カウンセリングの日④
※性虐待被害、性犯罪被害によるトラウマ症状やフラッシュバックの不安のある方はお控えください。
今回は夢の中で見た虐待の内容についても記載しています。
今日は、再開してから6回目
前回から2週間ぶりのカウンセリングでした。
自分の不調と、娘が風邪をひいて1週間近くお休みをしていて、看病がんばったけどみんなに伝染り家族全滅…という中、振り返りの時間があいてしまいました。
でも今回はじめてボイスレコーダーアプリで録音したので、とってもよかった、振り返りながら先生の声が聞けると安心できた。すごくすごく安心した。それと、後から自分を、客観視できて、とてもよい!次からも録音したい。
この2週間の間にあったことの報告をしつつ、冒頭から夫へのもやもや、イライラをたくさん聞いてもらいました。
なぜこんなにイライラするのか。失望してしまうような時もあった。先生とお話をしていたらわかってきたことがあった。
「夫に打ち明けたいことがあって、今こうして先生とカウンセリングをしながら準備をしているのに、それ以前にそこにすら辿り着けないじゃないか。」
という気持ちがあるということ。
子育てや、日常のこと、家族で暮らしている中で感じている悩み、辛さ、傷付き、もやっとすること、それらを発達の影響もあって思いをなかなか言葉にしてうまく伝えられなくて、うっぷんが溜まっているということ。こんなんじゃ、性についての話をするどころか最低限の思いやりとか寄り添いとか、つまりコミュニケーションが取れていなくて、なんだか目標より凄く遠いところにいるじゃないか、と。娘にも、親の方がうまく向き合えてない自己嫌悪もあって、申し訳ない気持ちが増した。でも気付きだった。
ADHDと、おそらくだけどASD気質のわたしがもしも、感情にまかせて吐き出したら、たぶん取り返しのつかない事になる。相手を責めて、暴言も吐いて、きっと想いは伝わらずに悲しくなり、そして夫をひどく傷つけたり不快にして、もうこの話はしたくないと思わせてしまうと思う。相談したいと思っている娘の幼児自慰が辛いことだったり、子育てでもう少しこうしてほしいとか、普段から家事たくさんしてくれてありがとうだけど、カウンセリング近くなってきたらこういうことをしてくれたら嬉しいとか、不調を伝えた時にこうしてくれたら助かるのにとか、カウンセリングや性被害への理解を求める以前に、そもそも普段からの溜まった思いが言葉が吐き出せずに、ただ不機嫌になるしかできない自分。に気付いた。
過去にもそうして、無自覚に溜まったものを無自覚に爆発させて、相手にとってみたらものすごく破壊的な伝え方をして、友人や職場の仲間を失ってきた。自分で壊してきた。身近な人のこともたくさん傷つけてきた。今はそれをしないように、もう同じことはしたくないから、自分の中の黄色信号を感じて先生に相談できている。過去の経験から。
カウンセリング開始からほとんど20分くらい、わたしが夢中で喋っていた。(録音聞いていると恥ずかしくなるくらい友達に話す夫の愚痴のようだったかも…すみませんでした😞と今は感じる)
先生「旦那さんは、子育てのことや家事も言えばやってくれるんだけれども、相手がして欲しいことだとかを察したりとか気が利く感じでは無いんですよね。お子さん小学校に上がるくらいまでは、自分のやりたい事を我慢したり子供に合わせたり、家族で協力しないと…と思うんですけど、なかなかそれが出来てないみたいですよね。その期間も、もうそんなには長くないですよね。」
(たぶん、子供の成長はあっという間、かわいい時間も手のかかる時間も悩む時間も全て、大切な時間も、ほんとにあっという間だという意味なんじゃないかと受け取りました)
「目を離したら危ない時期、年齢。ご主人にはゆくゆくは性的な事だけではなくて、子供の人権、あとは権利ですよね。それらが侵害されることがないようにしていかないといけないですけど、その中のひとつで境界が侵害されて、のちに深刻な影響を残すのが〝性被害〟ということで、そこを理解してもらえるように、ご主人への伝え方を考えていきたいですよね。子供が健康に成長するには、何が必要なのかっていうおはなしからだと、ご主人には入りやすいのかもしれないですよね。子育ても、それに基づいてやっていくと親の方もやりやすいと思うので、次回までにまた、なにかリーフレットなど探しておきますね。」
わたし「そうですね、わたしが人生のテーマが性になってしまってるので、余計にそこに焦点を当てた話ばかりしてしまうので、夫も苦痛かもしれないです。気付くと性の心配や悩みばかりで、夫も混乱したり、どう聞いてどう応えたらよいのかわからないと感じていると思います。傷付けるかもとか、思うと、言葉が出てこないんだと表情を見てると感じます。それでまた、わたしは話せなくなってしまう。夫を困らせてしまう自覚があるので、こうして先生に話を聞いてもらえて本当にありがたいと思っています。」
