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父の介護あるある #0  検査入院中の父の病院に夜呼び出されたら、点滴の針抜こうとしてた

「ぽっぷごーず」のあらたです。
いろんな題材の記事を思いつくままつれづれに書いとります。本当にいろいろと。読んでくださってる方はわかると思いますが、ジャンルが多岐に渡りすぎて自分でも収拾ついてません。
文体も内容によってバラバラ。
でも、その時の気持ちに沿って書くのがいいかなぁと思って、統一してません。

手しごとや食べること、ちょっとお出かけ…
中でも、父の介護については、少しずつぽつりぽつりと書いていこうと思っている。
あの時ああすればよかったとか、もっとこんなことを知っていたらとか、そんな反省をするためではない。もう何年も前のこと、場面によってはもう記憶があいまいになっている。記憶違いあるかもしれない。
そこを訂正するためではなく、シンプルに「そんなことがあったなあ」という気持ちで書いておく。なんというか、供養ということで、、かな。

ちなみに、前回書いた記事はこちら⬇️

そもそも、父はなんで突然「要介護」状態になったのか、今回はそこを書いてみようと思う。
前回が#1ならば、今日書く記事は「父の介護 エピソード0」である。

検査入院している病院から母に電話があった

ある夜母から電話があった。
父が持病の検査入院している市立病院から電話があったと言う。
母の話は要領を得なくて、父がどういう状態なのかはっきりわからなかったが、要は病院側から「付き添ってほしい」と言われたとのこと。
持病がある母はその連絡だけでパニックになった。気力的にも体力的にも付き添う自信がなく、私に相談してきたのだ。

んー、意味がわからない。
そもそも消化器内科系の検査入院なので、容体が急変したとか、起こらないはずだけど。
それでも来いと言われたのなら誰かが行くしかない。まあ、行ったら父の状況もわかるだろう。幸い連絡が取れた弟は、翌日交代すると言ってくれたので、まずは私が行くことになった。
両親は同じ市内に住んでいたので、我が家から市民病院まで車で10分。近くに住んでいるのは、こういう時に便利だ。

父は入院前すでに腰が弱っていて、入院してさらに筋力が落ちたようで、点滴台持って移動する時も、なんだか危なっかしい。でも、本人は自力でスタスタ歩く気マンマンなので、下手に介助しようとすると「余計なことするな」と言われてしまう。

病院スタッフは「トイレに行きたくなったら、お手伝いしますのでナースコールしてください」と言ってくださったが、無視して?忘れて?自力でトイレに行こうとして何回か転倒したそうだ。
転倒予防対策として、ベッドサイドにボタン内蔵型(?)マットが敷かれた。父がベッドを降りて床に立つと、その床に敷いたマットがセンサーになってナースセンターに連絡が行き、「どうされましたか?おトイレですか?」とスタッフがやってくる。

これがまた父の気に入らなかったらしい。

父にしてみれば、
トイレに行こうと立ち上がったら、どこかから人がやってきて「トイレですか?」とうるさく聞きやがる。
ほっといてくれ、ワシはトイレ一人でできる。誰も手伝わんでいい。
知らんオバハンが呼んでもないのに、来るな。ってところだろう。

小心者の父は、そこでスタッフを怒鳴りつけることはない。表向きは「はいはい」とよい返事をして、後で1人で「ケッ💢」ってなってたんだろう。そしてもちろん態度を改める気は全くない。同じことの繰り返し。

病院スタッフのみなさま、本当にすみませんでしたね…本人に代わってお詫び申し上げます🙇‍♀️

病院から母への電話は「ご主人は転倒の恐れがあるし、点滴の針を抜いたりしてしまうので、ご家族どなたか付き添っていただけないでしょうか」という内容だったのだ。
点滴の針を抜くとはどういうことだ??説明を聞いても、あんまり意味がわかっていなかった。

ベッドサイドで父を見守る

説明を聞いて、付き添うことになった私。父は病室ではなく、看護師詰め所の奥のベッドで横になっていた。
え?ここで私付き添うんですか?と聞いたら、ハイお願いします、とスタッフが椅子を持ってきてくださった。

