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私と短歌(7)ひの朱寝さんの場合

はじめに

「私と短歌」は、ぽっぷこーんじぇるがツイッターを活動の場とする歌人にインタビューをする(そして自分もちょっと喋る)企画です。
第7回はひの朱寝さんです。

🍿ぽっぷこーんじぇる
💭ひの朱寝


1.自己紹介/モチーフ/短歌とは

🍿まずは簡単な自己紹介をお願いします!

💭こんにちは!平成7年7月7日生まれの、ラッキーセブン!ひの 朱寝しゅねです!主な活動としては、短歌を詠んだり詩や小説を書くことが多いですが、写真を撮ることも好きで、おしゃれも好きです。作品は「死」「かみさま(ここで言うかみさまは概念的なものであり、特定の神や宗教を表してはいません。言ってしまえば、私の思う“かみさま”です)」をテーマにすることが多く、暗い作品が多いですが、根はおだやかでやさしい人間だと思っています。よろしくお願いします!

🍿ひのさんは短歌に限らず、詩や小説までつくっているのがすごいですよね。今回のインタビューで読み比べてみたいなと思います。 ひのさんの様々な創作、あるいは趣味のなかで、短歌はどのような存在ですか?

💭改めて考えると、とても難しい問いですね。
 これは個人的に詩や小説にも通用することなのですが、自らが「かみさま」になれるもののひとつ、だと思っています。言うならば「創造主」みたいな。中でも短歌は少ない文字数や音数のなかで「   」を創っていきますよね。そしてそれは本当に何でも良くて、普段の生活であってもいいし、人に対する感情でもいい。何かに縋るような吐露でもいい。風景などを車窓から見るようにただ並べてみるだけでもいい。だから、短歌は他の創作よりも特に強く、そしてすんなりと、私を「かみさま」にしてくれるんです。
 「かみさま」と連呼しているとちょっと怪しげですが、そうではなくて、小学生が自由帳に描いた世界がそのまま具現化していくような、そんな夢物語のような良さが短歌にはあって、「   」をあの短い文章の中で創れてしまう。
 詠んだ一首一首の、そしてそれを詠んだその時の「かみさま」が私なんです。

🍿なるほど、なるほど、すごくよくわかります。
詩や小説はやや長くて、それが自分から出た表現ではあるけど、作品として出来上がるまでに何度か展開(変化)を加えないといけませんよね。対して、短歌は自分の考えや感じたこと、あるいは夢想のようなものを、そのひとかたまりで、書き殴りのメモのままで作品にできるのがいいところだと思います。
ついでに、俳句はすこし短いですから主情を押し出すことは難しいですね。このあたりは短歌の特権かもしれません。

小さな夢物語としては、自分は笹井宏之の歌が浮かびます。たとえば「水田を歩む クリアファイルから散った真冬の譜面を追って」なんて、短歌にしかできない表現だと思います。

💭そうなんです、長さという「猶予」があると自分が創る世界にある意味でのノイズが生まれるというか、それが詩や小説としての上手さや面白さにも繋がるのですが、短歌はその猶予がないからこその「自由」があるというか。説明をしなくてもいい、分かってもらえなくてもいい、ただ創るということ詠むということに専念できる、もしくは、そもそもが「専念する」という意識すらなく作品が出来上がることもある。ぽぷじぇるさんが引用してくださった笹井宏之の「水田を歩む〜」も、おそらく読み手側は、詠み手の世界のすべてを理解することはできないと思うんですよね、もちろん良さは分かるけれど、100の力で「笹井宏之の世界」に干渉できるかと言われればそうでない。でも、そこが短歌のすごくいいところだと思っていて、詩や小説よりも説明の割合が少ない分、自分の世界をより質感を持ったまま(本当に手に握りしめて守るような感覚で)守れるような気がします。
 だから基本的にうたの日やツイートなどに載せる短歌などに対して「別にそう思って詠んではないんだけどな」と思う評や感想が付いても、「まあ、私の世界ですし、私が分かれば十分」と思っています。
 そう思うと、私の短歌はわりと放り投げタイプなのかもしれません。「ハイ、詠みました」の後は、もうどう扱われようと私の世界だから傷も付かないし、技術を向上させるためのアドバイスとして吸収するところはして、そのあと、詠んだ短歌たちが(そしてその個々の世界が)誰かに触れていくのを待つだけです。
 つい長く語ってしまいました……すみません!