客観的に聞くと、愚痴でしかないようなわたしの話を、うんうんと聞いてくれて、最後にはちゃんと性被害トラウマに結びつけて、わたしの困り事や苦しさの根本から一緒に考えてくださって、先生に本当に感謝。でした。信頼関係があるからできた、砕けた話からの根本のテーマに繋がる話だったと感じます。
夫の話の他に、もうひとつは、悪夢を見た事を話しました。
職場の数人でお昼を食べに入ったお店で、知っている人が働いていて、20年振りくらいに遭遇した。その人は子供の頃すごく怖かった印象の人で、怖い顔でいつも子供たちに怒鳴っていた。
お迎えに来た時も強い力で無理やり腕をひっぱったり、手にはタバコ。後輩の親だけど、ほんとに怖かった。
その日の夜に、娘がその人から虐待されている夢を見た。お風呂場で髪を鷲掴みにして宙吊りにしながら、泣き叫ぶわたしの娘の顔にシャワーをかけ続けていた。わたしはそれを何も出来ず声も出せず見ている夢だった。
その時のツイート。起きたら泣いていて、過呼吸になっていた。夢を見ている時に歯を食いしばったからか、頬肉の内側が歯列の形に盛り上がって白くなっていて、両手が開かなくなって強ばってしまった。
そしてその日から予期不安が悪化して、保育園に娘を預けていても〝先生やおともだちから加害を受けていたらどうしよう〟とまた考えてしまうようになった。春にもあったけど、こういう気持ちは落ち着いていたのに。
生きていると、こんな感じの得体の知れない恐怖が襲うことがあるけど、たぶんトリガーがある。
今は、家族である夫に対してまでも、再びその気持ちが発動してしまった。以前あった時よりも強く大きい恐怖になってしまった。警戒してしまう罪悪感と、恐怖。平静を装うと、気が狂いそうになるし、でもどう伝えよう。困らせるだけだよね。現実を安全を確かめながら、対処して、動悸を鎮めながら過ごした。
だけど、数日後にもまた、発作になった。
この思考があるとき、自分の状態がかなり悪いと思っていて、罪悪感とか恐怖の混乱とか、からだも苦しいし、小さな刺激から始まっても大きな渦に飲み込まれそうになってしまうと、先生に伝えた。
先生は、「無理もないですよ。」とだけ言ってくれた。それだけだったけど、涙が溢れた。こんなわたしの言葉を、聞いてくれて、肯定してくれることが、いつも救いになってる。
わたし「ネットで性被害のアカウントを作って、恐る恐る続けて4ヶ月ですけど、氷山の一角かもしれないけれど、流れてきた苦しい気持ちや、過去や現在進行形の被害の投稿に共感のいいねをしたり、勇気を出してコメントをしたり、ひどい加害や誹謗中傷を見つけたら通報したりしているんです。
1人でもケアにつながって欲しいし、加害者は罰せられて欲しいし、性虐待、性被害、女性男性子供大人、あらゆる性加害や性被害を減らしたりすることに繋がる何かをしたいから、小さくても出来ることがそれしかないんです。署名とか。だから鍵垢にしていないTwitterと、そのTwitterがだめになっても繋がっていたい人たちがいるので、ThreadsもInstagramもつくったんです。
今まで出来なかったことなんです。以前も話したけど、特定が怖くて、アカウントで趣味垢とかマタ垢とか鍵なんです。性被害のこと書いても、お酒飲んだ日とかで、消して、後悔したり繰り返してきました。
今、夫も身近な人も誰も知らない所で自分がやっていることが、急に、無意味に思えてきて、負の気持ちが溢れたので、少しスマホから離れたんです。テレビも性被害のニュースは毎日溢れてて、テレビも離れました。わたしには助けられない、救えないし変えられない、苦しみをわかっても何をどうすることもできないと。
それと、先生と出会った5年前、カウンセリングに通う電車や街の中で子連れの家族やカップルを見ては涙が溢れたり、吐きそうになったり、自己破壊衝動が起きてコンビニに駆け込んで酒タバコに逃げたくなったり、先生にいつも言っていた〝こんなクソな世の中に、誰かと愛し合って家族を作って、あんなキモイ事して子供をつくるなんて意味がわからない〟〝望まれて産まれなかった子供もたくさんいるし、苦しいしかない、本当にセックスが気持ち悪い〟〝自分も親がそうして産まれたことが気持ち悪くて死にたい〟に近い、〝こんな世の中に娘を産んでしまったこと、娘を大変な世界に巻き込んでしまった〟みたいな気持ちが襲ってきて苦しいです。
わたしはネットでも性犯罪や性被害について触れているし、テレビとかでも反応してしまうけど、夫はネット疎いので、きっとそうではないし(分かりませんが)、私が感じている不安や恐怖は理解できないと思います。以前も話したけど、性教育とかプライベートゾーンのおはなしの絵本とかも、読んでもらえなかったし。
最近、プリキュアの着ぐるみのペドフィリアの人が子供に加害しているとか、もう一緒にアニメ見てても震えて涙が出てくるようになっています。世の中に不信感とか絶望しかない気持ちになることが、また増えました。そういう苦しさを夫と共有出来ないのも、辛いです、夫に思いを言えていないこんな現状じゃ無理もないですけど」
