真心ブラザース「COSMOS」の歌詞を読んで思うこと

最近思い出したようにめちゃくちゃ聴いている曲なのだが、理解できないくらい前向きな気持ちになれる。あとマジでグッとくる。

「この広い広い宇宙の中で 君と2人だけになったとしても
 僕らは楽しく生きていく 君となら絶望してもかまわない」

「君」と「僕」とのラブソングとして始まるこの曲だが、途中から「愛」の話になる。

「怠け者で気難しい 愛と付き合うのはタフな事
 愛をコントロールしようなんて思うな
 愛と一緒にいればいい 愛と共に在ればいい」

これがなんというか、珍しい。グッとくるのだ。

「君」と「僕」が時にうまくいかないのはなぜか?
人と人とが共に生きていくのが難しいのはなぜか?

それは誰が悪いわけでもなく、「愛」が難しいヤツだからなんだ。
この歌はきっとそういうことを歌っているのだ、と思う。

「歩いていこう 愛の愛の隣を 愛と共にあれば
 進んでゆこう 愛の愛の光る方へ 愛の思うとおりに」

そう、私たちは「愛」を失っては生きてはいけないのである。
それは酸素や水、食事のように物理的に不可欠とは言わないまでも、
人間が人間らしく生きるための一番の原動力。
だからこそ皆が「愛」を求める。「愛」と共に歩いていくことを欲する。

ただ、愛をくれる相手にも当然機嫌や感情があり、うまくいかないこともしばしば。
親と子にも、彼氏と彼女にも、上司と部下にも、喧嘩や諍いは絶えない。
これは「愛」が難しいヤツだからなんだ。

だからこそ

「許してやろう 愛を愛のすることを 愛を逃がしてやろう
 自由にしよう 愛を愛を解き放とう 愛の思うとおりに」

「愛」を許すことで私たちは「愛」を手にすることができるのである。
(『「愛」を許さないと「愛」を手にすることはできない。』には
 敢えてしなかった。希望の問題。)

こんな大きい目線のラブソング、途方も無いが、
だからこそ受け入れたくなってしまう。

「人間が罪深いのならば 僕はもっと罪を重ねよう
 びびっていたら幸せになれない 当たり前の顔して幸福になる」

自らの持つ愛も、時にコントロール不能に陥り人を傷つけるかもしれない。
でもその罪を重ねることを許してこそ、自らも愛を掴めるのだ。

人を信じて、人を愛して、愛を愛して生きていきたい。

(引用 真心ブラザーズ「COSMOS」 作詞:YO-KING)

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