🍿いえいえ!丁寧に書いてくださってありがたいですし、内容も刺激的なので読んでいて楽しいです。 短歌を詠むときに「自分の世界を、その質感をできるだけ保ったまま詠む」と考えるのはものすごくいいことだと思います。有名な歌人は自己流の歌風があって、読者がそれを分かろうとするようなところがあると思うんですよね。だから、放り投げる感じでいいんだと思います。
また、ひのさんは「死」と「かみさま」という自覚的なモチーフがあるので、連作や歌集としてまとめたときによりよい効果が生まれそうだなと思いました。

💭ありがとうございます、こちらも話していて改めて短歌によって自己分析ができてとてもたのしいです!
 そうですね、連作として詠んでいなくても、過去に詠んだものからいくつかをピックアップしたときに自然と連作のようになるような、そんな一貫性(癖のようなものかもしれません)が私の短歌にはあると思います。もちろん、たまにそれを逸脱する、自分でもびっくりするような個性のある短歌が生まれる時もありますが!


2.きっかけ

🍿短歌をはじめたきっかけはなんですか?

💭短歌をはじめたきっかけですが、これは本当に感覚的で。とても暑い夏の日に、スーパーの駐車場を歩いていた時に「暑いな」「なんだかプールを思い出すな」と、思ったんです。今でもその時のことは鮮明に覚えていて、情景が染み付いています。そこでなんとなく、「引っ張られるような2限目プール後 タイムスリップ2階駐車場」という短歌が生まれました。両手に重い買い物袋を持っていて、音数も頭で数えたので今振り返ってみるとかなりクセが強めの破調なのですが、いい短歌だなと思います。もしかしたら、詠んだからこそ今でも情景が残っているのかもしれません。
 そのあとに家に帰ってさっきの短歌をメモしてみて、「うん、よし、短歌やってみようかな」って。その時は「破調」なんて言葉も知らない素人だったのですが、その後もルールを軽くさらうくらいで特に型を気にせずやってみようと思って、なんだかんだで今に至ります。なので短歌や俳句などの専門的な知識はほとんど無くて、今も手探りで短歌を詠みつづけています。

🍿本当に、短歌と出会ったんですね。ちなみにそのときは、たとえば俵万智さんのような現代短歌(現代口語短歌)は頭の片隅にありましたか?

💭ありました。短歌について考えていくうちに、まさに俵万智さんの短歌がふと浮かんで、「あ〜〜そういえば授業で習ったあれも短歌か!」みたいな。本当に失礼な話なのですが、文字通り「片隅に」くらいの感じでしたね。学生の頃は、本を読む量は人より多くても「創作」をすることにさほど関心が向いていなかった(創作というかたちの感情のはけ口をまだ見つけていなかった)ので、リアルタイムで短歌を学んでいた頃の記憶はほぼありません。授業だからただ聞いていた、くらいの質感だったので、今これだけ短歌を好きでいられていることが嬉しいですし、なんだか不思議な感じもします。

