"This is a pen" を笑うネズミ

"This is a pen"は日本の教育の問題点を象徴している。まずは以下をご覧頂きたい。

仕事でバリバリ英語を使う商社マンが言うんだから間違いないのだろう。実際の会話で"This is a pen"なんてフレーズを使うことは無いのだから、そんなフレーズを学んだってなんの意味もないのだ。こんなboringなphraseをstudyするぐらいなら、actualでpragmaticなpick up linesを教えてくれよ、my honey?とでも続きそうな勢いだ。こんな感じに。



「は?」と思った方が正解である。「お前は"This is a pen"と言うためにThis is a penを習ったのか?」と思ったあなたが正しい。「それじゃあお前は、アメリカ人と商談をするために営業役とクライアント役に別れてスクリプトの暗唱でもするのか?中学校みたいに?」と叫んだ君の勝ちだ。いいぞもっと言ってやれ。

我々は、"そのまんま使うため"に例文を習う訳ではないのだ。そんなこと、人並み程度に英語学習と向き合って来た人にとっては改めて言語化するまでもない常識だろう。

では、なぜ彼らは"This is a pen"を見て「こんなフレーズ使わない」という発想をしてしまうのだろうか。


暗記再生型学習観

彼のような、「それをそのまんま使うために覚える」「なるべくたくさん覚えて、なるべく早く思い出せるようになるのが学習である」という考え方を、教育心理学の世界では暗記再生型学習観と言う。もちろん、れっきとした学術用語であり、研究対象だ。(定義には幅があるようだが…)

これに対して、「表層的な文字の並びではなく、それが表す意味を汲み取ろうとする」「未知の問題に対しては、様々な知識を組み合わせて自分なりの応用を試みる」ような学習観を、理解思考型学習観と言う。

ざっくり言うと、年号を暗記して(時には何月に起こったかまで暗記して)センター試験の時系列整序に対処しようとするのが暗記再生型学習観で、経済原理や権力者の思考様式を理解することで因果関係から時系列を推測するのが理解志向型学習観である。

比較的最近までは、人間の「学習」というものを暗記再生型学習観的に捉える立場が主流だった。このような立場を「行動主義」と言う。行動主義についてよく引用されるのが、スキナー箱という実験だ。

このスキナー箱は、レバーを押すとエサが出る仕組みになっています。ネズミはたまたまレバーを押すことで、エサが手に入った経験を獲得します。これを繰り返し経験することにより、ネズミは意図的にレバーを押すようになります。つまり、たまたまエサが手に入ったというオペランド行動が強化されて、ネズミは絶えずこのオペランド行動をとるようになります。https://tobbyblog.com/?p=1052

つまり、行動主義的学習観によれば、"This is a pen"と言うべき時に言う度に正のフィードバックを得れば、適切なタイミングで"This is a pen"と言えるようになる、という考え方をしている。

これは決してネタではなく、現実に起こっていることだ。家庭教師や個別指導をやったことがある人なら身に覚えがあるはずだ。問題分中に出てくる数字を並べて「48÷6=8」と言い、「どうして?」と言うと「じゃあ48÷8=6」と返すのは、君の教え子だけじゃない。

実際に、少なくとも国際比較においては、アジアの国々の生徒は暗記再生型学習観に寄りがちであり、そのような学習観と親和性のある問題の正答率が高いという事実はある。

念の為に言っておくが、暗記再生型学習が全面的に悪であるという訳ではない。とりわけ英語については、単語を覚えるために暗記再生型の学習をすることは必要だ。(もちろん語源に注目して部分的に理解思考型学習観を援用することはあるが)

しかし、"This is a pen"を見て「こんなフレーズ使わねーよw」と思ってしまう人は、暗記再生型学習観に偏り過ぎているのではないだろうか?

