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私のちいさな根強いコンプレックスのおはなし

お出かけに、涼しげなサンダルを選び始める今日この頃。
夏が近づくと思い出す・・・今日は、忘れたようで忘れていない 私のちいさな根強いコンプレックスのおはなし。

私がその事実を認識したのは、18歳(大学1回生)の夏だった。
学生生活に慣れた頃、部室で、先輩(男性)に大声で指摘されたのだ。

「足先の形が珍しい。日本人には珍しい形のはずだ」と。
(ご丁寧に、私の足元を二度見してくれた。)

おそらく、先輩に悪意はなかったはずで、
〝珍しいものを見つけた〟ことに対する驚きが、脊髄反射的に出たのだろうが、指摘された私が、指摘した先輩よりも衝撃とショックを受けたことを、先輩は今でも知らずにいる。

私の足先の形は、【ギリシャ型】と称される。
人差し指が最も長く、親指は人差し指の第一関節くらいの長さ。
欧米人に多い形らしい。

ここで念のために記載しておきたい。
私は、国民性の違いとか、そういったことを議論したいわけではない。一切ない。

話を戻そう。
18歳の夏、突然、「人と違う!」と言われて、気にしない方が難しい。
そそくさと部室を後にし、帰宅した私は、こっそり母の足先の形を確認した。
確かに・・・母の足先と形が違う。

恐る恐る母に尋ねた。「私の足、人差し指が一番長いって知ってた?」

「え?知ってるよ。兄もでしょ?人差し指のほうが長いと、親を抜いて出世するのよ」
日常動作を止めることなく、サラリと答えた母。
「ん?なにそれ?あ、本当だ」珍しく日中自宅にいた兄の、あまり興味なさそうな声に、ザワザワしていた気持ちが和らいだ。

とはいえ、その後しばらく、足先を隠したい気持ちが付きまとった。
夏が過ぎれば、サンダルを履く機会もなくなり、次の夏が巡ってきたころには、このエピソードは記憶の奥の方に仕舞い込まれていた。

記憶が呼び出されたのは、およそ11年後。
私は社会人になっていた。

その日は、友達に紹介してもらった人(所謂「良い感じ」の状態)と、2人で出かけていた。
テーマパークで1日を過ごし、帰宅前に休憩がてら、パーク内の歩道の段差に座っていた時のことだった。

「足の指・・・」と唐突に、遠慮がちに言われたのだ。

よみがえるのは、二度見した先輩の表情と、悪意のない大声。
「あぁ・・・そうだった。今日、サンダルだったんだ」と、肩を落とした。

正直、そのあとの会話はよく覚えていない。
「日本人には珍しい形みたい」と説明したことだけは、うっすらと覚えている。

以降、私は自分の足先の形を強烈に意識するようになる。
そして気づく。「見ている人がいる」ことと、私がそれに気づいていなかったことに。
電車で向かいに座っている人、座っている私の目の前に立っている人・・・
何かのはずみで気付いたのだろう。確認するように見ている人が、たまにいる。
1シーズンに2~3人程度とはいえ、〝気にしている〟私にとっては、やはり気持ちがしょげる。

私は先手を打つことに決めた。
サンダルを履くシーズンになると、一緒お出かけする友達や彼氏に説明するのだ。
「私の足先の形が、少数派らしく、たまにジロジロみられるけど、気にしないで」と。
ありがたいことに、この説明をして、「うわっ!本当だ!」なんて大声を出した友達は一人もおらず、むしろ「え?何故説明したの?何事?」と聞いてくれる人に囲まれている。

今年も、サンダルを履き始めた今日この頃、やはり思い出す。
思い出すと、気になってしまう。
なんとなく、サンダルを履いている人の足先の形を見てしまう。
(今のところ、同じギリシャ型の人に出会ったことが無い。気づいていないだけかもしれないけれど。)

2020年になり、私はずっと憧れていた〝ネイルサロン〟に通うようになった。(吉日の神様が到来したのだ)
月に1度、気分転換を兼ねて、サロンに通い、手入れをしてもらっている。指先にお気に入りのデザインがあるだけで、気分も明るくなる。

せっかくなので、夏の間はフットネイルも、お願いしたい。
でも・・・足先を目立たせることに対する抵抗感が拭いきれず、「梅雨だから」と理由を付けて、フットネイルの予約に踏み切れずにいる。
1か月くらい、フットネイルを予約するか、うじうじ迷っている。。。

!!!
発想を無理やり転換してしまおう。
「足先を見ているのは、ネイルのデザインを見ているんだ」と思ってしまえばいい。そのくらい、かわいいデザインに仕上げてもらっちゃおう♪
忘れないように、精いっぱいの強がりを noteに残しておこう。

よし、フットネイル予約するぞー!!!


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