🍿ちなみに小説や詩をつくるようになったのは、短歌より後ですか?前ですか?とくに詩はつくる人が少ないと思うので、きっかけが気になります。

💭実は、一番最初に触れた創作は「二次創作」なんです。一応ここではジャンル名などは伏せますが、その作品の二次創作を3年程前(調べてみたら初投稿は2020年10月27日でした)に始めて、しばらくはその二次創作だけを別名義アカウントでしていました。そんな中で、創作に対する信頼だったり安心感が強くなっていき、「もっといろいろな創作に触れてみたい」と思い、今のひの 朱寝のアカウントができあがりました。
 そこからはまず、気になっていた一次創作の小説から始まり、短歌と詩はほぼ同時期に触れていきました。短歌ばかりの時期や詩ばかりのときもあったりします。
 また、詩をつくりだしたきっかけというのは特になく、書くべくして書いたというか、「ああ、こういう感情って、こうして文字にしてようやく居場所として落ち着くのだな」と納得したりもして、冒頭で話したように短歌が私を「かみさま」にしてくれるとしたら、詩は「感情の居場所づくり」、小説は単純に「私が読みたいものを書きますので」という感じです。特に小説は、個人的な趣味や趣向がかなり偏っているので自給自足のために書いていることが多いです。
 エブリスタというサイトに創作のほぼ全て(短歌・小説・エッセイ)を載せているのですが、そこでの交流もあってどんどん「創作すること」にハマっていきました。
 すみません、少し話が脱線しました!

🍿これでひのさんの創作の全体像が見えてきた気がします。小説と詩と短歌、それぞれ違った場所にあるんですね。


3.感じたこと、よかったこと

🍿短歌をつくりはじめて感じたこと、よかったことはありますか?

💭感じたこととしては、「人と私は違う固体なんだな」と「納得」ができたことがとても大きいです。自分が変わってるだとかそんなふうに言いたいわけでは決してないのですが、物心ついたころから登校班で一列に並んで登校して、同じ時間割で同じ教科を学び、ある程度の歳からは「選択」というふわっとした責任を与えられつつ、まあまあ周りと同じように決められた行動を求められ、そんな中で自他の境界線が曖昧になっているような感覚が幼いころから常にあって。そこで短歌と出会って、ことばの選び方ひとつによって表現される個々の世界の「差」、そして詠む人と私との「差」がとても明確に見えてきました。そこでとても安心したんです。端的に言ってしまえば、みんな違ってみんな良いんだ、みたいな。なんか、そんなに気にしなくても、みんなこんなに違うじゃん?って。
 だからどうしても読解できないクセのある短歌に出会ったりするとすごくすごく嬉しくなります。この人と私は違う人。見えている世界も違うだろうし、じゃあ、そんな私の今日って、しっちゃかめっちゃかでも別にいいんじゃない?と。自分の生活の至らなさや日々の悲しみだったりを、短歌を通して見る他者との境界線によって納得することができるんです。許し、だとも思っています

🍿自己表現としての短歌ですね。自分のつくった短歌には、どうしても自分らしさみたいなものがにじみ出てきます。個人的には、それがいま短歌が親しまれている理由の一つになっている気がするんですよね。つまり、とても小さな箱のなかに、〈私〉が、もしくは〈あなた〉がいる。それはインターネットという〈私〉と〈あなた〉が近いようで隔たっている空間のなかで、やや特別な位置にあるように思います。


4.作りかた

🍿短歌をどのようにつくっていますか?

💭基本的にはスマホの創作用のメモアプリでつくっています。詠みたいと思った情景や心情を頭に思い浮かべながら、また、このフレーズは絶対に入れたいな、と思ったものがある場合にはとりあえずメモをしてからつくります。
 具体的には、ひらがなで数えやすいように文字をそのまま変換せずに並べて音数を意識してつくるときもあれば、最初から漢字に変換をしたまま「目に入ってくる質感」を意識してつくるときもあります。短歌って、どこを漢字にするかどこで空白を入れ込むか、句読点はどうするのかによって見え方も読み方も変わってくるので、ツイートの時と画像化して投稿する時では、同じ短歌でも字のひらきかたや、一人称の表記など(ぼく/僕/ボク)が違うこともあったりします。どこをひらくか、どこを閉じるかを考えて短歌を調整する作業が私はとても好きです!ピタ!とハマったときには思わずニッコリします!笑
 思えば、これは詩をつくるときの改行、ひらがな・カタカナ・漢字・アルファベットのどれを選ぶか、空白はどうするか、などの個人的なノウハウみたいなものが活きている気がしますね。

🍿なるほど、一字一字の表記まで考えるんですね。ツイート(横書き)と画像(縦書き)で質感が変わるというのも、たしかにそうですね。あまり考えたことがありませんでした。


5.作るときの気持ち

🍿短歌をつくるときはどんな気持ちですか?

