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作品と呼べる音楽

今日、DTMで演奏した音楽を、そろそろ「作品」と呼んでもいいかもしれない、と思った。

それなりにできるようになってきた、と思う。

最初に、コンピュータで音楽を奏でたのは、もう、40年も前のことだ。

8bitパソコンが奏でる単音のピー音で、クラシックの交響曲のメロディを演奏したのが最初だったか?、もしれない。

その後、3音の和音が出せるLSIが登場して、これも演奏した。

そして、YAMAHAの8音ポリのオーケストラが演奏できるシンセサイザ・ユニットを搭載したMSXパソコンを買った。

そして、Roland SC55を買い、Opcode Vision を買い、それなりに、オーケストラ音楽を演奏するようになった。

その後、いろいろあるのだけれど、電子音楽の表現に限界を感じ、Opcode社が消滅し、Visionの開発が終了したこともあって、しばらくDTMからは遠ざかることになった。

いろいろあったのだけれど、やはり、今年、ベーゼンドルファーのピアノの音源を買ったことが大きかったと思う。

従来と、一線を隠す、素晴らしい音源だった。

この音源に出会ったことは、幸運であった。

そして、やっと最近になって、この音源を使って、それなりの演奏ができるようになった。

この音源を使うようになって、ピアノの演奏のしかたを勉強したし、先生に教えていただいたりもした。

ベーゼンドルファーの音源に出会うまで、ピアノのペダルの使い方もわからなかったし、ピアノ譜の読み方もよく知らなかった。

ずっと昔から、何度も聴き、時には演奏もした楽曲を、ベーゼンドルファーの音源で演奏すると、それまで聴こえなかった音が聴こえたし、作曲家の思いが伝わってきたりもした。

さらには、最近になって、美しい音を出すことができるようになった。

楽曲の最初の音、ピアノの鍵盤を、ぽん、と押してから、最後の音の残響が消え去るまでの間の、その時間を、美しい音で彩ることができるようになった。

ベーゼンドルファーのおかげだ。

大学2年生の時に、大学の助教授に、「僕はコンピュータでアニメーションを作り、コンピュータでオーケストラ音楽を演奏します」と言って、否定され、馬鹿にされてから40年。

夢とか希望とかではなく、自分の思いのままにいろいろやってきた、その先で、この音楽に出会った。

至上の音楽、しかし、紛れもなく、僕が演奏する音楽だ。

人生、生きてりゃいいこともあるものだ。

とはいえ、先はまだまだ長い。

オーケストラ曲、アンサンブル曲、独奏曲、いろんな音楽が控えている。

32年前に、SC55で演奏して50万円かけてCDを作った、至高の2曲が待っている。

今は、音にすることはできないが、胸の中で演奏すると、全身の鳥肌が立つくらいに、僕の魂を震わせる2曲が待っている。

死ぬまでには演奏できないかもしれないが。死んだ後にでも演奏できればいいと思う。

映像のほうも、とりあえずは作ることができるようになった。

先は長い。

死ぬまで挑戦だ。


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