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なんとなくという感性
どんな場合であれ、私は「なんとなく」という言葉が嫌いでした。なぜなら、曖昧な表現だからです。
仕事において、後輩君に資料の作成を任せたときの話です。成果物を見て「なぜこのような記述をしたのか?」と聞くと「なんとなくこう書いた方がいいと思ったので」と返ってきました。
私は『なんとなくってなんだ?』と思いました。こういう理由で、こういう風に書きました!であれば納得できるかもしれませんが、なんとなくで納得することはできません。
問答の結果、彼には彼の考えがあり、
突き詰めると「なるほどね」という内容だったのですが、無駄な時間だよなぁと思いました。考えあっての行動であれば最初からしっかりと理由を述べてほしいです。
そういうわけで、私は「なんとなく」という言葉が嫌いだったのですが
、最近考え方が少しだけ変わりました。
休日に麻雀をしたときのことです。
※麻雀は面白いです。あれほど性格が出るものはありません。語りだすと止まらないため、ここでは割愛します。
その日の私は絶不調で、何をしても負けてしまう、という状況でした。麻雀には流れというものがあり、良いときは良い、だめなときはだめ、なのです。
配牌(最初に配られる手)がボロボロで、門前(何もしない)で攻めるか、鳴いて攻めるかという選択を迫られた際に、私は前者を選択しました。下手に鳴くと防御力が下がるためです。
結果、6巡目で国士無双という役満(ものすごい点数が高い役)に振り込みました。この時思いました。「なんとなく、鳴いて攻めれば良かった」と。
結果論といえばそれまでなのですが、鳴けばツモ順がズレます。ツモ順がズレれば、私が当たり牌を引くことはなかったかもしれません。流れのいい人から鳴けば、私は流れのいい人の牌をツモることができ、振り込むこともありません。
そういうわけで、「なんとなく」という感性も時には大切なのかな、と思いました。※ただ、少なくともビジネスの場では不要かと思います。
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