💭気持ちとしては様々で、「吐露」「個人的な救いの求め」「過去の咀嚼」「救いたい」など、感情の向く方向はその時々で全く違いますが、「伝播させたい」というのが共通の気持ちでしょうか。私から出た喜びや悲しみ、あるいは憎しみだったり、頼むから誰か助けてくれよという乞う感情、そして、どんな人もやさしく穏やかに生きられればよいのに、というおこがましくて大げさな願いなど、様々な感情から短歌をつくっていますが、願わくばこの気持ちが伝播して誰かに届けばいい、そう思ってつくっています。届いたあとにどう感じるかは受け手の自由ですが、もし叶うのなら、私の短歌が誰かのなにかのきっかけになれば、常々そう思いながら、自然と短歌が増えていきます。

🍿これは文学に限らず、言葉というものは自己の表現という側面と、相手への伝達という側面を併せ持っています。このうち自己表現への欲求が強くなると文学になりますね。
短歌が自分の思いを一つずつパッケージして相手に送るものだとすれば、それは投瓶通信ボトルメールのようなものだと思うんです。あくまで自分の生の感情を込めるのだし、それが100%届くとは思わないけど、いつか誰かに何かが届くものだと信じて海に放りだす。 先に仰ってくださったように、短歌を受けとる側も100%理解できる必要は必ずしもないんですよね。そこに相手の感情のようなものが、叫びのようなものが届けばいい。こういう文学の考え方はしっかりと存在すると思います。

💭投瓶通信、とてもしっくりきました。あれってただ「届けばいいな」という気持ちだけではなく、私が先程お話ししたように、時には呪いにも似たおこがましさや救いを求めるような感情、またはエゴなども含まれていると思っていて、完全なる善意の塊ではないところがとても好きです。創作も、そしてもちろんその中に含まれる短歌も、そういった綺麗過ぎないエゴを含んでいても良いのだと、そう許されるところが、活動するにあたって重要な居心地の良さになっているのだと思います。
 完全だと言えるほどに綺麗なものも好きですが、目を逸らせないような人の暗さや醜いと呼ばれる感情、エゴ、そんなごちゃごちゃとしたものが好きだということは、わりと分かりやすく私の短歌の中に現れていると思いますね。

🍿様々な感情がミックスされてこそ人間味のある作品になる、と言えるかもしれませんね。


6.好きな歌/への返事

🍿どなたかの好きな短歌を教えてください!

💭川北天華さんの

問十二 夜空の青を微分せよ 街の明りは無視してもよい

です!

🍿理由を聞いてもいいですか?

💭この短歌を読んだ時、「もうこの手の短歌は私には詠めない」と思いました。専門用語や数学記号を短歌に用いることは現代短歌においてイレギュラーではないと思うのですが、文理の融合といいますか、ここまでしっくりくる「問十二」から始まる短歌はこれ以外ないとまで思っています。私が今後どれだけ「問十二」から始まる短歌を読んでも絶対にチラつくのはこの短歌だな、と。「問十二 夜空の青を微分せよ」の、学生時代何度も目にしたテキストの問題文のなぞりからの「街の明りは無視してもよい」の視野の広さ・落差の、私の短歌との違い、そこに唸りました。正直、嫉妬しましたね。すげ〜悔し〜〜〜って。笑 比喩や表現の幅には多少自信があったのですが、こういったガツンと心に残るような短歌に必要なのは何なのか、この短歌をたまに思い出しながら、今でも考え続けています。答えはきっと一生出ないままなんだろうなと思います。
 でも面白いのが、この短歌は川北天華さんが高校生の頃に一番評価が悪かった作品なんだそうです。
 私は大好きです、この短歌が。しかもこれ、これだけユーモラスなのにも関わらずしっかり定型なんですよね、は〜〜〜、敵いません。

