見出し画像

今こそ2020年箱根駅伝を振り返る【『怯まず前へ』スポーツナビ連載記念記事】

現在、スポーツナビで、『怯まず前へ』の著者である、東洋大学陸上競技部の酒井俊幸監督の連載記事が掲載されています。

酒井俊幸『怯まず前へ』



酒井俊幸監督は、今や正月の風物詩として多くの人が注目する箱根駅伝において、監督就任以来、優勝3回、準優勝5回、3位2回、シード落ちなしの成績を誇り、その緻密かつ意表を突く区間配置などから「知将」との異名をもつ名将です。

それだけでなく、柏原竜二、設楽兄弟、服部兄弟、昨期の学生長距離界のエース相澤晃など、多くのトップランナーを育て、来年開催予定の東京五輪においてもOBの服部勇馬選手がマラソン日本代表に内定、競歩の池田向希選手と川野将虎選手も現役生ながら日本代表に内定しています。

そんな酒井監督のチームならびに選手育成のメソッドとその指導哲学を、書籍「怯まず前へ」から一部を抜粋して公開するとともに、新チームとなった現在の状況と今後の展望をインタビューで追加したのがスポーツナビの連載内容です。

本原稿はスポーツナビでの連載を記念したエピソードゼロです。
相澤晃選手の区間賞がありながら、総合10位となった東洋大学で箱根駅伝の裏で何があったのか――、2020年箱根駅伝の総括を酒井監督にうかがいました。

(聞き手:企画編集部 大塩大)

【東洋大学・酒井俊幸監督プロフィール】
東洋大学陸上競技部長距離部門監督。1976年福島県生まれ。学校法人石川高等学校卒業後、東洋大学経済学部に入学。大学時代には、1年時から箱根駅伝に3回出場し、4年時にはキャプテンを務める。大学卒業後、コニカ(現・コニカミノルタ)に入社、強豪となったコニカミノルタを支えた。選手引退後は、母校である学校法人石川高等学校で教鞭をとりながら、同校の陸上部顧問を務めた。2009年より、川嶋伸次監督の後任として、32歳で東洋大学陸上競技部長距離部門の監督(現職)に就任。就任1年目で、箱根駅伝に出場した大学の監督の中では最年少ながらチームを優勝に導くという快挙を達成する。その後もチームの育成に尽力し、箱根駅伝では、優勝3回、準優勝5回、3位2回、あわせて10年連続3位以内という成績を達成。



■敗因は「東洋大らしさ」の欠如 今年の箱根駅伝のチーム東洋総括


――2020年の箱根駅伝はまさかの10位と、12年ぶりに表彰台から陥落。箱根駅伝の総括をお願いします。

ひと言でいうと、今回は「東洋大学らしさ」が欠けていたと思います。

怯まず前へ、攻めの走りをしていこうというのが、本来の東洋大学の目指す走りですが、今回はケガなどで選手層が薄いゆえに、一か八か的な区間配置が例年よりも多かった。

特に往路。攻める走りのための大胆かつ攻撃的なオーダーが組めなかった。実際、箱根駅伝の往路のオーダーは一切変えていません。これまでの箱根駅伝では、往路はオーダーを変えていたのですが、ほかの選択肢がありませんでした。

往路三連覇を目標に掲げながら1区から出遅れてしまい、2区の相澤で取り戻せましたが、先頭までは届かず、4区でまたアクシデント的な走りになってしまったのが大きな誤算でした。不調で離脱した主力の定方(駿)を往路で起用できなかったことも痛手でした。


――そのなかでも2区相澤選手、5区宮下選手は区間賞の快走でしたが、監督から見て、この2人はどうでしたか。

相澤の2区区間賞は狙って取った区間賞でした。結果的には5分台という前人未到の記録を作りましたが、最低でも日本人の歴代の区間記録は更新したいと思っていました。そこに東京国際大の伊藤選手の並走と、気象条件にシューズと、いろいろな要素が加わりました。
相澤のあの走りはこれまでの歴代エースとの比較ではありません。相澤が高校、大学と成長してきて、世界大会へつながる道をこじ開けるような走りができました。指導者としても、チームとしても、誇れる内容でした。

5区は前回大会で好走した選手が多く、レベルの高い区間でしたが今回の宮下には自信を持っていました。11月に宮下は初めての全日本大学駅伝でアンカー8区を走りました。8区は最長区間であり、起伏もあるコースで、すごく大きなプレッシャーを背負います。

一方でその経験をすることで後に主力として活躍する選手が多いです。宮下は駅伝の経験値の少ない選手で、高校時代はインターハイに出場していませんし、全国高校駅伝の経験もしていません。そのため、経験を積ませる側面もありました。

箱根駅伝往路は4区までの流れが悪く、前もほとんど見えない状況の中で、彼に「僕もあきらめないから、宮下も絶対あきらめるな。前を向いていくぞ」と運営管理車から声をかけたときに、「わかりました」とうなずいて大きく手を振って走りだしました。

逆境の状況下でもきちんと冷静に、そして、熱くあきらめずに走るところを感じました。宮下には相澤からエースとして受け継ぐものやチームの柱になってほしいと期待しています。


――復路では最高で7位まで順位をあげましたが、結果としては総合10位。この結果をどう受け止めていますか。

駅伝は個の力が強くなることが大前提ですが、個の力を結集して全体がまとまること。個人が「一人ぐらいやらなくてもよい」「自分さえ強くなればいいや」と思っているだけでは絶対にチームは強くならない。やはり一つの目標に向かって、みんながまとまること。同じ目標に向かいながら情報を共有し、知恵を出し合う。皆が同じ目的を持ちながら緻密に連携することで想像を超える力が生まれます。

チームに対して申し訳ないとか、悔しいといった経験も、全体がまとまることの一つだと思います。今回の箱根駅伝では10区の及川が本番では非常に悔しい経験をしました。一年生の及川が23キロの10区に起用されたことで、他の1年生や上級生たちも悔しがっていた。こういった事もチームのプラスになる要素と信じています。

元々、東洋大学は柏原(竜二)や設楽、服部というエースランナーはいましたが、それ以外の選手たちもしっかりひたむきにやってきたチームだと思っています。だからチームスピリッツをもう一度学生たちにしっかり説きたいですね。

咋年は駅伝の采配だけではなく、私の年間のチーム運営に一番大きな問題があったと思います。なかでも長期故障者と長期離脱者が多かったこと。出雲駅伝も全日本大学駅伝もベストメンバーで臨めていません。もしベストメンバーで臨めていたら、相澤というエース力もあったわけですし、一つは優勝している可能性は十分にあったと思っています。昨年は今までの東洋大学とは、対極にいるようなチームになってしまった。これが年間の総括です。

私が伝えても一度目は新鮮でも2度目はまたかということが多かったかなと感じています。マンネリしやすい時代かもしれませんが、成長というのは変わることなので惰性から成長はありません。学生たちに新しい導き方、伝え方が要求されていると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?