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Mirage未来

今日は暑くて朝からエアコンを稼働している。

ちょうど、手元の仕事がなくなった。

暑いこともあって、何もしないで、チェアの背もたれに背中を預けて、団扇や扇子をあおいでいる。

何もしない時間を過ごしていると、会社を辞めて、東京のアパートの、何もない部屋で大の字になってあお向けになっていたことを思い出す。

何もすることがない時間は、なんて幸せな時間なんだろう、と思ったことを思い出す。

当時の僕には、いろんな選択肢があって、それぞれ違った未来が開けていたはずなのだけれど、「なにもない」と言いながら、「これをしよう」という目的があった。

その目的を持っていたことは、「いろんな選択肢」を選択する自由を、自ら放棄していた、ということを意味する。

東京で出会った人たちから、いろんな誘いを受けたが、すべて頑として断って、当初の目的の遂行に邁進した。

その目的は果たされ、開けた未来の、その先に、今の僕はいる。

しかし、今の僕がいる現在は、あのときに見ていた未来と違っている。

何故そうなったのか。

事前に、よく調べなかったから、とも言える。

理想だけを追い求めて、現実を見ようとしなかったから、とも言える。

アドバイスしてくれる人がいなかったから、とも言えるかもしれない。アドバイスを聴く耳は持っていなかったかもしれないが。

しかし、なにはともあれ、僕はその目的に向かって邁進した。

人生とは、そういうものなのか。

そういうものなのかもしれない。

僕は未熟だから、Mirageを未来と思い込んで、Mirageが描き出すものがあるはずのところへ向かって行って、それがMirageだった、と気づく。

子どもの頃、遠くから見た虹のアーチの片方の端が地上に降りているところへ行って、何もなかった、あのときのように。

今、あのときと同じように、何もすることがない時間を過ごしているが、また、Mirageを未来と思い込んで、Mirageが描き出すものがあるはずのところへ向かって行こうとしているのかもしれない。

僕は、あのときから、何も成長していないのかもしれない。


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