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私と短歌(1)マミヤミレイさんの場合

はじめに

「私と短歌」は、ぽっぷこーんじぇるがツイッターを活動の場とする歌人にインタビューをする(そして自分もちょっと喋る)企画です。
第1回はマミヤミレイさんです。

🍿ぽっぷこーんじぇる
🐮マミヤミレイ

1.自己紹介

🍿まずは簡単な自己紹介をお願いします!

🐮マミヤミレイと申します。 名前の区切りはマミヤ・ミレイです。女性っぽい筆名で申し訳ないのですが20代半ばの男です。わりと最近までで職業:(自称)ミュージシャンでした。2022年10月17日に短歌を始め、当初は音楽活動をしてる方のTwitterアカウントで発表していましたが2023年に入り短歌活動用のアカウントとしてマミヤミレイが誕生した。って感じですかね。

2.きっかけ

🍿短歌をはじめたきっかけは何ですか?

🐮きっかけというと、まず短歌というものの存在を色濃く感じたのが2019年の夏ごろにTwitter上で歌人、岡野大嗣さんの「道ばたで死を待ちながら本物の風に初めて会う扇風機」(『サイレンと犀』より)に出会って、言葉に出来ない衝撃を受けたことが大きなきっかけとしてありますね。 2020年の7月末に当時働いていた会社を辞めて暇を持て余してた頃、ふとそのツイートを思い出して歌集『サイレンと犀』を購入し、めちゃくちゃに読み込んでました。 で自分が短歌を始めたのが先述の通り2022年10月なんですけど、自作曲を作る中で歌詞とかも自分で書くんですがそのときすごくスランプだったんですよね。で、「気分転換に」と「作詞の足しに」の気持ちで自分でも短歌を作るようになりました。 短歌に触れてから自分で詠むまで2年空いちゃってますね(笑)


🍿いまは作詞のほうはやっていなくて、短歌一本という感じですか?

🐮バンドも脱退したし曲作りたいって意欲も薄まったので今は短歌ばかりですね。そのうち曲作りたい欲が戻ったら作詞もするんだと思います(笑)

🍿ちょっと話はそれちゃうんですが、マミヤさんの思う歌詞と短歌の違いって何だと思いますか? もちろん五音・七音と続いていく歌詞もありますけど、一般的な歌詞はそうではないですよね。

🐮んーー、あくまで「僕は」の回答になっちゃうんですけど31文字前後って制限があるか無いかだけだと思いますね。僕自身(たぶん良くないことなんですけど)定型で短歌つくらないと…って意識が薄くて、特に最初の方は伝えたいこと優先で、“大体”5.7.5.7.7になったら短歌って言い張ってました。 あ、でも31文字って制限があるおかげて歌詞書くときよりも「受け取り手(読み手)に委ねる余白や空白の部分」はかなり意識して作るようにしてますね。


🍿ちなみに好きな曲を一つ教えてもらうことってできますか?

🐮めちゃくちゃ迷いますね…

🐮どうしても一曲挙げるならボカロ曲なんですけど石風呂の『午前3時のヘッドフォン』ですかね。

🍿(視聴中・・・)

🍿『午前3時のヘッドフォン』を初めて聞いたんですが、歌詞がかなり七五調に近いんですね。ちょっと短歌っぽいかも……?

🐮おお、言われて聞いてみると確かに七五調っぽいですね

🍿いい曲ですね。「よふかしのうた」みたいな作品・曲もありますけど、インターネット世代にとって深夜は特別な時間なんでしょうね。ゆるい絵と文字も好きです

🐮色んなものが溢れてる世の中だからこそ世界に自分一人だけになったように感じる時間が特別にさせてるんでしょうね


3.変化

🍿短歌をはじめて変わったことはありますか?

🐮月並みなんですけど、普段から短歌に使えそうな題材センサーを張り巡らせることによって「何気ない日常」がとても色付いて見えるようになりましたね。あとは感情の言語化をかなり意識するようになりました。…といっても「これは寂しい!」とか「これは嬉しい!」って断定していく感じではなくもっと「今どういう感情か」というのを深く追求していくような感覚ですね。自分の感情と真正面から向き合うようになったので結構しんどいですね(笑)

🍿なるほど、自分の感情にちゃんと言葉を与えるのは楽ではないですよね。世界が色づくというのはよく分かります。

4.作りかた

🍿短歌をどのようにつくっているか教えてください!

