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短歌の評をどう書くか?――窪田空穂の近代短歌評を読む

はじめに

 短歌の評をどう書くか?と考えたとき、まず浮かんだのは有名な歌人・評者の実例を読むことだった。ここでとりあげるのは窪田空穂の近代短歌評だ。

窪田空穂(1877-1967)は歌人、小説家、国文学者。注目したいのは、博学からなる膨大な古典評釈である。枕草子や伊勢物語はもちろん、万葉集・古今和歌集・新古今和歌集、そして近世和歌から近代短歌までの評釈まで行っており、短歌の評という観点からみれば随一の人物だろう。

 空穂の著作権は満了しており、『窪田空穂全集』全28巻はすべて国会図書館デジタルコレクションで読むことができる。このnoteでは、空穂の近代短歌評釈を13例抜粋し、それらを評の着眼点から分類した。
 読みやすさに配慮して、引用歌を除いて現代かな遣いに直し、一部の語に対しては歌の直後や文中に注を、またかっこ書きのルビを付した。
 難解な歌でも、空穂の見事な評釈を読めば内容が分かってくる。近代短歌の入門としても優れた資料だろう。ぜひ読んでほしい。


●歌の背景について●

・想像する

霧のみちはたをまがれば君みえずもろこしの穂にこほろぎ啼きぬ/与謝野晶子

 秋の黄昏たそがれ、相思の人たちが散歩にと出た。武蔵野の小径こみち小草おぐさの上には早くも露が白々と(ほの)めいて、踏みゆく脚にも冷たい。小径に(とな)る畑の畔には黍が植えてあり、其の広葉がありともない風にそよめいている。黍を超えて彼方遠く、打開(うちあけ)たる野は夕の色に融け合ている。物遠く静かなる景色の、心のおのずからしめやかに、言葉数も少くなって(しま)った。
 ふと女は男を離れて、一人、畑と畑との間の小径をもとめて辿って見た。行くこと二、三十歩、心付くと我一人のみの姿の、そぞろに物淋しく、振返って男をと見ると、黍の葉に遮られて其所とも見えない。前の方を見ると暮るるに早い秋の夕の忽ちの間に夜の姿ともなっている。
 物淋しさは怖ろしさに、慌てて立ち返ろうとする時、今まで寂然ひっそりとしていた野の中、微かに涼しい物の音の、黄昏の精か、野の精かと思われるのが、露を含んで伝わって来た。其の声をとめると、傍の黍の葉の上、一匹の蟋蟀こおろぎの、秋のあわれを身一つに集めてすだくのであった。女は佇んで其の音に耳を傾けた。
 尋常の作家の数百言を費しても描き難い様な自然の心を、僅かの言葉に現わした手腕、誠に得難い佳作である。人生と自然との間には、何時も薄いながらに幕が掛けてられてい、其れを排して彼と此とを融合させることは難いものであるのに、此の作を読むと、初めから幕も何もない様な気がする。

新派和歌評釈


・時代背景を知る

ほととぎす治承寿永ぢしようじゆえいのおん国母こくも三十にして経よます寺/与謝野晶子

国母……皇后
きょう……仏教の経典

 三千年の我が国の歴史の中、源平時代ほど哀れの多い時代はない、昨日までは天下の半分を領し、平家ならずば人でもない様に驕っていたのも、今日は西海の波の上に漂わされ、反対に、流人るじんであった源家の小童こわっぱが、東夷あずまえびす引率ひきつれて、都をば我が物顔に立ち振舞う。畏きながら、彼れに擁され此れに擁され給うべき御衰えに、一天万乗(注:天皇のこと)の御身にも夢安くはあらせ給わず、はては世を厭い、位をも棄てさせ給う如きこととさえなった。
 別けて哀れ深きは皇后きさきの宮である。御齢おんよわい漸く三十歳、後宮の中、今を盛りの御世おんよをも見させ給うべき頃を、丈にも余る黒髪を切らせ給い、尼姿悲しくさる御寺みてらに籠るらせられて、ひたすら看経かんきんをのみこととさせ給うありさま、心なき物だに魂も消ゆるばかりである。
 暮れ行く春の哀れも見尽して、五月雨さみだれいぶせく降る五月の一夜ひとよ、雨や涙、涙や雨と惑いつつ、遠く其のみ寺を拝しまいらする時、あわれ時鳥(ほととぎす)の、其屋そのやの棟(かす)めては、一声二声ひとこえふたこえ、闇をもゆるがす様なるに啼いてすぎた。
 斯くばかり複雑したる思想を、三十一文字の中に安らかにしも歌い、(しか)も明かなる印象を与えているのは非凡な手腕と言わねばならぬ。長き短歌の歴史の中にも類少いものであろう。「治承寿永のおん邦母」と言って源平自体の皇后を力強くも表し、「三十にして経よます寺」との一句に変りはてたる御運の様を、見るがように現わしている。助辞(注:助詞)を省くこと此れほどに、そして省いたのが却って自然に見えるなど、言葉というものの、働かす手によっては如何ようにも働くものだということが証明される。

