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わたしの人性

性虐待被害や性犯罪被害が主な内容です。トラウマ症状のある方や、フラッシュバックを引き起こす心配のおありの方は、どうぞ御遠慮ください。




わたしの離人感や解離は、幼少期の性被害やいじめから来ています。大人になり30歳をこえてからトラウマの蓋が開き気が狂いました。

何がつらいのか。何が苦しいのか。わたしはなんで、こんな生き方をしてきたのか。
わかるまで20年?25年?(計算できない)かかりました。
声を発せれない期間が長すぎたと知りました。
何かは分からないけど言葉にも出来ないけど気づいて欲しい、だけど声をあげたい相手を、それを見て聞いたひとたちを、なにより被害者本人を、傷付けたくない自分が、居るからです。あの日からずっとです。

『虐待も、性被害も、わたしが直接受けたものもありますが、私ではない被害者が居て、わたしが本当の(もしくは直接の)被害者ではなかったこと』です。
(誰かを傷つけたり不快にさせる表現になり、ごめんなさい、でも心の底にある叫びなんです)
書くのも苦しいです、この気持ちが根源にあります。

そしてトラウマに関わる人間たちは親族や近所の幼なじみであること、田舎であること、私がASDや ADHDであること(治療するまで気付かなかった)、機能不全家族であったこと、いろんなことが鎖のようにわたしを締め付けていて、口に出せない紙にもネットにも書けないわたしが出来上がりました。

たまに心の奥底からの叫びのように、性被害のことをネット上に書いても、うまく書けません。解離するからです。登場人物、出来事、なにかがおかしくなってしまいます。あとで読むと、脳みそが違うと感じて修正に入ります。削除や弁解や説明したり。でもいつも同じような事を書いて訴えているように感じます。
それと、知ってる身内からの特定が怖くて、すぐに消してしまいます。
ほんとの被害者本人が、見たら。と思うと、基本、鍵垢の中で書くしか出来ない。

どの自分が自分なのかわからなくなることや、自分の気持ちとは?どう感じてるのか?どんな想いなのか?等、日常で多いですが、ネットやSNS上でもそうです。自分があまりわかりません。

被害を受けた彼女が、性被害のことをネットで発信してるのかも、わたしは知らないです。でも性犯罪被害について等、検索かけたりしてるのかも…?といつもビクビクしています。
彼女の本名と同じ名前のハンドルネームをみると、もしかして、いやいやまさか。と思っては探ってしまったりします。そしてどうやら別人のようだと感じて、すると、その方に大変申し訳なくなります。

実際のところ、事件後から治療やカウンセリングを受けたことがあるのかも、わからないです。彼女の親も、事件後どう娘や自分たち家族のケアをしたのか、加害者とどうしたのか、わたしは真実を知らない。知っているのは、事件当日の、私がこの目で見たこと、聞いた事、帰宅後にわたしの親から聞いた事、20代後半に彼女本人から聞いた、警察も家族も誰も知らない事件のこと。
つまり、ほとんど当日のことだけです。
脳みそが、思い出そうとする度に、ぐにゃぐにゃと記憶をかき混ぜます。もうきっと、全ては分かりません。
わたしの言葉を、事件を知っている誰かに、もしも見られたら、終わる。
そう思うと書けない話せない、だから解離した状態で居る時ばかり話したり書いたりする、ほんとの自分はそのことについてうまく考えられなかったり、性的に逸脱した状態の自分でないと、言葉や文字にすることが出来ない、それが自分なのだと、カウンセリングを重ねて知りました。

6年前にきっかけがあり、爆発して気が狂っても、治療やカウンセリングに繋がって1度落ち着いても、ライフステージの変化があっても、あたらしく前を向いて生きていても、もう1人ではなくなっても、数年経っていまになってまた、爆発しそうな何かが喉の奥で膨らんで震えてきてること、わたしはもうこの黒いかたまりに目を背けることができない。

気が狂ってカウンセリングを受けてた時に思い出したことの中に、事件よりも3年~4年前に、同級生の家で性虐待被害を一緒に受け続けた時期のこと、があります。冷凍されていた記憶が蘇りました。
そしてその同級生からは性被害を受け続け、いじめにもあいました。

治療とカウンセリングをお休みしている間に、わたしは結婚して娘を授かって、Twitterでマタ垢をつくりました。
妊娠中を支えてもらったマタ垢は、わたしの大切な居場所となりました。
出産して、マタ垢から子育て垢となり、フォロワーさんの第2子妊娠や出産をおめでとうと思っているうちに、流産を経験しました。
今のわたしは、気が狂った過去の自分のようにお酒の量がふえて、じわじわと調子が崩れ、困難が増えて発作も出始め、3年半ぶりにトラウマ症状が再発しました。

事件のことも、この同級生の性虐待被害のことも、もっとゆっくりと、また向き合って、辛くても、ちゃんと考えて、届くように、書きたい。
なぜならその同級生のことも、事件の被害者である彼女もその家族のことも、心の奥底では嫌いになれないからです。
彼女たちがもしも読んだら、どうしよう。ではなくて、これからは、もし彼女たちが読んだとしたら、こう伝えたいと強い気持ちを持って、でも思い遣りや寄り添いの心を忘れないで、自分の辛さ苦しさばかりではなくて、ASDということを忘れずに、ことばにして書かないといけないと思うからです。

許せないのは事件の犯人や加害者である同級生の親や家族だと、いまのわたしは思うから。絶対そうだと、自分自身が親になって、もっともっと心の奥底の奥の奥の方から、わかったからです。

時系列がめちゃくちゃですが、今度こそ残すと決めて書いていた文章です。Twitterで読んだのとなんか違う、と感じる方もいらっしゃるかもしれないです。すみません。いまの自分の精一杯です。

子育て垢で見かけた、性被害の方の出演されたテレビ番組を見て、その方をフォローしたこと。
そのあと、ヤングケアラーの方のツイートを見かけてフォローしたこと。
その方のお友達の方の性被害や虐待のことを知り、フォローしたこと。
名前もアイコンもなかなか決まりませんでした。
特定がこわいのと、離人感がつよく、ぼやけていたからです。
Twitterに今日まで書いたこと、残してること、消したツイートも、酒飲んで自傷して叫び散らかした言葉も、あのときのわたしのほんとの精一杯のきもちだったとおもいます。

ずっとずっと抱えてきました。
誰にも見せられないから、誰にも聞けないから、話せないから、どこにも書けなかった、わたしのこころの奥にある気持ちを書いています。
でもやっぱりどんな自分も出てきてしまって溢れてしまってまとまりがなくなってしまう、だから今はこれで終わります。
読んでくださってありがとうございました。

※書き方に問題がある、または個人の特定や、アウティング等があるのでは?と思う方がいらっしゃいましたら、ご指摘くださるとありがたいです。必要があれば加筆、修正したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。