🐮まず言語化したい気持ちがあってそれを着飾ってみたり野晒しにしてみたりします。すると「こう詠みたい」がうっすら出てくるのであとは出てきたパーツを繋ぎ合わせて体裁を整えて完成ですかね…。作り方がふんわりしすぎてて一度世の中に出した作品も納得いかなくて練り直すこと多いです。良くないことかもしれませんが。

5.作るときの気持ち/マミヤミレイさんの短歌について

🍿短歌をどんな気持ちでつくっていますか?

🐮どんな気持ちで…っていうと少し違うかもしれませんが間違いなく「自分を救うために」短歌を作ってますね。
昔、結構ガチで小説書いてたことあって賞とか応募していいとこまでいって…みたいな感じだったんですが「評価されること」に意識がいきすぎて比喩とかじゃなく書けなくなっちゃったんですよね。たぶん音楽活動もそうで売れることを意識し始めた途端に楽しくなくなっちゃったんですよ。

今は短歌を作るのが楽しいから作ってる訳なんですが、フォロワー様方が僕の作品たちのことを大切にしてくださってるのを見て「あぁ今まで苦しんできた創作活動が無駄にならずに済んだ…」って心から思いました。

すみませんなんか脱線してますね。 どんな気持ちで短歌作ってるか…でしたね。
自分の過去のツイート見返すと、 「本音なんて飾らないと見てられないんやから、言葉くらい飾らせてやってください。」とか「陰鬱としていやに厭世的で言葉に出来ない圧倒的な負の感情をなんとかして言葉にしないと、ただでさえ全世界が僕のこと否定してるのに僕ですら僕を否定することになってしまう」ってツイートしたことがあるんですけどそれですね。

作風(?)でいうと短歌始めた当初からずっと仲良くしてくださってるフォロワーのかきもちり(@kakimochiri)さんからいただいた「ミレイさんの短歌はモノクロの世界を歩く主体が少し色付いたなにかを丁寧に拾い上げるようで、それが主体にとって『幸せ』だとは限らないが『救い』になっているのではないかと思います。」という感想をめちゃくちゃ大切に抱きかかえて短歌詠んでます。あと意識してるのは先程も触れた余白と空白の部分ですね。受け取った人によって読み味や浮かぶ情景が異なったら楽しいよなぁって思ってます。

僕の短歌たちは決して評価されるものではないと思っていますが、それを必要とする人の手元に必要とする形で届くようにこれからも短歌、詠み続けるので応援よろしくお願いしますね!


🍿音楽や小説ってつくりあげるのが大変ですよね。時間をかけてつくるから評価してほしいし、評価を気にしてしまう。それは見て(読んで)くださる人を大切にすることと同じで、とても大切で素晴らしい心がけだと思います。でも楽ではない。
短歌はもうすこし簡単につくれるから、99首が不発でも、100首目が相手に刺さればいいと考えることができる。いっぱいつくれるからこそ本当の意味で自分らしい作品がつくれるのでしょうし、いい歌ができると、継続的に自分の短歌を見ている人には「これはあなたらしい歌だね」と気づいてもらうことができる。こうした一首の軽さと背景の深さが短歌の魅力なのかもしれません。

マミヤさんの短歌が「モノクロの世界を歩く主体が少し色付いたなにかを丁寧に拾い上げるよう」というのは、今回作品をまとめて読んでみて同じように思いました。

ねえ、もしも明日世界が終わるとして。それでも君は雨傘を差す?

