三日月堂だが、店主の孫娘・弓子が川越に帰ってきたことで営業を再開する。三日月堂が営むのは昔ながらの活版印刷。活字を拾い、依頼に応じて一枚一枚手作業で言葉を印刷する。そんな三日月堂には色んな悩みを抱えたお客が訪れ、活字と言葉の温かみによって心が解きほぐされていくのだが、弓子もどうやら事情を抱えているようで――。
<ほしおさなえプロフィール>
1964年東京都生まれ。作家・詩人。1995年『影をめくるとき』が第38回群像新人文学賞優秀作受賞。『金継ぎの家 あたたかなしずくたち』『紙屋ふじさき記念館 麻の葉のカード』「菓子屋横丁月光荘」「活版印刷三日月堂」シリーズなど著作多数。


図書館が大好きだった


 特装版を作りたいという話を聞いて、どう思われましたか?

ほしお 最初は学校の図書館用の形になる、というお話だったので、文庫がそのまま大きくなって表紙が固くなって、丈夫な本になるのかな、くらいに思っていました。それがこんな素敵なセットになるとは……。

 図書館を対象にした造りの本はあまりなじみもないし、実物を見ないと分からないですよね。

ほしお そうですね。でも、図書館用の本という話はすごく嬉しかったです。

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(特装版専用のセット箱)

 やっぱり自分の本が「学校図書館に入る」ということは、特別な嬉しさがありますか?

ほしお もともと学校の図書室が好きで、小学校一年生のときからよく図書室に行って、本を借りてたんです。
わたしの学校ではひとりひとりに紙の読書カードというものがあって、借りた本の名前を書いていくんです。そのカードを早く埋めて、次のカードにいきたい、と思って、毎週借りていました。高学年になって委員会活動が始まってからは、もちろん図書委員に。本や図書カードの整理をカウンターの裏で楽しくやっていました。
本屋さんに行くのも大好きでしたが、子供の本に関しては学校の図書室のほうが数が多いですし、本屋さんにはない古い本もあって、とにかく楽しかった。とくにシリーズものが好きで……。
シリーズものって、同じデザインの本がずらっと並んでいるじゃないですか。こういう本を書けたら、というのが子どものころの夢だったので、ほんとうに夢が叶った、という喜びでいっぱいでした。

 ちなみに、子供のころに図書館で読んで記憶に残っている本はありますか?

ほしお 図書館ではまった最初のシリーズはたぶん『くまのパディントン』シリーズですね。
いまのカラーの本ではなくて、当時は小さくて箱に入っている形の本だったのです。その形がとても好きで、同じラインの本をよく読んでいました。
それから『ミス・ビアンカ』シリーズ。『小さなスプーンおばさん』シリーズなどの学研の「新しい世界の童話シリーズ」の本も大好きで、こちらもかたっぱしから読んでました。
全体に翻訳物のファンタジーや冒険ものが好きだったんですね。『ニルスのふしぎな旅』や『まぼろしの白馬』も印象に残ってます。日本の作品では『銀のほのおの国』と『冒険者たち』。
当時図書室で読んだあと、どうしても手元に置いておきたくて買ってもらった本は、いまでもわたしの部屋の本棚にありますし、大人になって文庫本で買い直したものもあります。
高学年になるとなぜか日本の詩歌にはまって……。島崎藤村、室生犀星、三好達治といった作家別の分厚い箱入りの全集ってありますよね。あれを毎週借りてました。大きさや厚さが国語辞典と同じくらいだったので、毎日ランドセルに教科書のほかに自分の国語辞典と詩歌全集を横にして重ねて入れて……。異様に重いランドセルを背負って学校に行く変な小学生でした(笑)。
それで自分の好きな詩を書き写して、プラスチックのカードケースに挟んで下敷きに使ってたんですよ……。

「物質」としての本の魅力


 特装版ということで、装丁から中面までデザインを一新しています。本文も子供が読みやすいようルビを振りなおしていますが、ページにルビがたくさんあるのも児童書独特の雰囲気がありますね。

ほしお デビュー以来ずっと大人向けの本を書いてきたんですが、数年前はじめて『お父さんのバイオリン』という児童書を出しました。
出来上がった本を見たとき、児童書ってやっぱりいいなあ、と思ったんですね。ルビが多いから少し行間にゆとりがあって、挿絵も入っていて……。自分が子どものころに接していた本はこれだったんだ、という懐かしさを感じました。自分にとっての原点という感じで。
児童書はていねいに作られているものも多いですしね。スピン(しおり)や花切れがついていたり。子どものころはスピンの色や太さにもけっこうこだわってました(笑)。
あと、豪華本だとたまに花切れがシマシマだったりすることがあって、そういうのをみると、うわあって盛り上がる。物質としての本が好きだったんですね。

