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教養

アイリーン・キャディの「心の扉を開く」の10月27日のところには、こう書かれている。

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新しい考え方は暖められた家の中に播かれたひとつぶの種子のようなものです。種子が外の環境に耐えられるほど十分に強くならなければ、家の中から持ち出すことができません。新しい考え方も同じです。手品師が帽子の中からうさぎを取り出すようなわけにはいきません。内容と形がしっかり整うためには時間がかかります。多くの人々に広める前に、少数の人たちによって、実際に試してみなければなりません。そうするためには大きな愛と忍耐が必要です。奉仕と献身も必要です。ニューエイジについて今起こっているのがこの過程なのです。それはとても新しいことだからです。多くの新しい考え方や概念が今、生まれつつあります。そしてそれらの一つひとつは、厳密に試験し、理解し、愛し、大切に育てられなければなりません。あなたはニューエイジの最先端にいるのです。おそれずに前進し、最も新しいことを、進んで実践してください。
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アイリーン・キャディの言葉には、キーワードがいくつもある。「おそれずに」「前進」「最も新しいこと」「進んで」「実践」。いずれも、難しい言葉ではない。

この中で、鍵になるのは「実践」。本を読み、講義を聴く。そうする時間を過ごす、知識を記憶する、それだけではいけない。頭で考えて、そうそう、そうだよな、と思っているだけではなく、実践することだ。

アラン・ケイの有名な言葉「The best way to predict the future is to invent it.」も、トーマス・アルバ・エジソンの有名な言葉「Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration.」も、実践が鍵と説く。

文学を読み、音楽を聴く。それだけではだめで、文学や音楽から得たものがあれば、それを実践することだ。

そうすることで、単なる「知識」は、「教養」になる。

文学も音楽も、それを創作した人たち、それを伝えた人たち、それを印刷し、演奏した人たち、多くの人たちの思いを運んでいる。その思いを感じ取り、そして、自分もなにかを実践する。実践することで、自分の思いも文学や音楽に乗っかる。より優れた思いを誰かに伝えようとして、努力し、実践する。

「教養」とはそういうものだ。

簡単なことを実践する。これが大事。難しい教義や崇高な言葉は不要だ。難しい教義や言葉は、実践できない。実践できない言葉は、死んだ言葉と言っていい。

朝、近所を散歩する。毎朝、近くの公園の周辺を、掃き掃除している男性がいる。ゴミを丁寧に拾い、落ち葉を掃く。僕は、散歩の道すがら、タバコの吸殻や、菓子の包装など、小さなゴミを拾って捨てる。

「ゴミを拾うことはよいことだ」という単なる知識が、実際にゴミを拾うことで「教養」になる。

そして、「教養」は、次の知識と行動を産む。「ゴミ拾い」を例に挙げるなら、「ゴミを捨てない」「ゴミを発生させない」という知識と行動を産む。


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