認知の歪みを矯正するのはとても大変
いつからだろうか、僕が他人に期待することを完全にやめたのは。「こうあるべきだ・こうしてくれるだろう」という、他人への期待があるから失望してしまうのだと気付いた。それまでの僕は他人に勝手に価値観を押しつけて、それが叶わないからイライラしてただけ。何様やねんである。
ついでに自分に期待することもやめた。期待しなければ失望もない。たとえ失敗しても「自分なら失敗くらいするやろ」と軽く考え、深く悩むことはなくなった。代わりに「失敗しても問題のない環境を整えた」。具体的に言うと会社員辞めて自由業になったり、ミスしても許される職業を選んだり、予定を立てることをやめたり。
別に良いとか悪いじゃなく、自分の特性を鑑みて仕方なくそうなった。幼少期の習慣を変えることすら難儀するのに、ましてや価値観を変えるとなるとかなりしんどい。あまつさえ他人の価値観を変えようなんて不可能と断言してもいいし、「こうあるべきだ」と押し付ける傲慢にも思える。
未だにご夫婦に「早く気付いて」とか、「もっと幸せな人生を送れるはずだったのに」とか言ってる人がいることに驚く。これも何様やねんであろうし、全くの他人の人生がそんなに大事なのかとも思う。「心配、注文してませんから」と宣った嫁の気持ちが少し理解できる。
無理なのだ。
ああなってはもう他人が矯正するのは不可能で、認知が歪んでいるから自浄作用も働かない。怒ってもだめ、優しく諭してもだめ。だからこそ親、同僚、友人など周囲の誰一人として、ご夫婦を説得しようとはしなかった。たくさんの人が挑戦してきたと思うが、もれなく諦めた結果の今である。
両親もいつしか期待することをやめたのだろう、母親など誰かに諭されて渋々連絡してるほどだ。親に責任がないとは思わないが、どうしようもないこともある。全ての関係を断つのは、認知の歪んだ人に対する正しい対処法でもある。あたおかやメンヘラへの最善の対処法は「無関心」であり、勝手にコケてくれることを願うしかない。
人が価値観を変えるには事件(リストラされる・恋人に振られる・お金が尽きるといった類の)が必要だ。何か事件が起こり対象者が助けを求めてきたら、そのとき最善策を考えればいい。無理やり認知の歪みを矯正しようとするのではなく、帰ってきたとき受け入れる体制を整えるのが得策だと思う。
もし受け入れる覚悟がないなら、たとえ家族でも他人の認知の歪みを矯正しようとは考えない方が良い。そもそも不可能だしコスパ悪いし、矯正しようとする側にも多大な負担が生じる。
賢い人ほど認知の歪みが発生しやすい
「なぜ一定の知性のある嫁があんなバカなことばかりするのか」について、友人と話したことがある。友人の言葉も思い出しながら整理してみる。
人間における「狂う」現象は、「事実を正しく認知したくない・そんなの見たくない」という人の強い気持ちが発生させる。医学的には「認知の歪み」と呼ばれる。現代では認知が歪んだまま成果を出すのは難しいから、ご夫婦が何をやっても失敗するのは自明の理。
感情が入ってしまうと、本人の話だけ聞いたとしても「それ矛盾してない?」って人わりといる。あれって根本的な事実に対して「認知したくない」と無意識にフタをして、その上に自己正当化の理屈を積み上げると避けがたくそうなってしまう。
一定の知性がある人ほど間違った解釈、あるいは歪んだ認知の上にクソ高い塔を築いてしまい、加速度的に狂気に落ち込んでいく。こうなればもう他人が干渉して治るようなシロモノではない。
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ポンズケースケの考察日記
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