先生「そうですね。その、お店で会った女性がものすごく、刺激になったということでしょうね。」
わたし「⋯⋯今思うと、そのひとが、わたしの同級生の性虐待両親に似てたのかもしれないです。派手な金髪とか真っ赤なネイルとか、言葉遣いとか」
先生「それで連想されたのですね。わたしもそう感じながら聞いていました。
大事なのは、自分でその事に気付いているということです。𓏸𓏸さんの場合、具合が悪くなっている時に〝自分と人との境界〟だとか〝自分の身体のかたちが分からなくなる〟じゃないですけど、境界が弱くなる時 があって、色んなことがすごく連合されやすいんだと思うんですよね。自分と他の人の区別だったりとか、もしかすると発達の特性もあるのかなと思います。色んなことが混じっちゃうというか。頭の中のファンタジーみたいな。自分の中で、これは事実では無いとわかっているので、混ざっちゃうんだけれども分別する、を今後も意識して。あとはなるべく刺激から遠ざかれる時は、遠ざけるようにするといいかもしれないですね。
今回一緒に考えることが出来たみたいに、ご主人にこうして欲しい事だったりだとか、必要な夫婦の協力って何だろうか?みたいな事が、最優先のテーマなんじゃないかなと感じます。」
まとめ
夫に対して、カウンセリングやトラウマへの理解や、わたしが子育てしつつ色々な事で今も苦しんでいること、世間への不信感や恐怖、でも怒りがあって、許せないと思っていることがあるとか、娘がいつか被害に遭ってしまうかもしれないとか、もう被害を受けているかもしれないとか、娘が誰かに加害してしまうかもしれないから、ちゃんと伝えていかないといけないと思って日々暮らしていることとか…
どんどん溢れてくる、色々な事を伝えたいと思っているけど、それが出来ていない焦りと、それ以前に、毎日なぜかイライラ。
もやもやイライラしていた、その正体が、少し姿を見せてくれた気がする。気付けたかも、そんな気がする。
夫に、わたしと同じ考えや、気持ちになって欲しいとかそこまで求めていない(そもそも誰もがひとりひとり違う人間、不可能。)けれど、尊重とか支えとか、理解できなくても寄り添うとか聞いてくれるとか、何が二次加害かとか、そういうことをいつかはわかってもらいたい、そして会話したり、気持ちを聞いたりしたい、言えなかったから分からなかったと思うんだけれど、わたしあのとき傷ついたんだよとか、逆に夫が傷付いたり、不快だったりした事があったら知りたいとか、そういう、自分の心がが求めていることが少しわかって、先生とそれを言葉にできて、よかった。
夫の気持ちも、聞こうとしていなかったと気付けた。怖いけど、必要なこと。
夫にちゃんと、自分の心の中を整理して想いを伝えてないのに、期待して、勝手にイライラして、傷付いて、夫ごめん。って感じた。傷つけたよね、とか。傷付いてなかったら、勝手にそう思って、ごめん。とか。
振り返ると、6年前に気が狂った時に、性被害やトラウマを打ち明けて、アルコール依存もタバコ依存も散財も、とにかく醜い自分をさらけ出して、そしたら治療に繋げようと、東京に呼んでくれて、そこからいつも一緒に、向き合って抱えて、ずっとずっと、ずっと、今も、進んでくれたのは、妹だったから、そうだよなぁ。誰かと、この事を抱えていくことは、人と人だし、とても難しいんだと、改めて思った。打ち明けたら相手を巻き込むことになる。
でも夫には付き合う時に話していて、まぁ、だから、自分で決めて、夫と結婚して、家族になって、娘と、一緒に居る。忘れては行けないけど、すぐあの頃の自分に戻ってしまう。
がんばってもっと自分に向き合って整理しないと。
娘にも夫にも妹にも、ありがとう大好きを伝え続けたい。
守りたい。
日々溢れる性犯罪。あれもこれも。身体も心も抉られるような、テレビの悲しいニュースや、性被害アカウントで今まさに目に見えてる痛み、叫び、トラウマの苦しみや、怒り、性被害だけじゃ無く、理不尽な環境にいても大切な誰かを守っていたり、抑圧されて自由を許されない毎日でも必死に誰かを守って生きて届けてくれる声。
怒りが沸き起こって、悔しくて、そして悲しくて、辛くて、でもまた気持ちが這い上がって。できる時には、ゆっくりと、呼吸しながら、生きたい。
次のカウンセリングまで、あと、5日しかないけど。
ゆるゆるを。心がけて。
◎最近、支えてもらっているもの。
ONE PIECE☠️
半年くらい、読めずにいたけど、やっと読めた!買い溜めていたジャンプの山、倒した!尾田先生ありがとう。
びじゅチューン🎨
娘が大好きで、ハマりにハマって、私の推し曲はたくさんあるけど、この2週間の辛かった間に、クスッとさせてくれて、本当に本当に救われた曲はこれ。わたしたちみたい。井上さんありがとう。