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来年は手帳を使いこなしてやろうと思っている

飽き性であるぼくが、いままでもっとも続かなかったものが手帳である。

たいした予定もない。予定がはいってもゴルフか飲み会くらい。だからスマフォのアプリで十分であった。むしろ頭で覚えておけるくらいの予定だ。

いままで挫折してきた手帳の数は3冊。

1冊目はポケットサイズ。年末になるとお世話になっている会社が手帳をくれる。これを機に手帳を活用しようとおもった。「1月2日。初詣(仮)」だけ書いておわった。(仮)というのはいく気がない表れだ。当時付き合っていた彼女がいきたいといってきたので、いちおう予定として入れておいた。結局、なにかと理由をつけて断った気が。正月はゆっくり駅伝でもみながらお酒を飲む一択である。

二冊目は3年手帳。自分の思考の変化、成長記録として残しておきたっかった。さいしょは楽しく書いていた。わずか5行くらいの日記を毎日続けていた。3か月ほどたったころ、「晴れだった。暑かった。」「ゴルフいった。酒飲んだ。」としか書かなくなったのでやめてしまった。


三冊目はB5サイズの一般的な手帳だ。気合をいれて予定を書きこもうと思ったけど、あまりの予定のなさにむなしさを感じて挫折した。


こんな過去の持ち主であるが、来年こそは手帳を使いこなしたい。


なぜなら、達成したい目標ができた。その目標を達成するには、リアルに理想を落としこんだほうがいいのではないかと思った。仕事、プライベート、挑戦。それぞれを単体と考えず、すべてをつなげる。目標達成にはそれが必要だと思った。それを形にできるのが手帳だと思った。

手帳はただ予定を書きこむものだけではないと思う。ときには日記として、ときにはメモとして、ときには目標確認として。きっとデキるビジネスパーソンはこういう風に手帳を使いたおしているのだろう。


さっそく来年にむけて手帳を買いにいった。

いつもは即断即決なおとこなのに、めずらしくなよなよしてしまう。それはどういう用途で使いたいか、使いごこちはどうだろうか、といった迷いではなく、「どれなら続くのだろうか」というなんともあさい悩みである。


ついには、本当に買う意味があるのか?買ったところでなにもならないのでは?無駄遣いになるのでは?そう思うとなかなか決まらない。

いつのまにか、どの手帳を買おうかより手帳を買うか買わないかで迷っていた。意を決してレジに並んではもどり、手帳コーナーをグルグル回り。なぜか小説コーナーに吸いこまれ、気づいたら手に持っていたのは手帳ではなく、小説を2冊だった。それでも最後は覚悟を決めてエイっと購入。


さあ、来年の準備がととのった。手帳を使いたおしてやる。もはや手帳を使いこなすことが目標になっていて、手段と目的が入れ替わっているような気がするが気にしない。


とりあえず直近の予定を書き込んだのだが、忘年会と新年会ばかり。はて、どうなることやら。以上。終わり。


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