新派和歌評釈


●歌の内容について●

・景色を見る

日は暮れぬ海の上にはむらさきの菖蒲あやめに似たる夕雲のして/与謝野寛

日没の色と、雲の紫とを対照して力強く描き、其の他は想像に任せている所、水彩画でも観る様な感がある。(こと)に此の感を強めるのは、雲の紫を形容して菖蒲に似たと云った所で、雲の色はもとより、季節も同じく菖蒲の咲く初夏の頃の様に想われる。此の一句の為印象が強く快く成っている。

新派和歌評釈


君とわれあふひに似たる水草の花のうへなる橋に涼みぬ/与謝野寛

 如何にも画数(注:絵(光景)の数のことか)の多い作だ。川の姿など一言も云はずに、其の川、川のある場所までも想像される様に描いている。自分を描くと、誰しも窮窟になり易いものであるが、此の作を見るとさながら第三者を描く様な余裕を持っている。

新派和歌評釈


・心情を見る

木枯こがらしや若芽は皮につゝまれて呼息ひそむれど春の気のする/水野葉舟

 意味は、木枯の寒い日、冬木を見ると、早くも小さな若芽が出来ていて、仄かに春の気の吐いていたと云うのです。
 此の作の面白いのは、仄かに作者の主観の現れている所です。木枯は我が世、若芽は自身で、世の中の苦しみ悲しみは絶えずも襲って来るものの、自分は必ず春の来るべき事を信じ、心長閑(のどか)に待っていると云うのでしょう。
「呼息ひそむれど」と若芽を擬人しているのも中々面白く、「春の気のする」と言うのは一層面白く思わせます。此の頃の歌には(しき)りに擬人が流行はやるようですが、自然に用いてあると思われるのは稀れです。此れなぞは巧みな方でしょう。

新派和歌評釈


●語の選択について●

・選択の効果

さ夜なかと吾が心さへさだまりて月の光に書よまむとす/今井邦子

 昼は周囲の刺激のために騒立っている心も、夜は静かになる。まして月の夜は一層で、これは誰しも経験するところである。この歌はそれであるが、詠み方に特色を持っている。
「さ夜なかと吾が心さへさだまりて」は、右にいった心があるが、第一に「さへ」という言葉がよく利いている。これは「までも」というに当るもので、この一語によって「さ夜なか」の静かさをはっきり現わしている。第二は「さだまりて」という言葉である。これは意味としては「鎮まりて」といっても同じであるが、こういった方が、昼の騒立ち方のはげしかったのが、一層よく現われて来る。「月の光に書よまむとす」は、さだまった心の状態をいったものである。「月」は折柄あらわれているものであるが、実際は、いかに明るい月でも、その光では書物は読めない。それを読もうとするというのは誇張である。だがこの誇張は無理のないものに感じられるところがある。それは心が定まってい、又それを定めるうえで役立った月であるから、極めて明るいものに感じられたろうと察しられるからである。即ち誇張ではあるが、不自然ではなくしているのである。
 一首の心はふつうなものであるが、それを扱う神経が、細かく、又強く働いているので、異常なもののように感じられ、それとこれのもつれが面白く思われるのであ。心理的な面白味といえる。

短歌の鑑賞


・素朴さの効果

腹かかへ笑ふものごゑの中にゐて寂しく(われ)は目をみはりけり/斎藤茂吉

大勢の人が楽しく賑やかにしている中にいて、自分は一しょになれないのみならず、著しく寂しさを感じさせられて、その楽しく賑やかにしている人を不思議なもののように感じたというので、誰しも、ある時には経験させられる感情である。こうした感情をいう時には、多くの場合、批評的になって、吾を批評し、他を批評する気分になりがちなものであるが、この歌は「寂しく吾は目を睜りけり」というだけで、驚き怪しんだ心だけで打切っている。これがこの歌の魅力になっている。「目を睜りけり」という言葉は、いかにも働きのある、面白い言葉である。

短歌の鑑賞


・古語の効果

向つをに夕日かぎろひ眼もはるの河原蓬に秋風なびく/太田水穂

語注は解説にあり

 秋の夕暮、野に立っていた。秋のあわれは夕暮れにある、つるべ落しと云われる日は、ぱっと紅く成ったかと思うと、う向いの山に沈もうとする。眼を移すと、自分の前の河原の、川下かわしたかけて生い茂っている蓬にそよそよと、秋風が吹き起って、其の葉を(ひるがえ)している。
 ついでに、「向つを」と云うのは古語で向いの(みね)ということ。「眼もはる」も古語で眼も遥かにと云うことである。古語を使うと云うことは大躰としては好ましくないことだが、斯うした境を描くには素朴な古語の方が適して居るように感じられる。

