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希望・夢

パンドラが開いた箱だか壺だかからは、多くの禍が出てきて、最後に「エルピス」が出てきたらしい。この「エルピス」は謎のなにかだが、「希望」と訳されることもあるらしい。

「希望」。

なんだかわかったようでわからない言葉。

希望って何?。

僕は、何度も何度も絶望した。

絶望、ってのは希望を絶つ、か、絶たれる、ってことだよね。

絶ったり、絶たれたりするには、「希望」が何かを知っていないければいけないし、それを絶ったり、絶たれたりすることができなければいけないわけだ。

でも、だ。

「希望」を、包丁で切る、というくらい具体的に認識したことなんて、ない。

似たものに「夢」がある。

新入社員だった頃、社内研修で「夢」について語るセッションがあった。

僕は「夢」が絶たれた人だったので、具体的にこれが「夢」というものはなかった。

なので、「夢を叶えることが夢」という、頓珍漢な回答をした。

でもね、実は、夢はあった。

でもね、その夢は、一生かかっても実現できない、途方もない夢だった。

それに、なかなか口に出せない内容だった。

なので、言わなかった。

そして、その夢は、とてもじゃないが実現なんてできない、と、そう感じた時に、「絶望」を感じたんだ。

でもね、一生かかっても実現できない夢なら、一生を超えて実現すればいい、ってことに、今日、気づいた。

スピリットは死なないんだ。

僕のスピリットも。

そして、僕がこの世を去ったあとは、誰かに実現してもらえばいい。

その、夢を実現するぞ、という、小さな炎が、「希望」なんだ、ってことにも、今日、気づいた。

希望は、パンドラの箱だか壺だかから出てきたものじゃない。

自分で灯す炎なんだ。

ちっとも具体的じゃない、って?。

そりゃそうだよ。

だってさ、一番大事なものは目に見えないんだ。


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