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18年

こんにちは、ぽぬです

病状と昔話をします
双極性障害あるあるが詰まった過去です
ご参考になるのかならないのか分かりませんがどうぞ💦

タイトルの数字は私の精神疾患を患った年数です
症状が軽かった時期や、適応障害?鬱病?だった時期、双極性障害の時期などなどを含みます

長い
長すぎる
中学2年生あたりからなので…
若い頃に発症したものは今となってはなんだったのか分からず、双極性障害は若年発症と言われているので最初から双極性障害だったのかもしれない

私が最初に発症した中2頃は勉強のし過ぎがストレスになりました
遊ぶ時間も無くしたのが本当に良くなかったです
教科書も開けなくなり不登校になりました
成績を上げたいと思って自ら勉強をしていたのですが本末転倒です
精神科へ通院をしたのですが、年齢的なものでしょうと言われて頓服に軽い安定剤を貰うだけでした

高校の頃も引きずっていて、不登校気味でした
ギャルやヤンキーに混ざって補習を受けたのは面白かったです

仲良いギャルに
「なんでぽぬがいるの?」と話しかけられ
「○○と同じ理由だよ」と返しました
体育をサボっては一緒に見学
授業をサボっては保健室で話していたのでこのギャルとは仲が良かった
懐かしい

専門学校では休みがちながらも通えて無事卒業

IT企業就職3年目、パワハラを受けまたもや体調不良に
この時は双極性障害を発症していて
パワハラおじさんに怒って文句を直接言っていました
躁だったらしいです
パワハラおじさんは仕事を丸投げタイプのパワハラをしてきて
気が強い訳では無かったので困った顔をしていました
鬱になり出社出来なくなって退社しました
その後、アルバイトをするも躁と鬱の波に振り回され転々とします

貯金は躁で使い切り、スッカラカン

平日は動けず、土日は遊びに行っておりました
気分反応性と言って楽しい刺激で動けるようになる病状のことを言います
「誰でもそうだよ」といわれそうですが
平日本当に全く動けないのに土日は割と動けました
ダメな日もありましたけどね

この頃通院をしていたのですが鬱でも適応障害でもなんでもない何かと診断を受けてました🫨
薬は色々飲んでたんですけどね?

夫と同棲するのがきっかけで転院
そこでは鬱病と診断されてました
鬱病用の薬を飲み続けラピッドサイクラーになりました

ラピッドサイクラーでは1年間で4回以上にわたって、躁状態や軽躁状態とうつ状態を繰り返します。 ラピッドサイクラーでは気分の上がり下がりが大きく、めまぐるしく上下する気分に患者さんに対する負担は非常に大きいです。 によって引き起こされることが多いです。 抗うつ剤によって躁とうつの周期が短くなることがあります。

https://cocoromi-mental.jp/cocoromi-ms/psychiatry-disease/bipolar/about-bipolar/

躁の私は何をしてたかと言うと
フィットネス(皆で音楽に合わせて自重トレーニング)に10ヶ月通いムキムキになろうとしたり
美容学校を卒業し資格も持ってた知り合いとメイク講座をしたり、ITやWEB制作の基礎の講座を開いてました
友達のトラブルに首を突っ込み嫌われたりね、しましたね…

講座は今は楽しい思い出

知り合いの紹介で今の病院へと転院
26歳だったかな?ここで初めて双極性障害と診断されます
治療を切り替えてからは躁が落ち着き始め、鬱がメインの病状へと変化しました
パッと見、元気がなくなって悪く見えますがラピッドサイクラーが少し緩和されたということでもあります、多分
躁でハチャメチャなことしないので鬱の方が安心でした
単発のアルバイトを続けていましたが働かない決意をして仕事を辞めました

28歳ぐらいの時に謎の吐き気が続いてご飯が食べられず1ヶ月で5kg痩せたことがある
その時、鬱も強烈に強くて
夫が傍から離れると怖くて怖くて仕方がなかったりしました
常に死を考えるように…
精神科の主治医曰く、鬱由来の不安感から来る吐き気で良くあること
落ち着くのを待つしかない
と言われ内科で貰った胃薬でひたすら耐えました
1ヶ月ぐらいしたら収まったものの、空えづきが治らなくなりました(現在だいぶ落ち着いてる)

それから数年、ほぼ鬱の生活でした
希死念慮も身体症状も強く
たまに動ける日もありましたが
ほぼ何もできませんでした
希死念慮で頭がいっぱいの日は泣きながらSNSに思いを垂れ流す日もありました
最近ぐっと減りましたけどね
夫にとても支えてもらいました

30〜31歳
できる範囲で楽しみ見つけないと心が本当に死んでしまうと思い色々試して
そして残ったのがお茶、イヤホン、ポッドキャストでした
美味しいしこだわるのも楽しい

中国茶の写真

イヤホンは良い音に感動して、寝っ転がっても楽しめるのが良かった

ポッドキャストは何も出来ない日でも聴けました

そして、32歳
新しい薬の注射をチャレンジして成功し病状が安定してきました
この薬は通う病院では最近導入されたもので
無かった頃は色んな薬を試しては副作用で死にそうな思いをしてきました
皆が皆同じように苦しむ訳ではなく、私が薬に対して敏感らしく強く出たようです
(怖がらないでね)
注射を打つ前に飲み薬で慣らすのですが、それも3mgから飲んだら副作用がでて、1度断念
1mgから再スタートして6mgまで持ってこれてからの注射でした

主治医の言葉で忘れられないのが
「どうか生き延びて」
「双極性障害は簡単に人の20年とか奪ってしまう、少しでも早く治るようにー」
というのがあって
なんとも言えない気持ちになりました

自殺未遂は0なのですが
希死念慮はものすごく強く、私を引き止めていたのは死への恐怖心、夫の存在でした
よく生きてたと思います
ありがとう夫

もうすぐ20年奪われようとしていますが
今できることをコツコツやるのみだと思っています
有難いことに出来ること、楽しみも少しづつ増えてきました
将来の不安もとても大きいですが
夫とも話し合いながら進んでいきます

病気に負けたくない
選ばされたのではなく自分で選びたい
自分の意思でありたい
躁と鬱に振り回されてると強く思います


こんな感じでした
私の18年、全く無駄とは思わないけど病気がなかったらどんな人生だったろうと考えてしまいます
でも、ぽぬと名乗ることも皆さんと会うことも無かったのかもと思うと
それは嫌なので良かったのかな…と思ったり
今手元にある手札で頑張るのみ
ゆっくりゆっくり…( ˇωˇ )

健康は宝!

以上です
ではまた👋

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