新派和歌評釈


・固有名詞の効果

昨日かも有津あらうづの海を絵にきし樋口一郎兵に召されぬ/吉植庄亮

現在の事変には(注:日中戦争(当時の呼称では支那事変)のこと)、この種類のことがどれ程あったとも分らない程に多い。しかしこの歌は、妙に感銘深いものとなっている。それは「有津の海」と「樋口一郎」という固有名詞を用いている為である。有津の海は知っている者があっても、樋口一郎を知っている者はおそらくない。しかし固有名詞には、その物としての魅力があって、読者に深く感じさせるものがある。万葉集の作者の好んで用いた手法が、作者によって活かされている趣がある。

新派和歌評釈


●音に注目する●

・押韻

百間の大き弥陀堂みだどうひとしきり煙みなぎり京の日くれぬ/与謝野晶子

 京都の姿、京都の心を思って見たならば、誰しも静かに、(しめ)やかに、そして何処ともなく長閑のどかに感じて来る。かかる感じを最も力強く起させるのは何かと云えば、其れは大きな寺であろう。そして何時いつかと云えば、今や日の暮れんとする時である。黄昏、その寺々に焚かれる香の煙の、一しきりさかんに見え、其れが漸くに薄れて淡く、やがて暮色と差別がつかなくなって行くのを見て立っていたならば、此れが京都の生命いのちであるとも思えるのであろう。
 中心の一点を捉へ描いて、其の全体を想像させているのは、たくみと云わねばならない。「百間の大き弥陀堂」とやうに漢字を多く用い、促音をも(まじ)えているのも、景に適わしく感じられる。「一しきり煙みなぎり」とように第二韻のイキシチニの弱く細い韻を用いているのも情に適わしく感じられる。

新派和歌評釈

・調べ(調子)

萩きけば母かとおもひ蘭きけば祖母おほばとおもふ秋かぜの家/金子薫園

 秋の一夜ひとよ、まぎるる物もなく静かに、何となく寂しい時です。ふと相次いで故人となられた母のことを思ひ、祖母のことを思つてゐると、折から風が吹き起って来ました。
 風は遠く吹き来り、遠く吹き去って、小さな家を弄ぶがように思われて、一層に寂しい。そして家の周囲まわりに吹きたまって、庭にある萩に音を立て、蘭に音を立てています。
 所が、耳を澄まして其の風の音を聞いていると、萩のさやぐ音は、今まで思い続けていた母の声のように聞え、蘭のさやぐ音は、祖母の声のようにも聞えて、寂しい中にも、二つの声が頻りに懐かしく聞えたというのです。
 単純な言葉の中に、よく情が(こも)っています。そして全体の調子が、如何にもしんみりとして、感情の調子を伝えています。

新派和歌評釈


●思想から読む●

いつかしき宮のうちにも入るごときこの静けさを我は歩むか/水野葉舟

厳かし……いかめしい

 我々は見慣れると見慣れるほど、其の物の本当の姿を知る事が出来なくなる。此の不思議な世界の中に住んでいながら、其の不思議に驚かず、人という不思議な者を相手にしながら、其の不思議にも驚かなくなります。そして偶々たまたま其の不思議に触れる事が出来ると、今更の様にも怪しむというのが普通です。
 平常へいせいは此の世界を我々の家の様に思い、我々の勝手に出来るものの様に思っていたが、今見れば世界は其様そんな所ではなく、誠に神の大御心を籠めて造られたるもの、神の住ませ給う宮殿である。斯く思ひつつ自分は、仰いで其荘厳なるに怖れ、静粛なるに怖れつつも此の中を逍遥さまよっていると云うのでしょう。

新派和歌評釈

●読み下す●

うち競ひたぎつ白浪落ち来れば小渦大渦捲きくるめくも(阿波鳴門)/尾上紫舟

たぎつ……水が激しく流れる
くるめく……円を描く
も……詠歎の終助詞

 題のように鳴門の歌である。句を追って読んで行くと、忽ち鳴門が近々に現われて、作者と供に見ほれているような気にされる。面白く気持のよい歌である。鳴門を知らない筆者には、こうした構えたところのない作が嬉しい。

新派和歌評釈


※このnoteは二部構成であり、二部では短歌の「調べ」を丁寧に考えていく。明日公開する予定である。

●参考文献●

「短歌の鑑賞」(『窪田空穂全集 第7巻 歌論Ⅰ』, 角川書店, 1965)
「新派和歌評釈 附作法」(『窪田空穂全集 第12巻 近代短歌論』, 角川書店, 1966)


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