どうして信者はイタコ芸を盲信するのか?


要するにマヤさんは大川隆法になりたかった。しかし、かの人ほど欲もなく、かの人ほど覚悟と胆力がなかったから、旦那を大川隆法に仕立て上げて悠々自適な生活を送ろうとした。

意外かもしれないが、マヤさんは高級レストランに通えなかったり、ブランド品が買えないことにそれほど不満を感じてはいない。マヤさんはただ嫌なことをせず、愛されながらストレスなく生活できて、みんなから注目されて賞賛されていればそれで満足できる。

食通でもなければ物欲も性欲も人並み以下。。。そんな人がインスタでキラキラ生活を見せびらかしていたのは承認欲求に他ならず、何よりも褒められたい賞賛されたい。マヤさんにとって最も重要な欲が承認欲求だということだけど、ファンを繋ぎ止めるという仕事の側面があれば行動はさらに加速する。

イタコ芸とて似たようなもの。ブログのネタとしてイタコしたら、信者が賞賛して褒め称えてくれ、それが何より嬉かった。マヤさん自身、半信半疑だった自分の能力が「みんなに必要とされてる」というお墨付きを得たことで、障害による勘違いや妄想が揺るぎないものになってしまった。



どうして信者はあんなバカみたいなイタコ芸を盲信し、身を滅ぼすまで献金を続けるのか?


その一端が旦那のコメント欄に垣間見える。


教祖崩れのヒモがゲームの近況を報告
そのコメント欄


バカの一つ覚えのように「配信楽しみにしてます」という文言が並んでいる。全員が全員、同じ文章を並べるという不自然さと気持ち悪さ。noteも同じような感じだった。

僕はご夫婦の自演か信者に強要していると考えており、確かにそういう面もあるだろうが、それだけじゃない。少なくとも幾人かは自発的にコメントを書いている。

ご夫婦を褒めれば褒めるほど地位は高まり、その集団内でも評価される。他の信者と同じことをして得られる一体感と、世間が知らない2人の良さに気付いているという万能感。

希薄な一体感と自己満足的なマウンティングだが、信者にはそれが拠り所となる。コメント欄とセミナーという違いはあれど、大川隆法のイタコ芸に涙を流す信者集団とリンクする。

みんなと一緒だからイタコ芸を盲信できる。みんなと一緒だからご夫婦を応援できる。みんなと一緒なら赤信号も怖くないし、青信号と勘違いしていれば歩みは止まらない。

そもそも糞セミナーに通うのは自己肯定感や思考能力の低い人が多く、そんな人から「私を信じれば幸せになれる」などとさらに思考能力を奪う。周囲から孤立させれば、言いなり信者というロボットの出来上がりだ。

「あれ?大川隆法は66歳で死んだけど、"使命がある人は死なない" "80歳で死ぬ"とか言ってなかったっけ?」

普通の人は矛盾する教祖の言葉に疑念を抱くけど、認知の歪んでいる人は普通に考えることはできない。コミュニティではたくさんの仲間が教祖を信じているし、自分は間違ってないという万能感もある。とりあえず教祖を信じてお金払っとけば、仲間から評価され賞賛もされる。もし違和感を抱いたとしても、その頃にはもう、本気で道を正してくれる人は周りにいない。

そんな信者が1000万人いると言うが、そんなわけがない。教団から抜け出した大川隆法の息子さんは、「実際は1.3万人くらいだ」と語っていた。例えば信者が月に1万円献金すれば、1.3万人✕1万円=1.3億円。

「月に1万円を1万人に払わせられれば月収1億円ね♡」
「広告収入が0.3円なら再生回数が1億回で3000万円になるじゃない♡」

これが夫婦の追い求めた金の卵。
ライトな客層をYouTubeやゲームで集め、コアな信者をその他の媒体で集めようとした。それを同時期に募ろうとするからキャラや発言はブレまくり、整合性や一貫性が無くなって矛盾だらけとなる。大川隆法さんのような知性も覚悟もなかったから、ご夫婦の活動はことごとく頓挫する。

かの教団も最初は小さなセミナーからスタートしている。初期は入会させたい人の悩み相談などをやっていたが、現信者からその人のリサーチは済ませてあるから、教祖の説教はバシバシ決まり信者は次第に増えていった。集めたお布施で本を出し、歌を歌って映画を撮り、イタコ芸などで教祖を神格化。それが肥大して今日の有様となった。

ご夫婦はもう終わってるから、肥大化の懸念はほとんどないと言っていい。ただし、「巨大な宗教も初めは小さな集まりだった」ということは忘れてはならない。

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