🍿川北さんの歌が学生のときに評判が悪かったというのは、学生のなかではこの歌がただの問題文のパロディとして読まれたからかもしれませんね。
短歌はひとつひとつが記憶されやすいので、優れた歌は短歌の世界の中に刻まれるようなところがあります。特にこの歌は初句のインパクトが強いので、同じ「問十二」からはじまる歌をつくるのは難しそうですね。
同じように、たとえば「するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら」(村木道彦)も、同じ初句を使った歌はつくりにくいんじゃないかと思います。ちょっとずるいなと思っちゃいますよね笑
ただ、短歌には本歌取りという技法があるので、川北さんの歌の〝お返事〟はつくれるかもしれません。

💭わ!お返事!いいなあ。本歌取りを用いて今の私が詠むとしたら「問十二 それだけがまだ解けなくて 居残りとしてひかる教室」ですかね。ぽぷじぇるさんからのお返事を読んでいま詠みましたが、なかなかお気に入りです!すてきな機会をくださりありがとうございました!

🍿わっ、すごくいい歌ですね!!びっくりしました。エピソードも相まってとても輝いて見えます。ちゃんとしたお返事になっているんじゃないでしょうか。


7.ひの朱寝さんの短歌と詩について

🍿ひのさんの短歌を読ませていただきました。およそ500首ほどでしょうか。いくつかピックアップして感想をお伝えしたいと思います。

怪獣も好き嫌いとかありますか真面目な人はお好きでしょうか

「真面目な人はお好きでしょうか」と問う、その人が真面目ですよね。きっと怪獣に恋してしまって、これから告白するのでしょう。「好き嫌いとかありますか」というややデリカシーに欠ける質問も、真面目さの現れだとしたら好ましく感じられます。それだけ切実な思いなのでしょうね。

神様に出した手紙がここにあり日が差していま、かみさまになる

最初は手紙を出した主体が「かみさまになる」のだと思いましたが、そうではなくて、手紙そのものが神様になるのかもしれません。神様に手紙を出すのはきっと救いを求めるときでしょう。その手紙がここにあって、神様が願いを聞いて、いま手紙に成り代わって目の前に現れる。上の句から下の句への転換が見事です。

四季があることを知らずにいもうとは毎日ちがう季節を生きた

「四季があることを知らずに」と聞くと悲劇的な想像をしてしまいますが、ここでは単に幼い子どものことだと考えます。まだ幼くて外の季節を認識することができないために、長袖を着たり半袖を着たり、梅雨でも笑ったり夏でも走りまわったりして、「毎日ちがう季節を生き」いる。親が服を選んでいるのでしょう。着せ替え人形のようですが、豊かな表情を見せてくれるはずです。自然と顔がほころんでくるような歌ですね。

かみさまのあくびがうつりじんるいはあらそうことをすこしだけやめた

この神様が人類を救おうとしてないのがとても良いですね、変な言いかたですけれど。だから、人類が争いをやめたとしても「すこしだけ」なのでしょう。たしかに、それは今もそうですよね。

「ブランコで神様泣いたらしいって」「別にそんなの興味無いなあ」

一つ前の歌もそうですが、ひのさんの「神様」は必ずしも救世主ではないんですよね。どちらかというと救いきれない神様を詠んでいるような気がする。統一的なイメージはややあいまいですが、神様が人間に近づいてきたような、人間が神様に近づいているようなところがあります。このイメージはとても面白く、今後の展開が楽しみです。

評は割愛させていただきますが、ほかにもよかった歌を引用しておきます。

恐竜も恐竜関係悩んだりささくれてたりしたよね多分

蓋裏のアイス舐め取り上向いてとことん生きるとことん生きる

生活は折りたたまれたバスタオルそれを洗ってまた干すことの

上にあるバスのボタンを押すときに「はーい!」と言いたくなっちゃう春

各駅に停まる真似して後悔をひとつひとつと下車させてゆく

そして、ひのさんの詩を読ませていただきました。

   
ぽつぽつザアザアと、こちらのことなど気にもせず自由に降る雨のように。言葉だってもっと降らせることができたらなあ、なんて私は思うわけです。濡れた服を乾かしながら思うのです。読む人それぞれが傘をさしているのなら、少しばかり自由に言葉を降らしたっていいんじゃないかって、思うのです。

