幸せを設計する
あなたは今、心から「幸せだ」と言うことができるか?
世界一安全な国に生まれ、蛇口ひねれば水が使い放題で食料は捨てるほど豊富にある。少し頑張れば豊かな生活を保障され、必要もないのに全員がスマホを持っている。もし病気でホームレスになっても国が助けてくれる。
国ガチャ大当たり。今の状況がどれほど幸運なのかは、日本を出たことない人には分からない。親がいなかろうが妹が死のうが、世界中で理不尽に死んでゆく人たちを思えば、こんな素晴らしい国で不幸だなんて口が避けても言えない。
それなのにこの国で毎年、2〜3万人が自殺するのは、死にたいくらい不幸な人がそれほどたくさんいるということ。自殺までせずとも不幸だと感じている人は、さらに多数いる事は想像に難くない。
何も考えてない人は「幸せになりたーい♡」だの「愛があれば幸せになれるよ♡」とか漠然とした事を言う。「僕に月に11000円払えば幸せになれるよ😊💡」というアホもいる。
そんな人たちにおすすめしたいのが『幸福の資本論 著・橘玲』。
橘さんはまず幸せというものを定義し、しっかりとした土台の上にきちんと幸せを設計しよう、と説く。
【幸福の3つのインフラ】
社会資本 = 家族・友達・ペット…共同体
人的資本 = 仕事・趣味…自己実現
金融資産 = お金・財産…自由
自由に生きるためには金融資産が必要で、絆を得るためには家族や友達が必要で、自己実現には仕事が必要ということ。この3つは幸せな人生に必要なもの、と言い換えてもいいかもしれない。
著者の橘さんは3つ兼ね備えている人を「超充」と呼び、「現実的には存在しない」と説く。著書の帯にピラミッドが描いてある。
幸せの仕分け。
超充。リア充。旦那。金持ち。退職者。ソロ充。プア充。貧困。
最も幸せな超充は現実的じゃないが、強いて言えば團十郎さんなどは超充っぽい。その下にはリア充やソロ充があり、最下層に貧困がある。3つのうちどれを満たすかで幸せの定義付けをしよう、という試み。
僕には家族や友達(社会資本)がいて、不労所得で生活できるくらいの金融資産があるから、今のところ旦那という位置付け。
リア充はバリバリ働いて友達も多いが、金融資産は少ないというような陽キャのサラリーマンてとこ。プア充は大きく稼ぐ力も金融資産も持ってないが社会資本(友達)は多いから、地方のマイルドヤンキーがモデルケース。退職者は稼ぐ力と友達は失ったが、金融資産(年金・退職金)が多い年金生活のご年配のことだ。
どれに当てはまれば幸せだとか、不幸だとか決めつけてるわけじゃない。自分はどうなりたいか、現実的にどの幸せを目指すのかという指標にすぎない。
ホームレスの中にだって幸せな人はいるから、別に3つとも持ってなくとも絶対に不幸ということにはならない。
第一線で活躍してたときの彼女は、もしかしたら超充に近かったかもしれない。が、今はどうか?夫婦として考えたらどうか?
社会資本…家族や親族をブログで誹謗中傷し、友達は蜘蛛の子散らすようにいなくなった
人的資本=稼ぐ力…夫婦揃って無職。霊感商法で小銭稼いでいるが持続可能性はない
金融資産…貯金はあれど不労所得で生活できるほどの資産はない
余裕ある生活しているようではあるが、現実の彼らは貧困に近く、将来、確実に破綻する。よしんばプレゼント企画で信者が増えたとて、根本的に変化がないならしばしの延命にしかならない。人にプレゼントしてるからってお金持ちだということでもない。
貧困と貧乏は似てるようで全く違う。物が乏しいだけなのが貧乏で、それで困ったら貧困となる。
必死でお騒がせしてるところを見るにつけ、彼らは金が乏しく困っている。いくら貯金があろうがどれだけ信者がいようが、何かが欠乏して困ったらそれは貧困なのだ。だから貧乏ではなく貧困と書く。
橘さんが問うているのは、何を尊重して何を捨てるのか?という選択の問題でもある。君たちはどう生きるか?ということ。家族を大事にするのか?家族を蔑ろにして仕事に全力投球するのか?それらをかなぐり捨てて金融資産を積み上げ、FIREを目指すのか?
どこを目指してもいい。何を目指してもいい。もし選択できる状態ならすでに幸せと言えるのかも。心の底から「私は今、幸せだ」と言えるようなポジションを目指せばいい。違うなら戦略を変えればいいが、おおよそパターンは決まっている。
誰かに認められることでしか幸せを感じられない人は一生、幸せになることはできない。生涯、自分をごまかして生きていくことになる。
そもそも幸せというのは、なるものではなく感じるものではあるが。
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ポンズケースケの考察日記
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