父に声をかけると、「おお、どないしたんや」と元気に返事をする。
「えーと、トイレに行こうとして、コケるから危ないって。付き添ってほしいって病院から電話あってん」
「そっか、すまんな」
あっさり納得してくれたのでほっとした。ただ、話していると意識はしっかりしているようで、なんだかフワフワしている。時々、話が噛み合わなかったり、今どこにいるのかわかってる?というやり取りになる。
後で思い出したら、父の動きを封じるため?!鎮静剤的なものを服用していたのが原因の一つだったのかもしれないが、その時はひたすらに目の前の事実に立ち向かっていたので、そのあたり、あまり記憶にない。

これ大丈夫か?認知症ではないのか??
いや、そもそも入院しているのだから、様子がおかしければ病院から連絡あるよね、きっと。今その説明はなかった。点滴の針のことだけやったぞ。
とにかく父が眠るまで側にいることにしたが、父の脳はハイテンションでフル稼働していた。
マジか?これ朝まで寝れないコース??!!😳
えー、明日私仕事だから、寝ていただきたいんだけど…

とはいえ、「寝た方がいいよ」とか「おやすみ」と言ってもどうせ聞いてくれないから、寝るまでつきあうことにした。

父は、いらんところ(=点滴の針)を触らないようにミトンをはめていた。私の朝までのミッションはとにかく父が針を抜かないようにすること。とりとめのない話をしていると、徐々に父が手をモゾモゾさせる。ミトンを脱ぎたいのだ。
こういう時「これさぁ、外さない方がいいよぉー」とあまり言いたくない。「うるさい、はずせ!」と言われちまう。私は平和主義。争いは好まない。
なんやかんや話しながらそれとなく気をそらしてみる。寝ている向きを少し変えてみたり、軽く手をトントンたたいてみたり。それでしばらく気がまぎれる。ミトンを外したらダメなことは、理屈ではわかっているから初めは止める。でもしばらくするとそんなことを忘れてしまって、うっとおしい邪魔なものは外したい。「はずせ!」と怒られる。いやいやいやーと気をそらす。またモゾモゾ。話しかける、手をトントン。睨まれる。これの繰り返し。ネバーエンディングストーリーだ。

さすがに何回か繰り返していると、姑息な作戦も限界が来る。父はむっとして「トイレに行きたい」と言う。
腰が悪い父を起こしてトイレに連れて行けるのか自信がなくてナースさんに相談すると、「さっき行ったところなので、出ないと思います。」とのこと。念のためオムツにしているので、どうしても我慢できないなら、そこでしてもらっても…と言われた。
さすがにそのままストレートに伝えるわけにもいかないので、「看護婦さん、トイレさっき行ったところやって言ってたよ。まだ30分くらいしか経ってないから、もうちょっとして、どうしても我慢できなくなったらまた言って。」と言ってみた。もちろん30分以上経ってたけど。

父は小さな声で、チッ、あのクソババア的な発言をしたが、それだけで起き上がろうとしなかった。聞かなかったことにしておこう。
それに、本当はトイレに行きたいわけではなかったのかも。知らんけど。

それから朝まで、父はフワフワといろんなことを語った。今何時なのか、今日は何月何日なのか、新聞はまだか、何度も聞いた。昔の仕事のことを思い出したのか、どこかのネジを締めないと、工具箱どこや、みたいなことも言っていた。
そのやり取り自体はなんだか曖昧で、一貫性がなかった。父はどうなったんだろう、と不思議に思いつつ、私はどこかおもしろがっていた。
父はこのやり取りで、何を知りたいんやろ、何を思い出してるんかな、何か不安なのかな。父の思いがけない過去がひょっこり出てくるのだろうか。それとも、単にこっちが答えたらそれで安心するだけかな、そんなことを考えながら、聞かれたことだけに淡々と答えていた。このまま父の意識はどこかにいってしまうんやろか、それとも戻ってくるのかな、そんなことも考えた。
父の話すトーンは時間が経ってもそんなに大きくは変わらなかった。またミトンを外そうとしてイラッとして、でも大声で怒鳴りつけるわけではない。公共の場だという意識はあるんかな。
そしてまたなんだかんだ話してみたり、寄せては返す波のようだった。

