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僕は彼女の王子様だから 〜小沢健二と岡崎京子〜

1994年、僕はまだ若かったからか、街場のレコード屋や本屋を一日中歩き回っても、全然疲れることがなかった。

その頃レコード屋で出会った一枚のアルバム・・・

小沢健二『LIFE』。

CDだからレコードと違って擦り切れるなんてことはないのだけど、イメージとして「擦り切れるほど」聴いたなあ。 現在の僕だったら「擦り切れるほど」に聴かないだろう。当時の年齢だったからこそ、小沢健二のメッセージが直截に伝わり聴きまくったのだと思う。

『LIFE』は小沢健二の詞や曲も良いが、ドラムスの青木達之(東京スカパラダイスオーケストラ)がタイトに刻むリズムが心地よかった。

その後、邦楽・洋楽を問わず1970年代のロックにはまっていくのだけど、その入口に『LIFE』というアルバムがあったって、今にして強く思う。


時は遥かに流れ、2010年5月。 音楽活動の第一線から離れた小沢健二が、久しぶりにライヴツアーをやることに。 しかも『LIFE』からの曲目が中心のツアーだったそうだ。

東京・中野サンプラザでのライヴのこと。 小沢健二にとって運命的な一人のオーディエンスが会場を訪れていた。

「これいうと泣いちゃうからいいたくないんだけど・・・」

当夜のライヴのエンディングの直前、小沢健二はずっとこらえていた涙を流し、そのオーディエンスを紹介した後、顔を覆ったという。

「岡崎京子が来ています」


当夜のライヴには、客席の最前列にまんが家の岡崎京子がいた。

岡崎京子は車椅子姿だったという。

岡崎京子は、小沢健二がフリッパーズ・ギター在籍中より彼のファンだった。
彼女のまんがを読むと、小沢本人の名前や、小沢をモチーフにした人物がしばしば登場するので、ファンにとってはなじみ深い人物だ。

実際、二人は感性が合ったようで、親しい存在だったという。 音楽、まんがと表現方法は違えど、小沢健二と岡崎京子の間には、同じ表現者として通じ合うものがあったのだろう。

1996年、ご主人と共に散歩の途中だった岡崎京子は突然ひき逃げ事故にあう。 一命は取り留めたが相当の大怪我で、現在もリハビリ中。いまだ執筆活動を再開していない。

事故直後、小沢健二が作家の吉本ばななと一緒に、彼女の病室を見舞った話は有名だ。

吉本ばななによると、小沢健二は「親族以外面会謝絶」のICUに「親族です!」と言って訪問したという。

なぜそこまでしてお見舞いをしたかったか、小沢健二はその場で吉本ばななに理由を告げたという。

「僕は彼女の王子様だから」


僕は、小沢健二と岡崎京子の実際の関係性についてよく知らない。ただ、二人が表現者というカテゴリーを超えて、深い紐帯を結んでいただろうことは、小沢健二の音楽と、岡崎京子のまんがを体験してきたファンにとっては、何となくだけど分かるはずだ。

小沢健二は、音楽的盟友・青木達之を亡くし、岡崎京子は未だ執筆活動を再開できない状況下にある。

そんな中、長い活動休止期間を経て、あえて『LIFE』の曲を中心にライヴツアーを行った小沢健二の英断に、心から敬意を表したい。 彼が英断を下したからこそ、中野サンプラザで岡崎京子との奇蹟的な邂逅が実現したのだから。

そして、さらに時は流れ、2024年。
アルバム『LIFE』の発売日である1994年8月31日から、ちょうど30年後。
2024年8月31日に、日本武道館でアルバム発売30周年ライブが開催される。
当日も、客席に岡崎京子の姿は見られるだろうか?

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