世界を変える

勉強をすると、世界が変わる。

昨日訪れた施設には、ガラス張りで外が見えるエレベータがあった。

そのエレベータに乗って、1階から2階へ上がると、高くなるにつれて、近くの庭園が、次第に見えてくる。

勉強をすると、世界が変わるということは、ちょうど、そのエレベータに似ている。

自分が立っている位置が変わるから、見える世界も変わる。

だが、自分と、見える世界が変わることには、恐怖が伴う。

これまで安穏としていた状況にずっといたい。

これまで遊んでいた友人たちともっと遊びたい。

そんな思いは、自分と世界が変わるときに、恐怖に変わる。

僕が大学卒業まで、勉強が嫌いだったのは、おそらく、その恐怖によるところが大きかったと思う。

小学1年生の時に知った学校教育への不信も大きかったが、それだけではなく、この恐怖があったと思う。

逆に、恐怖に耐え、あるいは、恐怖を払拭して、自分の世界を変える、という強い意志をもって勉強すれば、自分の世界は変わる。

さらに、勉強しても世界が変わらないときは、その勉強は、意味のない勉強だった、ということになるだろう。

大学卒業までの僕の勉強は、教科書をざっと読んで、いや、教科書を読まないで、授業を漫然と聴いて、授業の内容の断片を、自己流の推論によってつなぎ合わせて、テストの答案をでっちあげる、というやり方だった。その推論エンジンが導き出した結果が、たまたま正答であったときには、点がもらえた。

そんな勉強では、自分の世界は変わらない。

会社員になってからは、意欲を持って、いろいろなことを勉強した。勉強したので、自分の世界はどんどん変わった。そして、変わりすぎて、会社と折り合いをつけることができなくなってしまって、会社を辞めることになった。

今もそうだ。勉強をしすぎた結果、勉強をしていない人たちの世界から、乖離してしまった。

会社員時代、それは恐怖を伴ったが、今は、恐怖は感じない。いや、少しだけ感じる。それは、風当たりが強くなったら、完全に廃業しなければいけないが、そうなると、食うに困るかな、という程度のものだ。

もう、死んでもいい、と思うから、恐怖は大きくはない。が、世間の風当たりが強くなるのは、心地の良いものではない。

そして、いま、目の前にある教科書は、ビデオ・チュートリアル。以前なら、なんとなく、ざーっ、と眺めてしまって終了、だったのだが、今日は5時間かけてようやっと15分進んだところだ。

どんどん理解できてしまうので、理解できたところを、頭の中で応用する方法を考えながら進んでいる。わからないところは、少し戻って何度か見直している。そして、ビデオのとおりに、実際に操作をしながら進んでいる。

ひとつできるごとに、自分の世界が変わることを実感しながら進んでいる。恐怖はない。

ただ、疲れる(笑)。

少しでいい。

少しでいいから、とにかく前進する。

少しずつ前進すれば、少しずつ前進できる(笑)。

しかし、その少しの前進で、僕の世界は大きく変わっている、と感じるのだ。


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