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通天閣の下の赤ちゃん  第十話

 ヒロシは今やゴンタの赤ちゃんである。赤ちゃんは良いことも悪いことも区別せんでもええ。ただやりたいことをそのまんまやったらええねん。赤ちゃんとはそのようにするもんや。ヒロシは体を横にして身を細め、一本抜けた鉄柵の間を擦り抜けるとそのまま園内に侵入した。 

  禽鳥のどでかい檻は金網で囲まれたドーム型である。鶴、鴨、鷺、ペリカン、などの水鳥が人工池で泳げるようになっていた。百羽以上もいる鳥に、見物人がやる餌場は四カ所あった。餌食は泥鰌でコップのブリキ缶に入って、餌場の台上に二十箇程置いてある。見物人が一杯二十銭で漏斗口から管を伝って人工池に泥鰌を流し込む仕掛けになっている。鳥たちはよく知っていて、人がコップの餌缶を持った気配だけで管の下に群がってくる。赤ちゃんはいきなり缶の餌泥鰌を自分のバケツに入れだした。四カ所の餌場で何杯か入れると泥鰌でバケツはイッパイになった。

 これは果たして泥棒だろうか、もちろん金は払っていない。ここのシステムは料金は自主的に白い木箱の穴に入れることになっている。この穴あき料金箱の錠を壊して中の金銭をもし盗れば本物の泥棒だが、赤ちゃんはバケツに泥鰌を移しただけだ。つまり鳥の上前を撥ねただけだ。鳥さんが被害者なのだ。いや、そんな屁理屈は変だ。これは明らかに動物園の利益を掠めとる犯罪的不正行為だ。動物園職員に見つかったら、有無を言わさず逮捕されてしまうだろう。そうだろう。しかし赤ちゃんは自分が犯罪者だとは思っていない。むしろ復讐者だと感じていた。

 そら、確かにアイスキャンデーを食べさせて、赤痢で死んだから自分が直接の下手人である。しかし間接の下手人はユキノを連行すると恐喝した公園管理人や怪談話をした看護婦がユキノに与えた恐怖感である。

 その恐怖のお返しをするのだと連想すると心の中に住むユキノが救われる。このぬくもりがたまらないんだ。

 ヒロシはぬくもりを求めて幼なじみのミッチャンに会った。手には泥鰌を川魚家に売って得た二拾銭を握っていた。それで打ち上げ花火を買って、夜、待ち合わせ時間にミッチャンの家つなや玩具店に行った。物干しは大屋根の天辺にある。二人は瓦屋根を斜めに、片方だけの手摺りを頼りに木梯子を登っていった。大屋根の上は案外高かった。物干し台は二人とも初めてだった。暗黒の空一面に星の装置が光っている自然の真下で、四角い小さな木の舞台が浮かび上がっているようだった。赤ちゃんはマッチで火をつけた。ポシューと花火が上昇しては散っていった。屋根梯子をこわごわ登っているミッチャンを下から見上げた時、白いズロースを穿いていた。小学校のはやり遊びは尻めくりだった。ポンポンと花火の破裂音が鳴るたびに白い色がが開いたり閉じたりした。小さい雌雄の虫のようにお医者さんごっこをしてから花火の終った物干し台から二人は降りた。ミッチャンはそれから赤ちゃんの言うことに服従した。

 翌日から二人は二箇のバケツを持って柵の隙間から動物園に忍び込み、取った泥鰌を川魚家で換金した。何日かしてミッチャンは貯まった金で赤、ピンク、青白、黄、緑、紫の七色の色硝子の連なった首飾りを買ってもらったが、身にはつけなかった。矢を射るキューピーをプリントした菓子の空箱の宝物コレクションの中へ大切に蔵った。それからは、家人からお金の出所を聞かれると困るわと用心する程銭が貯まっていった。その金で赤ちゃんはバイとベッタンを買うことにした。バイとベッタンは男の子の遊びだった。ベッタンは力士物の男女川、双葉山、時代劇主人公の真田幸村、猿飛佐助、児雷也、戦争物の肉弾三勇士、広瀬中佐、漫画物のタンクタンクロウ、冒険ダン吉、ノラクロなどの四種類が駄菓子屋で売られていた。厚紙にケバケバしい極彩色の印刷をしたベッタンは上から叩きつけて、引っくりかえした方が勝ちという簡単な勝負なので、男の子なら誰でもやった。数十枚も持つと勝ち札と弱い札があり、勝負して強い札を沢山集めた子供がベッタンのベテランになった。ただ、細工物のベッタンがあって揉めた。ベッタンは重い方が強いので、汚れに見せかけて実は天ぷら油を裏面に滲ませたり、蠟を塗ったりしていた。だが巧妙に誤魔化した細工物より実力はテクニックだった。誰もが出来ない高度の技術は角打ちである。角を少し曲げたり、反らしたベッタンを相手の真横に角で命中させるのである。すると隙間に空気が流れて、風に煽られて一発で裏がえしになる必殺技だった。これの出来る子は少なかったが、赤ちゃんはこのベッタン角打ちの名手だった。


第十話終わり  続く

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