久々の投稿。そして、気づいたら高速になっていた世の中においていかれつつも希望を持ちたい人への(気持ち的)処方箋?
タイトルそのまんまの状態です。1~2年ぶりの投稿です。
久々なので、noteの仕様が変わっていることにすら驚きました。
このエディタにまだ慣れていないので、優等生的な活字まんまの記事になる予感です。
以前noteを書いていた時は、相当気持ちが滅入っていましたので、少し元気が戻ってきた今、元気の歯車の一環として、noteを再開してみる気になれました。(回復といってもご心配に及ぶような事はなく、物理的にお先真っ暗で心身がへとへとになっていました。若輩人生の中では、どん底でした。orz)
令和に入ってから、世の中の動きが激しく、短期間に動揺する機会が多い気がしますが、気のせいでしょうか。文化も価値観も、常識のすり替わりもなんと早い事か。
常識が早く変わってしまったら、それは常識といえるのだろうか。
t(時間)=任意の値 の時にしか成立しない常識とは、果たして常識なのだろうか。(今の間に、「常識」を何回発言したでしょうか。)
これからは、常識=standard= を使用する度に、前提条件を述べないと通じない世界になるかもしれませんね。
※一周回って、当たり前の話に戻ったような・・・
それはさておき、私はせっかちが苦手なので、そんな高速な世の中の流れについていけないこともありますが、(もしかしたら誰もせっかちが好きな人もいない気もしますが。結果そうなるだけで。)折角なので、ここで良いこともないか、探してみたいと思います。
①時間の流れが速い!
=今はすぐに過去に。
=今の失敗のダメージも即、忘却曲線に従う?
反省は大事だけど、疲れていると反省と後悔の境目が分からなくなること があります。(なんていったって自分の頭がパーになるので。)そういう時こそ、この忘却曲線を利用して、「後悔」分をポイ捨てしよう。今やこれからの未来をみるのです。
②過去の経験や知見があっという間に洗練される?
「人間大事なことは忘れない(ただし、ちゃんと寝ていたら)」という言葉を信じますと、集団的に解決しやすい問題に関しては、それぞれに対し選択が行われ、早々に解決されていく可能性があるということです。
どんな背景があっても、みな人間は努力はしている、と信じるならば、集団の力を多少信じて、(そしてその集団の力の一つに自分が含まれていると信じて)、身をゆだねてみるというのも一興かもしれません。
早すぎる…助けて…となった場合は、意思をもってみんなの波に流されてみます宣言をするのもいいのかもしれませんね。ただしこの時、大きな目で見て人を傷つけるような結果になるものに対してだけは、常に厳しい目で敏感でいる必要はあると思いますが。
本日はこれまで。もしふとお読みいただいた方がいらっしゃったら、ありがとうございました。ごきげんよう。
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