 そういう意味で、今回の特装版は単行本に近しい造りですが、単行本って物質としての本の強さがありますよね。

ほしお ありますね。児童書を卒業したあとは文庫を読むことが多かったですし、文庫という形もすごく好きなんですよ。形がそろっているのが素晴らしい(笑)。
手に取りやすく多くの人に開かれているので、『三日月堂』が文庫で出たのもとてもうれしかったんですね。装丁もとても素敵でしたし。でも、単行本になると同じ本でもまた違いますね。

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(文庫版1巻目のカバー。表紙が美しい…)

 今回もカバーには中村至宏さんのイラストを使用していて、素材としてはもとの文庫と同じなんですが、全体の印象はどうでしたか。

ほしお かわいらしさが増しましたね。ページの端にイラストが入っていたり、子供の本らしい魅力が詰まっていると感じました。
表紙も、イラストは同じなのにデザインが変わったせいでしょうか、文庫のときは大人っぽく、少し寂しげな印象だったのに、ファンタジックな雰囲気の方が前面に出て、宝物感が出ました。
子どもの本の場合、誰かに買ってもらうことも多いと思うんですが、これを受け取ったら「この中になにか大事なものが入っている」という印象を受けるんじゃないでしょうか。

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(特装版1巻目のカバー。イラストは同じだがデザインが異なっている)

 そうなんですよ。僕もうまく言語化できないんですけど、「児童書になってる!」とすごく思いました。

ほしお 文庫のカバーは中村さんのイラストを全面に使って、イラストの上にタイトルが入っていましたが、今回はイラストの上下に枠が入っていて、それも宝物感に通じているのかな。「小説」じゃなくて「物語」と呼びたくなりました。

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(特装版の本文ページ。ノンブルに月がアレンジされたりしている)

 箔の色が各巻で違っているのも素敵ですよね。特に背がいい……。

ほしお 見本を送ってもらった時に、箱の中に背がずらっと揃っているのを見た時は「すごい!」と思いました。背は箔の割合が高いから、それがギュッと並んでいるとすごく美しいですね。

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(並んだ背。箔がきらめいて美しい)

 こういうのを見ると、物としての本ってすごくいいなあ……と思うんですよね。

ほしお 本というのは、巻物みたいなものもありますけど、基本的には昔から「四角くて薄い紙が綴じられている」という形なんですよね。図書館に行くと同じような形のものが棚にぎっしり並んでいる。でも、そのなかに多様な世界が詰まっているんです。そこがとても神秘的で、魔法のようだな、と感じます。
本のページって、扉と形が似てると思うんです。本を開くのって、扉を開くみたいじゃないですか?
とくに表紙は本にはいるための扉で、その扉を開くと中に世界が広がっている。そこから次々に扉が繋がって……。それが本という物質のロマンだなといつも思います。

子供たちに「三日月堂」を読んでもらうということ


 図書館に入ることで、子供たちが「三日月堂」を読んでくれる機会が増えると思います。子供たちが自分の本を読んでくれることについてはどう思われますか。

ほしお 子どものころって、出会うものがみなあたらしい、みたいなところがありますよね。もちろん日常はくりかえしですけど、大人に比べたら「はじめてのこと」がたくさんある。
本のなかでの体験もそうだと思います。だから、思春期くらいまでに読んだ本は特別だと思うんです。大人にならないとわからない本もたくさんありますし、子どものころ読んでわからなかったのに成長したらわかった、みたいなことも多くて、それもまた本の魅力ではあるんですが、子どものころ読んで「好き」と思った気持ちというのは、その人の根っこに結びついているような気がするんです。

 最初に三日月堂を出した時は、子供の読者は想定していましたか?

