やっほー、春

寒い冬もいつしか通り過ぎ、気付いたら日が長くなっていますね。在宅勤務は季節に疎くなるのが最大のデメリットな気がする、せっかく四季のある日本に生まれたのに。春になったからといって特段変わりはなく、強いて言えば在宅勤務中に着る服が薄くなって、靴下をはかなくなったことぐらいかな。え、寂しい…

社会人も2年目を迎えて、社会人になるときより2年目になるときのほうがよっぽど怖いんだなということを日々感じつつ、適当に仕事をこなしています。一度も出社勤務を経験することなく在宅勤務しちゃうと、仕事のスピード感がいまいちつかめなくて、しかも元々マイペースにやるタイプの人間なので、気分が乗らないと仕事ができない、というか仕事をするときに気分を乗らせる方法がわからないまま社会人になって在宅しちゃってる、といったほうが正しい気がする。ダラリーマン…

そして仕事が少しできるようになると任される仕事ももちろん増えるわけで、それを嬉しいと思えるマインドを今は持ち合わせていないので、結果退勤した段階でなんか疲れてて、朝も夜も最低限のことしかできていない現状。ちゃんと勉強したり読書したり運動したりする時間、つくればあるのに。こういうところが自分に甘いし、育ちが出るよね。昔からダラダラ習慣の強かった我が家なので、時間でキッチリ、スケジュールでキッチリとかまったくなかったし、親が何も強制してこなかったから、なんかやらなきゃみたいな気持ちにもなったことない…。それはそれで自由だからよかったとは思うんだけど、何も強制されたりアドバイスを真剣にされたりっていう経験がなかったから、自分の目で確認できる世界しか知らなくて(当時今ほどインターネットとかSNSとか発達してなかったし)、もっと知ってたら、もっと教えてくれてたら違う道を早い段階で検討することもできたかなと思うし、「自分にできること」「自分に見えていること」だけで将来を判断することもなかったのかなと思うこともあり、もう少しだけ親に干渉してもらったほうがよかった気もする…
まあ他のどうでもいいことには干渉されたような気がしなくもないし、今さらなので何とも言えないけれど。

そんなこんなで、人生の岐路って今思えば意外と昔にあった気がしていて、なんであのときあの選択したんだ自分?って思うことがよくあるのです。もっと違う選択をしていれば、もっと自分の叶えたいことの近くに今居られたんじゃないかなって。でも、あのときの決断が今の自分をつくっていて、今の自分だからこそそれを叶えたいと思っているのであって、あのとき違う決断をしていたらまた違うことを叶えたいと思っていた可能性もあるからね、もういいんだけど。過去の決断した自分含めて今の自分だっていうのはわかっているから。

だったらせめて将来の自分をつくるのは今の自分だから、今の自分でがんばらなきゃなって。という感じで、叶うかどうかわからない夢を60%ぐらい腹に抱えて、ちょっとずつ頑張っていたりします。もう少しがんばらなきゃなという自覚もあるので、なんでがんばれないんだ自分?と毎日思いながらですが。

何かに全力で憧れて、何かを全力でめざす経験したいなあ。

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