ジリジリと時間が過ぎて無事に朝になり、交代要員の弟がやってきた。私はその日どうしても出勤しないといけない日だったので、とりあえずバトンタッチ。帰宅して着替えて朝食を食べ、精いっぱいのカラ元気で出勤した。

業務を済ませると弟からLINEが入っていた。父の体調はまあまあよくなり、付き添いは不要になった。
もともと検査のための入院だったし、検査は終了しており、特に健康上の問題はないため、
予定より一日繰り上げて退院してもよいと言われたそうだ。

え?あの状態で退院するの??大丈夫なん??
弟も私も、母も頭の中に山のように「???」が出ていた。

医者から「せん妄」の説明を受ける

とりあえず翌日退院する父を迎えに、母と一緒に病院に行った。
父母と一緒に医師から説明を受ける。が、父はなんだか上の空。母は難しい話をされてもわからーん、という表情。
3人で聞いているように見えて基本聞くのは私1人である。
とりあえず、そもそもの持病の検査結果と今後の方針を聞く。手術はしない、定期的な通院で様子を見ます。かわったことがあればすぐ受診してください…

車椅子に座っている父は聞いているのかいないのか。
みんなが自分の話をしている、という意識は全くない。ぼんやりと遠くを見ている。
と思ったら今度はゆっくりと前にかがみ、パジャマのボタンをいじる
もう一つ下のボタンをいじる
もうひとつ下、もうひとつ…
体がだんだん前のめりになって…

あぶない!!!!!

車椅子から転げ落ちそうになった。
幸い、ナースさんが付き添ってくださってて、すぐに対応してくださったので、父は転落を免れた。

今何が起こったのか、私にはわからなかった。
母の目も驚きで2倍になっている。

そして私たちは医師から「せん妄ですね」と言われた。
入院や手術が原因で起こる意識障害があること
点滴の針を抜いたり、興奮しやすくなったりすること
環境の変化が原因のことが多いので、帰宅して静養すると症状が治まることが多いこと
なので、帰宅をお勧めします、と。

「せん妄」という言葉を初めて聞いた。
病気の症状を聞くより、事態は大ごとだ。
母の目は驚きを超えてショックでしぼんでしまった。

「それって、どのくらいで治りますか?」
「人それぞれですねえ。1週間くらいの人もいますし…まあだいたい、ひと月もしたらよくなると思いますよ。」

ひと月?

情報過多で母と私は完全にフリーズ状態になっていた。

とにかく、病院としては検査入院はこれにて終了ですと。

まあ、病院のコメントとしたらそうだろう。もともと病気で入院したわけではない。検査終わったのだから、ミッションコンプリート、ですわね。

急に腰の具合が悪くなった件については、特に説明はなかった。
こちらが何回確認しても、検査やせん妄との因果関係はないとのこと。帰宅して整形外科で相談してみては?って感じ。
大きな病気で入院することがほとんどなかったので、検査結果を聞くのが怖すぎて腰が抜けたたのか??そんな、メンタルが原因で腰が悪くなること、あるかなあ??
そこはナゾのままなんだけど…

こうして
一人でカバン持って検査入院した父は、検査結果や今後の治療方針もわっとしたまま、腰の具合が悪くなりフワフワした意識になり、車椅子レンタルして帰宅したのである。なんという変化。なんというビフォーアフター。まさになんということでしょう。

我が家にゴジラが来たかのような激震が走った日だった。
ことの重大さにみんなずーっと無言だった。父はフワフワしてたから、正確には母と私が。

ちなみに、帰宅後2日ほど父はフワフワした意識の中をさまよっていたが、徐々に回復した。家族とも今まで通り会話ができるようになった。帰宅して静養したら回復する、という医師の話は本当だった。家族はどうなることかとドキドキしたが、医師からしたら「よくある話」だったわけだ。

ただ、悪化した腰はなかなか回復しなかった。
これは家族だけではちょっと厳しい。誰かのサポートが必要だ。
そこで、私は市役所の介護福祉担当窓口に行くことになったのだ。

そのあたりに関してはこちら⬇️

その続きは、また いつか

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