 いい詩ですね。「読む人それぞれが傘をさしているのなら、少しばかり自由に言葉を降らしたっていいんじゃないか」と言っていますが、「私」は「濡れた服を乾かしながら」そう考えているんですよね。実は誰かに、「私」の降らす言葉の雨に濡れてほしいと思ってるんじゃないかと勘繰りたくなります。

   スプーンとフォーク
右手で持ったスプーンに乗せたやさしくやわいうすいろの海
左手で持ったフォークで刺したつめたくかたいあわいろの風

私は静かに目を閉じ味わう
昔と変わらず、

「海も風も食べにくいね」

それはさておき、
人をひとり減らしておきました

これは、ある意味では「私」が「神様」のようになった詩なのかもしれません。「うすいろの海」「あわいろの風」を食べる「私」はたしかに人間離れしています。「『海も風も食べにくいね』」までならそれで終わりですが、最後の二文が絶妙ですね。おだやかな態度からの豹変がすぐれて効果的に働いています。
もう一つ、感想を割愛させていただき、詩を引用してます。

   さいごに
「キミとボクとじゃ見ているものが違うんだ」
そういう君には何が見えていて、
こんな僕にはなにが見えていなかったんだろう
 君が笑っていたそのすがたも
 君が泣いていたそのすがたも
 ほんとうはニセモノだったっていうの
 僕にはほんとうにこれっぽちも
 見えていなかったって言うの
 君はいつだって狡かった
 何も見せないまま
 何も言わないまま
 僕はただその笑顔にあんしんなんかしちゃって
 馬鹿だなあ

 聞いたよ、空を飛んだんだって
 また僕には何も言わないまま
 同じ景色は見せてくれないまま
 ねえ、なにいろだった
 さいごにくらいおしえてよ。

💭どの短歌も、詩も、深く読んでいただけてとても嬉しいです。それも、「無闇矢鱈に探る」ではなく、考察こそすれど極めてフラットに読んでくださっているのが本当に嬉しかったです。
 その中でも、作中の神様に対しての言及の中で「必ずしも救世主ではない」や「救いきれない神様を詠んでいるような気がする」と言っていただけたのは、個人的にかなり「私/私の詠む短歌への肯定」と捉えることができたというか。おっしゃる通り、完璧な神様というのはあまり私の短歌には出てこず、それはなんとなく「完璧でなくてもいい、ほら、神様だってこんなんだしね」という、自分や、あわよくば他者へのメッセージにもなっているというか。なってくれたらな、みたいな。なのでとても嬉しかったです。
 詩もたくさん提示した中から選んでいただき、ありがとうございました。おそらくかなり時間がかかったのではないかと……!その熱量がとてもうれしく、今回、インタビューを受けて良かったなぁ、と思いました。おそらく初めてのインタビュアーがぽぷじぇるさんのような作品に真摯に向き合ってくださる方でなければ、私個人に作品に対してのこだわりや譲れない意地みたいなものがあるゆえに、「語られてたまるか!」みたいな気持ちになってしまい、インタビューをお願いしていなかったと思うので。笑
 ……素直というか、偏屈というか。だからこそ私の作品に対して真っ直ぐな人には作品を委ねたくなります。読んで読んで!教えて!って。  そして、今改めて自分のつくった短歌や詩を読んでみて、あぁいい作品だな、と思うことができたので本当に良かったです。
 たくさんのお時間をいただいたと思います。本当にありがとうございました!

🍿そう言っていただけると本当に嬉しいです。歌の感想や評をどう書くかはインタビューを続けていく上での課題でもあります。ひのさんにここまで評価いただけたら、ちょっとは自分の読みを褒めてもいいかもしれませんね……笑
こちらとしても、とても楽しく学びのあるインタビューでした。継続的に作品をつくっていること、心から尊敬します。一層のご活躍を祈念しています。ありがとうございました!


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