ほしお 「古いものを見直そう」といったテーマがある作品なので、メインの読者は活版印刷を知っている世代かなと予想していました。ところが中学生から反応があったり、イベントに若い人とお母さんが一緒に聞きに来てくれたり、小学生からお手紙をいただいたり。思っていた以上に幅広い層に読んでもらえたなと驚きました。
まず、子どもが活版印刷に関心を持つ、ということは想像していなかったんです。古いものだし、イメージできないんじゃないか、と。でも、三日月堂を読んで活版印刷をはじめて知ったという小学生が活版に興味を持って、印刷所や印刷博物館に見学に行く、というようなことが実際に何度もあったのです。
皆さん、むかしはこういう方法で印刷物を作っていた、ということに衝撃を受け、すごい、と感じたみたいなんですね。これは活版印刷というものの力だな、と強く感じました。
それと、三日月堂は各話語り手が変わり、小学生や高校生が語りの章もありますが、多くは大人の目から見た大人の物語で、子どもにとって面白いものだとは思っていなかった、というのもあります。
でも、意外と受け入れてもらえました。大人の登場人物に感情移入してくれたり、弓子さんのようになりたい、と言ってくれたりする読者もいて、いまでも不思議なんですが、うれしかったです。図書館に入って、子どもたちがどのように読むのか、好きになってくれるのか、ちょっとどきどきします。

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(特装版でも章扉には写真入り。活版印刷の道具を学ぶことができる)

 意外と子供たちに受け入れられた、というお話ですが、「活版印刷」というものがテーマの本を子供たちに届けることについて、ほしおさんの想いなどはありますか?

ほしお  活版印刷には500年くらいの歴史がありますが、高級な工芸品とは違います。一部の裕福な人しか手に入れることができない時代もありましたが、近代になると新聞や雑誌も作られるようになりました。かつては日常目にするほとんどの印刷物が活版で作られていた。
はじめて活版を知った若い人が、活版はすごい技術、活版の本は貴重だと思ってしまうこともあるんですが、いえいえ、1980年代くらいまでは活版の本が多かったし、2010年くらいまではまだ活版で刷られた本もあったんですよ、と。でも、どこにでもあったものだからあまり意識されなかったんですね。
活版印刷というのは、いまコンピュータが行っている作業を人の手で行う、そんな技術です。一冊の本が出来上がるまで、活字を拾って、組んで……と膨大な人の手が必要でした。挿絵も写真製版ができるようになるまでは版画を手で彫るしかなかった。
印刷に限らずどんな技術でも、むかしは人が行っていたことをどんどんコンピュータが行うようになってきています。人間が単純作業から解放される、という点では良いことだと思いますが、かつては人間が行っていたんだよ、ということを忘れたくない、という気持ちもあります。
学校の歴史の授業でも、当時どのような技術で社会が支えられていたかというところまではなかなか学べないですよね。一般の人々がどのような技術を持ち、どのように働き、生活していたか。文章で読んだだけだと、そういうものか、で終わってしまう。体験することではじめて、こういうことだったのか、と実感する。
先ほど人間がコンピュータの代わりをしていた、と言いましたが、それだけ細かく、複雑な作業だったんです。文選、組版、印刷、とさまざまな工程があり、工程に熟練した人の手が必要でした。いまは活版に関わっていた人たちもだんだん世を去り、使い方がわからないもの、二度と作れないものなどもたくさんあります。それでもまだ今ならまだ現物が残っていて、それを動かせる人もいる。当時の様子を語れる人がいる。そうした生の実感を伝えることができるんです。機械だけが博物館に納められているという状態になると、いくら機械や道具があっても実際にどんなふうに動くのかはわからなくなってしまうんですね。
さらに活版印刷については、その魅力に気づき、新しく活かして行こうという次世代がいます。そこにはまだ魅力がたくさん眠っていて、今の人が新しい光を当てることで面白いものが生まれています。おかげで技術も引き継がれていっている。三日月堂はそういうことを伝えたくて書きました。
言葉を広く長く伝えるために文字を生み出し、量産するために印刷という技術を編み出す。1文字ずつパーツに分解して、鋳型を使って量産し、それを並べることで多様な書物を作り出す。ここには知識を広めるための考え方の基本が詰まっているんですね。
「古いものがいい」ということではなく、人々の工夫の積み重ねの上にいまのわたしたちの技術や生活があること、その歴史に考え方の道筋が詰まっていること、古い技術を学ぶことにはそういう意味があると思います。歴史の長い活版印刷はそのとても良い例だと思っています。
三日月堂は登場人物たちの人間ドラマがメインではあるのですが、技術の素晴らしさを伝えられるよう、印刷物を作る過程をしっかり取材して描きました。そのあたりを読んでもらえるとうれしいなあ、と思います。

 特装版という新たな形で、たくさんの子供たちに『三日月堂』の魅力を届けていきたいですね。今日はありがとうございました。



<▼『特装版 活版印刷三日月堂』の詳細はこちら


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