25_若者の苦労

25)若者の苦労

昭和50年代といえば戦後すぐに大人になった人たちがまだ現役で働いている時期だった。中高生のころの学校の先生も、少し年配だと戦中戦後を経験していた。授業や雑談の端々でそのころの苦労話をときどき聞かされた。正直言って授業の中身より興味深かった。

数年前にベトナムとカンボジアに旅行に行った。とびっきり面倒見の良いツアーで現地の日本語ガイドさん、とくにカンボジアのガイドさんは小学生の冗談にもつきあえるほどの語学力だった。彼は日本語ガイドになったいきさつを話してくれた。親族を頼って都会の学校に進み、しかし経済的に非常に苦しく続けられなかった、奨学金の出る学校を見つけて学んだのが日本語で、今はそれで身を立てている、と。かつて親より年上の先生の脱線話で聞いたのと同じ雰囲気があった。

時代としては50年の開きがありながら、国が苦しい時代の若者の苦労というのはよく似ているのだと思いながら聞いていた。しかし、今さらながら思い当たったことがある。
ガイドさんも中学校の先生も、苦労をしてきたけれど、なんとか自分の生きる道をみつけた人たちだった。何かの才能と、いくらかの運に恵まれていた。同じ苦境に在った人のうち、どちらが多いかはわからないけれど、まっとうに生きる道にたどり着けなかった人もいたはずだ。その人たち、そしてその子孫たちが、さらに苦労の重なる人生を送ったのではないかと思いめぐらすようになったのはごく最近のこと。今、同じ時代の同じ社会を生きている人たちの中で、理不尽な苦労を強いられている人は、元をたどればそんなところから始まっていたのかもしれない。

2019/08/02

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