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Googleが育てた最強のネズミ

そんな暗記再生型学習観を極めて、とうとう数十の言語を習得した猛者がいる。そう、AI(自然言語処理)だ。

ビッグデータを用いた自然言語処理は、まさに行動主義的学習/暗記再生型学習/ネズミ的学習の最たる例だ。AIは意味を理解しない。意味を理解しなくとも「これは正解/これは間違い」というフィードバックを、人間にはとても真似することの出来ない回数繰り返すことで、中身は何もわからないんだけどそれっぽい返事ができます、という状態まで進化した。

どのくらいそれっぽいのかは、普段からGoogle翻訳のお世話になっている皆さんに改めて語るまでもないだろう。東大合格を目指したAI「東ロボくん」は、合格点こそ取れなかったものの東大模試の上位3分の1程度には到達した。

東大入試を突破することを目標に、2011年から国立情報学研究所が開発を進めてきた人工知能「東ロボくん」。先のセンター試験模試では5教科で総合偏差値57.1となかなかの成績をマークしたのだが、このままでは東大受験突破は無理と判断、プロジェクトは一旦凍結されることとなった。https://diamond.jp/articles/amp/108460?display=b

ネズミのレースで人類に勝ち目はない。大企業の高額な投資を裏付けとする自然言語処理の技術革新は目覚ましいもので、少しばかり難しい語彙の文章なら、Google翻訳は間違いなく筆者よりうまく訳すだろう。筆者が好きなあの曲も、Google先生にかかれば朝飯前だ。

Let's burn the days spent with you on this chest. It's okay if you don't remember. Even if you someday like someone else, you're much more special and important, and this season is coming.

…うん。どうだろう。まあ、初恋の味も知らない割には、よく訳せているのではないだろうか。

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ペラペラ英語幻想という闇

話を英語学習に戻そう。もう一度、件のツイートを見てみよう。

引用元に注目。

マックの女子高生に拍手喝采が起こるTwitterで、どこまでを事実と受け止めるべきかという話はある。が、それは一旦置こう。このツイートが事実だとしたら、すなわち"This is a pen"が「使わねーよw」と笑われるのに対し、"I'm fine thank you, and you?"が実際に何千何万という日本人に使われるとしたら、それは一体どんな事態を表しているのだろうか。

なんのことはない、スピーキング英語/コミュニケーション英語が、暗記再生型学習観に基づいて実施され、暗記再生型学習観に基づいて機能しているということだ。皆さんも、学校でやったスピーキング学習や、youtubeやSNSに氾濫する英会話tipsを思い返してみて欲しい。そこには確かに、「こんな場面ではこんなフレーズ!」と暗唱を繰り返す、"ネズミ箱"があったはずだ。

「英語ペラペラ」に対する強烈な憧れと、言語学習に関する拙い見識が、英語教育をどのようなものにしようとしているかは、阿部公彦『史上最悪の英語政策』に詳しい。「ペラペラ英語幻想」という造語も、この本から借用した。(https://www.amazon.co.jp/史上最悪の英語政策—ウソだらけの「4技能」看板-阿部公彦/dp/4894769123)

聡明な読者の方々は、"This is a pen"の教育的(文法学習的)意義について、いくらか語ることができるだろう。家庭教師/塾講師経験者なら、実際にこの例文からbe動詞や冠詞、あるいは5文型の話を膨らませた方もいるかもしれない。では、"I'm fine thank you, and you?"からはいかほどの発展があり得ようか?「他の受け応えの例」を挙げることはできても、その裏にある法則の理解に資するような授業展開が思いつくだろうか?

繰り返すようだが、暗記再生型学習観それ事態が悪だということではない。問題は、学習のメカニズムに対する意識の欠落だ。その意識は、学習者に欠落することもあるし、指導者に欠落することもあるし、政策形成者に欠落することもある。本来は、何をもって学習したというのか、学習にはどのような条件が必要なのかを検討したうえで、どのようなトレーニングが有効なのかを考えなければならない。時に暗記再生を援用することもあろうが、「なーんにも考えてないんじゃないの?」と言いたくなるようなシーンが、教育現場には存在するのだ。


では、どうするか

健全な批判精神をお持ちの読者の方々は、この文章が批判ばかりで対案を示せていないことにお気づきだろう。特に、「じゃあどうしたら英語を話せるようになるんだよ」と問い詰められると、英語学習に関する見識の浅さを露呈せざるを得ないだろう。

だが、はっきり言わせてもらうと、残念ながら現在の教育心理学の最前線の知見をもってしても「理解・思考」というもののメカニズムを大して解明できていないというのが、筆者の見解だ。これは、仮にも国内最高峰の教育系大学院の授業で感じた「はだかん」である。せいぜい単元レベルで「この単元は~ができたら”理解した”と言えそうだね~」と言えるレベルである。ではその単元を理解することで何が理解できるのか、と堀り”上げて”いって、「教科の目標」と整合するように理解の体系を構築する日は遠そうだ。


だから当面は、"This is a pen"から始めるしかないのだ。

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