アマチュアの時代
ネットを見ていると、人の視線を惹きつけようとする絵や、人の注意を引きつけようとする音のなんと多いことか。
しかし、それは、既に前世紀のものだ。
YouTubeに溢れる動画は、視聴回数、like、フォロワーの数を増やそうとする想いに満ちたものがほとんどじゃないだろうか。
それらの動画は、そういうエナジーを発している。
商用の映像や、YouTubeの動画は、どちらも、企業活動、商業活動の、広告媒体となることによって、資金だとか、ひいては、それらを作っている人たち、つまり、クリエイターと呼ばれる人たちの、生活費などに還元されているわけだから、それも、止むを得ないところがあるかもしれない。
しかし、もう一度言及するが、それらの映像、動画は、そういったエナジーを発している。
視聴する者に、そういう感動を伝えるメディアである、ということだ。
感動と呼べるものではないかもしれないが、間違いなく、伝わる。
僕は、僕が作る映像や音楽で、資金を得る必要はないので、そのような映像や音楽は作らない。
これまで、時折、映像を作って売ることを考えたことも、何度もあった。
しかし、その度に、売る目的で作る映像には、そういうエナジーを載せなければいけないことに気付いて、手を止めた。
こんな絵を作ってはいけない、と、その都度、自制した。
今は、だから、生活のための資金は、別の仕事から得ていて、映像を作る作業は、無償で行っている。
無償だから、自由に作ることができる。
お金に関する制約を受けることなく。
自分の魂を自由に飛翔させる。
もっとも、大きなお金をかけることができないので、物質的な制限はある。
数分のレンダリングに何ヶ月もかけることになる。
だから、レンダリングの負荷の重い絵は作れない。
制作をする手は、僕の両腕しかないので、手間のかかる絵は描けない。
制作をする人は、僕ひとりしかいないので、インスピレーションの幅も、表現の幅も狭い。
それでも、お金だの、欲得だののエナジーは、おそらくほとんど載らない。
純粋な感動だけが、載っかってゆくことだろう。
生活のためのお金は、創作以外のところで稼いで、創作にはお金を絡ませない。
このスタイルは、創作をする上では、理想、と言っていいと思う。
半世紀以上の年月をかけて辿り着いた「境地」だ。
優秀なクラシックの作曲家として誰もが知っている、リムスキー・コルサコフや、ムソルグスキーたちは、プロの音楽家ではなかった、
つまり「音楽を売ってお金を稼ぐ」音楽家ではなかった。
彼らは、アマチュア音楽家だった、ということを、どれくらいの人が知っているだろう。
ムソルグスキーは早逝してしまったが、リムスキー・コルサコフは、多くの職業音楽家の教師となった。
その理由がどこにあるか、僕が今書いているこれを、ここまで読んだ人なら、気づくことだろうと思う。
今は、これからは、リムスキー・コルサコフたちのスタイルに学ばなければいけない。
人々の役に立つ仕事をして生活を支え、そして、人々の魂に純粋な感動を伝える創作をする。
心ある若い人たちは、先人に学んでほしい。
なお、生活を支える仕事は、農業が望ましい、と僕は考えている。
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