自分の限界を見る幸運を授かった話
2年前に Logic Pro X を買った。
買った Logic Pro X で最初に入れたデータがあって、その後放置してあった。
そのデータを使って、ベーゼンドルファーを鳴らしてみた。
美しく鳴った。
さて、このデータを、ある一流の音楽家の先生に聴いてもらった。
即座に、音の間違いを20数箇所指摘された。
和音が合っているかどうかくらいは、僕の耳でも聴き取れる。
話声進行の明らかな間違いも発見できる。
近代の楽曲の、変な和音を聴いて、おかしいな、と思って、楽譜と照合することはできる。
しかし、ロマン派までの、変な和音には聴こえない音は、楽譜と違っていてもわからない。
また、高度に作曲された複雑な音楽で、ひとつの和音が、その後に大きな役割を演じるような場合もわからない。
こんなものだろう、と思って聴き流してしまう。
決しておかしな和音ではなく、違和感がないからだ。
ところが、その一流の音楽家の先生は、流して聴いただけで、楽譜に書かれている音と違うことを発見する。
決してゆっくりな演奏ではない。
僕には、到底わからない。
これが、一流というものだ。
僕の耳だって、一般の人が驚嘆するくらいの耳だ。
しかし、世界は広い。
上には上がいるのだ。
数々の名曲を残したクラシックの作曲家たちが、楽聖と呼ばれるのには、理由があるのだ。
そのことに改めて思い至った。
そして、自分の限界をひとつ知った。
その限界を突破する努力を、今までしてこなかった、ということだ。
一流の音楽家の先生には、手数をおかけしてしまったが、僕には大きな実りをいただいた。
とりあえず、先生に、涼菓の詰め合わせを送った。
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