「死がふたりを分かったとしても…。」
幼馴染のタロウがわざわざ離婚報告にやってきたのは、春先のことだった。
そして、季節は流れて夏の終り・・・。
また、タロウがやってきた。
「先生!俺、難病を抱えているんです!」
午前中の診察が終わるのを待合室で待っていたタロウは、最後の患者さんが帰ったのを見計らって診察室に入ってくるなり、開口一番そう私に言った。
「どんな病気なんですか?」
診察の後片付けをしながら、私は素っ気無くタロウに聞き返す。
「じつは、俺・・・・・・浮気性なんです~」
「はぁ~・・・それは、現代の医学をもっても治せません!」
「え~。そんな簡単に言うなよ。古来から誰しも一度はかかってしまう、恋の病の一種でしょ?」
「恋の病・・・ていうか、それはただ本人の誠実さの問題で・・・」
私はそこで話を止めて、白衣を椅子の背に掛けると、
「ランチご馳走してくれたら、治療法を教えますよ・・・」
と言って、タロウの肩に手を置き、診察室を出て行こうとした。
するとタロウがいきなり、
「治療方法はいいから、すぐに治せる方法があるんだよ!」
「そぉ~・・・だったら、自分で治せばいいじゃない・・・」
と私がまた素っ気無く答えると、
「そうじゃなくて、治すのにはお前の協力が必要なんだよ~」
「なに?心の病気に効く薬は、簡単に処方しませんよ・・・」
「だから、そんなのじゃなくて・・・とにかく、俺と結婚しよう!」
タロウがいきなり“結婚”なんて単語を口にしたので、私は思わずびっくりしてドアに頭をぶつけた。
「うわぁ!・・・大丈夫か?」
そう言ってタロウが私に駆け寄ってきて、優しく頭を撫でたので、私はさらに驚いて、
「そんな冗談ばかり言いに来る暇があるなら、さっさと原稿上げなさいよ!どうせまた書くネタに困って、私のところに来てるだけなんでしょ!!」
と、私はそう高声を上げると、タロウの手を勢いよく振り払い、彼を病院からたたき出した。
タロウに「結婚しよう!」と言われたのは、これで三度目だ。
最初の時は、まだ2人とも中学生で、「お互い30過ぎても一緒になる相手がいなかったら結婚しよう・・・」なんていう、将来に対する不安と憧れと、何も知らないコドモの都合のいい約束だった。
二度目は、タロウが大学を卒業して就職のために私と離れた暮らしになった時、「お前が大学を卒業したら迎えに来るから、俺と結婚してほしい・・・」と、桜が咲いた公園のベンチで、少しはサマになった将来の約束だった。
でも結局、私はその言葉に首をタテにはふることはなく、こうして現在に至っている。
私より二つ年上のタロウとは、家が隣同士の幼馴染で、長年お互い家族ぐるみの付き合いがあった。
一人っ子で両親が共働きだったタロウは、幼い頃からよく私の家で食事をしたり寝泊りしたりと、兄妹のように一緒に育った。
物心ついた時から浮気性・・・というか、根本的にタロウはフェミニストな男だったから、女性からの誘いには流されるタイプの人で、見た目はほんわとしたやわらかい雰囲気で温厚そうだったけど、何気に女性でのトラブルは派手で絶えず、いつも最後は私に泣きついてくるようなありさま・・・。
そんな私にとってはダメ男でしかなかったタロウが、私にいきなり「同業の人と来月結婚するから・・・」と告げに来たのは、私が当時付き合っていた彼と、「大学を卒業したら結婚するから・・・」と、タロウに打ち明けたすぐ後のコトだった。
タロウはそれから数ヵ月後、私に会いに来るコトもなく、そのまま仕事の都合で奥さんと一緒にフランスに行ってしまい、それから数年はまったくもって音沙汰無の状態…。
お互い何も知らないところで、それぞれの人生を進行させていた。
じつは、私がタロウに結婚すると告げた時には、もうすでに付き合っていた彼とは別れていて、「迎えに来る…」と告げたタロウの気持ちが本当だったのかどうか私は知りたくて、あんな嘘をついてしまった。
彼が私に本気だったのなら、私のコトを奪い去るくらいのコトはしてほしい…と内心思っていたのだが、タロウは案の定、私の結婚の話をあっさり聞き入れ、私のコトを奪い去るような行動に出たりはせずのまま…。
その上、いきなり彼からの結婚発言に、私は逆に面食らった。
そういう“逃げ方”を彼が選ぶとは、さすがに想像していなかったからだ。
“私に対する彼の気持ちなんて、結局何の意味も成してなかったのか…”
と、自分がしかけたトラップに、自分自身がはまってしまったような気がして、私は彼が渡仏した後、自分が考えていた以上にタロウのコトを想っていたのだと、その時初めて気がついた。
だったらどうしてあの時、正直に自分のキモチをタロウに打ち明けなかったのかと、後悔すらした。
なのに、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、タロウはまたこうやって私の前に何事もなかったかのように現れ、軽々しくも「結婚しよう…」なんて言葉を口にしている。
今の私は、もうそんな彼の言葉を素直に受け入れるだけの器はなく、それよりもなによりも、タロウに対する不信感だけがあの時から消せないままだ。
タロウのコトを好きなのか嫌いなのか…と訊かれたら、きっと「好き…」だと答えるだろう。
でも、そこに恋愛感情が成立するかどうかは、今となってはよくわからない。
たとえお互いの間に恋愛感情があったとしても、それでも私の人生とタロウの人生をこの先ずっとリンクさせていいものなのか、それは限りなく不透明な未来にしか思えなかった。
