しがない23歳大学院生、朝井リョウに影響されてnoteを始める

はじめまして

このnoteはぼんやりと生きている23歳の理系大学院生♂が日々感じたことを文字に起こしたいとふと思い立ち始めたものである。

自分の創作物・思想を広めたい、だれかの役に立つ情報を発信したいといった信念を持ってnoteを書いている人たちとは違い、ただ感じたことを書くだけの自己満足noteである。誰かの目に留まってほしいとは考えていない。

このnoteを書くきっかけは朝井リョウ氏のエッセイ「時をかけるゆとり」を読んだことである。

朝井リョウと言えば言わずと知れた実力派小説家であり、直木賞受賞作の「何者」を始め多くの人気作を世に送り出している。

彼がデビューしたのは私が中学生の頃だったと記憶している。読書が好きで図書館に入り浸っていた私は「桐島、部活やめるってよ」のタイトルの強烈さに目を惹かれ、手にとった。その後「チア男子」や「何者」も中学の図書室で読んだはずだが、当時の私にはさほど内容は刺さらず、「ふわっとしたことを書く人だな」などといった感想を抱いた記憶がある。

高校に入学して以来、小説を読む機会もめっきりと減り、自然と朝井リョウの名前も忘れていた。再び彼の作品を読むことになったのは確か大学3年生の秋だった。好きなバンドのライブに行くため一人で名古屋まで出かけることになった私は旅のお供にと手ごろな文庫本を探しに書店に立ち寄り、「武道館」という小説に出会う。この作品はアイドルを題材にしたもので、当時アイドルという文化に興味を持ち始めていた私は「ふーん、朝井リョウこんな題材でも書くんだ。」などと相当な上から目線で手に取った。

結果私はこの小説を一泊二日の旅の間に読み切ってしまった。シンプルに面白かったし、中学生の頃読んだ彼の作品とは全く違った印象を受けた。言うなれば私が朝井リョウを見直した作品であった。いったい何様なんだ私は。しかしこれをきっかけに私が彼の全作品を読み漁った、ということはなく、結局読書自体にそれほどはまっていなかった私はこの一冊読んだだけで当時は満足してしまった。

次に彼の作品を読む機会があったのは大学院1年時の夏、すなわちつい最近である。大学院に進学した私は「大学院では本をたくさん読む人間になろう。本をよく読む人は知的に見えるものだ。」ととても知的ではない考えの下、少しづつ本を読むことを習慣としていた。そこで手に取ったのが「ままならないから私とあなた」という小説である。数ある朝井リョウの小説のなかでこれを手に取った理由は好きなバンドマンがこの文庫の解説を書いていたためである。なんともミーハーで単純な理由である。

しかしこれがまあ面白かった。小説を一晩で読み切ったのは久しぶりの経験だった。このときには私はもう彼のファンになっていたと言ってもよいだろう。次はどれを読もうか、そんなことを考えていた。

そんな矢先に、好きなアイドルの子が「朝井リョウのエッセイが好き」と答えているのを耳にした。ほほう、エッセイとな。私のぺらっぺらの読書人生の中でエッセイというものを読んだ記憶はほとんどなかったが、「推しが面白いというならば絶対に面白いんだろうなあ。」といった盲目的オタクは朝井リョウのエッセイを読もうと決めた。それにここまで読んだ作品からは彼の人間性だったり共通項となるものがあまり見えてこなかったため、どんな人間なのか純粋に興味を持っていた。そんな私にタイミングよくエッセイの存在を教えてくれた推しはやはり尊い。

早速書店で「時をかけるゆとり」を購入した。免許の更新に行く機会があったのでその待ち時間にでも読もうと思ってリュックに忍ばせた。

暑いなか馬鹿みたいに混雑する免許センターにて一通りの手続きを終え、初回更新だった私は2時間の講習を受けるためそこそこ密な教室で待機していた。講習が始まるまで15分程度、私は例のエッセイを開く。ほーん、最初に年表ね、、1989年生まれか、、9個上ねぇ、、、。

嫌な予感がした。9個上?でも中学生のときにこの人の本読んでたよね私、、、。

年表を読み進める。

大学2年、秋、「桐島、部活やめるってよ」で第22回小説すばる新人賞を受賞

嫌な予感は的中した。追い打ちをかけるように年表は続く。

社会人1年目、冬、「何者」で第148回直木賞を受賞

社会人3年目、文庫「時をかけるゆとり」刊行

やられた。気づいてしまった。いや気づいていたけど気づかないふりをしていただけかもしれない。

そう、朝井リョウ氏は大学生のうちに「桐島」でデビューし、社会人1年目の時点で直木賞を受賞しているのである。

朝井リョウ氏のことを既にご存じの方は「何を当たり前のことを」となるかもしれないが私はこの年表を見て気づいた。

私は知らず知らずのうちに彼がデビューした年齢に追いつき、直木賞をもらった年齢に追いつこうとしていたのだった。

まあでもこんなことは年を取ればよくあることだ。甲子園で活躍する球児たちも箱根を走る選手たちも気づけば皆年下になっていた。

そういった経験をした時の私は「あぁ老いたなぁ。」と勝手に老いを感じるだけだったが今回は明確に違う感情が沸き上がった。

この感情を何と呼べばよいのか私はわからなかった。もやもやしたままエッセイを読み進める。面白い。阿呆で愛らしい学生生活が流石の表現力で圧倒的に読みやすく綴られている。そうこうしているうちに免許更新の初回講習が始まる。完全なるペーパードライバーの私はぼんやりと講習を聞く。だんだん冷静になってきて先ほどのもやもやの正体を考える。

あぁそうか、、、この人は私が無益に過ごした大学生のうちにこのエッセイを書いているのか。そしてこのエッセイ集にはその大学生活が綴られているのだ。やばい。これはヤバい。悔しい。悔しい。この感情は嫉妬だ。あぁ悔しい。私がもう取り返せなくなってしまった大学生活をこの人はこんなに面白おかしく過ごしてエッセイ集にまでしているのだ。講習が終り、家に帰って読み進める。やはり面白い。え、同じ都内の大学生ですよね?なんでこんなに楽しそうなことしてるの?あれ??おかしい、おかしい、、。

取り乱してしまった。要するに嫉妬だ。彼の人生を心の底から羨ましく思ってしまった。

気が付いたら私も書きたくなっていた。面白い文章を書ける自信はない。これまでに長い文章を書いた経験もない。ただ書きたい。そして書けるのは今しかないのだ。ぼやぼやしてると忘れてしまう。今しか書けないことを今残したい。彼のように小説家になりたいわけではない。ただ表現することへの憧れは昇華させる必要はあると思っていた。それが今だと思ったのだ。

初回からとりとめのない文章となったがこれが私がnoteを始めたきっかけである。今後どのようなことを書くか、どのくらいの頻度で更新するかはわからないが楽しく阿呆にやっていきたい。

#初めてのnote #朝井リョウ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?