雨に塗れたい気分のときってありますよね。そんなときにふと「君」に質問したくなったんだと思います。これはひとつの気づきですよね。もし明日世界が終わるなら、君は傘を差すだろうかと。
なんだか主体は「君」に、そんなときでも傘を差していてほしいと思っているような気がするんです。なぜかといえば、この歌の「君」はすごくきれいな人物に思えるんですね。自暴自棄になりかけている主体とは違って、ちゃんと生きているような。
「君」の返答は分かりませんから、やっぱり気づきが重要な歌なんだと思います。世界が変わるのは事件が遭ったときじゃなくて、自分の心が変化したときでしょうし。

もう二度と咲くことなんて無いように酸素を吸って生きてみますね

いま当たり前に呼吸して生きていることを「咲くことなんて無いように」生きているのだと捉える、この感性はすごいと思います。主体にとって、人として生きていくことそのものが罪や罰に近いものとして感じられているのかもしれません。「生きてみます」という言い方からも、ふらふらと生きている主体の姿が見えてくる。目線は冷たい、モノクロです。でも、色を知っている人の目線のような気がします。

見渡せるかぎりすべてが白い朝 ヤマザキ春のパンまつりかよ

この日々にもしも名前がついたなら半濁音は入ると思う

これらもやっぱり気づきの歌だと思うんです。「すべてが白い朝」を春の朝日だと考えると、それはとてもいい日のはずなのに、どうしても「春のパン祭り」に見えてしまう。自分の生活に言葉を与えるとき、気の抜けた、泡のような「半濁音」が入るだろうなと考える。主体の姿が悲しく感じられますが、そのような気づきを得た瞬間は世界がカラフルに見えたと思うんですね。マミヤさんの歌の個性はこういうところにあるんじゃないかなと思いました。主体の悲しみと、シニカルな目線と、気づきの華やかさ。


6.好きな歌

🍿自分以外の歌で、好きな一首を教えてください!

🐮好きな他人の短歌は、書店で手に入る歌集の中からなら、前述の通り間違いなく「道ばたで死を待ちながら本物の風に初めて会う扇風機」(岡野大嗣『サイレンと犀』より)ですね。この歌に出会ってなければ短歌はじめてなかったので…

🍿最後に自選一首を教えてください!

🐮連作だと固定ツイートにもしてる『死ぬことは怖いと思う』ですね。後にも先にもこのときの感情にはもう真っ直ぐ向き合えないと思います(笑)

死ぬことは怖いと思う。新品のワイシャツを出す。やっぱやめとく。


好きな自作短歌なんだろうな…で思い浮かぶのがことごとくマミヤミレイ以前の作品なんですよね…笑 でもマミヤミレイじゃないと詠めなかっただろうなって意味で『死ぬことは怖いと思う』と、あと、単発で挙げるなら

幼気にかなしくないよと振る舞った少女のような朝焼けの跡

ですかね

🍿理由はありますか?

🐮小説書いてたとき、音楽作ってたとき、短歌詠んでるとき。創作しているときの僕の人格はかなり女性的であるとずっと感じていまして。僕の生き方のモットーが「大人になるということ。私の中の少女を殺すということ。」なのですがそれと真正面から向き合った結果生まれた短歌なので大切にしようと思って自選一首に選びました。

🍿自分の中の少女性(女性性?)を消そうとする理由は何でしょうか

🐮大人になるって純粋さ純真さを如何に失わせていくかだと思ってるんですよね。手放すことを選んだ感情たちと向き合わないといけない。純粋さ純真さのメタファーが「少女」なんだと思います、多分…。

🍿なるほど。すこし話は逸れますが、小説や漫画やアニメでは「少女」が都合のいいイメージとして使われていたんじゃないかと思うんですよね。清らかで、無垢で、透明な恋をして。ですからマミヤさんのメタファーはすごくしっくりきます。もしかしたらすごく意味のあることかもしれませんね。

🐮きっと「少女」は僕にとっても都合が良かったんでしょうね

🍿自分の中のなにかを「少女」のようなイメージに託そうとするのは、それほど悪いことではないと思います。ただ、もしかすると意見が分かれるかもしれませんね。
短歌は青春の文芸と言われることがあります。そのなかでどのように「大人」を表現していくのか。これからも応援しています。ありがとうございました!

🐮自分と向き合い見つめ直す、それを言語化するとても良い機会をいただきまして、ほんっとうにありがとうございました!


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画像はマミヤミレイさんよりいただきました。

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