かといって、タロウと疎遠になっていたこの数年間、私はまともな恋愛をできずにいた。
恋人がいた時期もあったが、そこに本当の意味での想いはたぶんなく、いつもどこかキモチは上の空な感じだったように思える。
だから、そんな私に相手はいつの間にか愛想を尽かして、気が付けばいつの間にかその恋は終わっていた。
そんな恋を繰り返していくうちに、私は自分がタロウでなければダメなんだ…と、ただそんなコトを実感させられるだけで、心の中にある一部分がいつまでもからっぽのまま、それを埋める手段を探し出せずにいた…。
最後の患者さんが帰った後、見計らったようにタロウがまたやって来た。
診察室のドアのところに立ってタロウが、「さっきはゴメン…」と言ったのを私は聞こえないフリをして片づけを始める。
するとタロウは何の脈絡もなく、今度はこんなコトを言った。
「俺はお前じゃないとダメなんだよ…」
その言葉に片づけをしていた私の手は止まってしまったが、振り向くコトはしなかった。
「だからお前が“結婚する…”て言った時、本当は奪い去ってしまいたかった…。でも、お前の幸せを壊すコトなんてやっぱりできなくて、あの時は必死で諦めたんだよ」
「いっそ、奪い去ってみればよかったじゃない…」
「えっ?」
「自分が私を幸せにしようとは思わなかったの?“お前を幸せにできるのは俺くらいだ…”とか、それくらい大口たたいて、私のコトを奪ってみればよかったじゃない!」
私はこみ上げてくる熱い感情に我慢できず、振り向いてタロウにそう言い放った。
すると次の瞬間、自分の瞳から無意識に涙が溢れ出してきて、私は自分がどれほどタロウのコトを好きで居続けたのかをその時はじめて実感すると共に、その想いをタロウ自身に直接まともにぶつけているコトに気が付いた。
私はその場から動くコトができなくなり、それよりも、抑えきれなくなった感情と共に止め処なく溢れてくるこの涙の意味が、タロウに今どんなふうに伝わっているのだろうか…。
すっかり静かになった診療室に微か私の涙声だけが聞こえ、親しい間柄のふたりに広がる“沈黙”というものが、これほどの恐怖と恥ずかしさを自分に与えるのかと思え、尚更収拾がつかなくなっていた。
でも、そんな私の様子にタロウは意外にもまったく動ずるコトなく、黙って私の方に歩み寄るとそのまま優しく抱きしめながら、「ゴメン…」とただ小さく呟き、さらに私をギュッ…と強く抱きしめてくれた。
私はそんなタロウをもう突っぱねる力もなく、ただそのまま彼の胸の中で泣き続けた。
時折、私の頭を撫でてくれるタロウの手はとても温く、それはまるで私の冷めていた心を温めてくれているようで、この心地よさを私は小さな頃からずっと好きだったのだ。
「俺だけが本気だったんだって思ったんだ。だからあの時、すごく悲しくなった…」
タロウのその言葉に、私はようやく顔を上げた。
「お前の気持ちを確かめるのが怖くて、いつも一方的に約束をしてたんだよ。だけど、お前は俺からの約束を否定するコトも拒むこともしなかったから、気持ちは伝わっているものだと思ってた」
「私は冗談だと思ってたよ。タロウは誰にでも優しかったから…。誰にでも言っている“約束”なんだ…て、そう思ってた」
「ゴメンな…。俺がもっとお前にわかり易くちゃんと気持ちを言葉にして伝えていればよかったよ。そしたら、お前に長い間、こんなおもいをさせるコトはなかったのになぁ…。俺ってどこまでいい加減で最低なヤツなんだろう」
そう言ってタロウは私のコトを、また力強く抱きしめると、
「もうお前を手放すようなコトはしたくないよ…。だから、どちらかが死ぬ時が来るまで、ずっと俺のそばに居て欲しい。お前と一緒に居たいんだ。だから、俺と今度こそ結婚してくれる?」
「……どちらかが死ぬ時まで一緒にいるなんて私は嫌よ」
私がすかさずこう答えると、私を抱きしめていたタロウの腕が即時にゆるくなった。
「どちらかが死んだとしても、ずっと魂はつながったままじゃないの?私が先に死んだとしても、私はずっとタロウの心の中で生き続けるつもりでいるからね。それでもいいなら、私と結婚して…」
私がそう言うと、少し間を置いてからタロウは突然大爆笑し、
「やっぱり、お前にはかなわないよ…。死がふたりを分かったとしても、魂はずっと一緒だよ。来世も再来世も、ずっとずっと…俺はお前と一緒にいたい…」
タロウが私を抱きしめる腕がまた強くなったのを感じたと同時に、今度は私が大笑いした。
「えっ?何?俺また変なコト言った?」
「やっぱりそこまで言うのは、逆に嘘っぽいよぉ~。さすが物書きはコトバの綴りをキレイにまとめるのね。結局のところ、ずっと…なんてのはきっと無理な話だけど、でも、一緒に居られる限りは一緒に楽しく過ごしましょう。私はタロウと一緒にいられるだけで幸せよ!」
私のその言葉に、キョトン…としてしまったタロウの腕を私は自分からそっとほどくと、彼の肩に手を置いて背伸びをし、そのまま唇に軽くキスをした。
「さぁ、ゴハン食べに行きましょう。今日は昼ゴハンを食べ損ねたから、お腹ペコペコよ~」
彼の腕からするりと抜け、私がそう言ってテキパキと帰り支度を始めると、
「やっぱり、お前には死んでもかなわないなぁ~」
と、タロウはまた笑い出した。
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