「小さな学校」

近年、学力観の変容が明示的なものとなっている。日本(あるいはアジア)の児童・生徒が答えや解き方が一つに定まる「定型的問題」を解くことに卓越する一方で、解き方が一つに定まらない「非定型的問題」を解くこと、すなわち「概念的理解」において劣後していることが指摘された。知識技能型学習観から理解志向型学習観への転換は学習指導要領においては「主体的・対話的で深い学び」という文言に表れ、教育現場では一斉授業からアクティブラーニングへの転換という形で顕在化している。知識や技能といったものの相対的な重要性が低下している。

より大きな流れとして、そもそもいい成績を取っていい大学に進学するという「学校的な成功」の相対的重要度が低下している。ここ数年でそれが最も鮮明な形で表れたのは、おそらく財界が終身雇用制の維持を実質的に放棄したことだ。より大きな、安定した大企業に就職することが将来を保証しなくなり、「学校的な成功」のゴールのところが崩れてしまった。一方でそれは副業解禁の流れと裏表であり、Uberのような雇われと個人事業主の中間のような労働形態の浸透と相まって、生き方の選択肢を広げたともいえる。初期費用の小さいITビジネスは以前より起業のハードルを下げ、夢を追いやすい社会になったとも言える。問題は、そのような社会で成功するためにそれまでにどのような経験を積めばよいのかが不明瞭だということだ。

新卒採用のプロセスにもこの変化は顕在化している。一部の少数採用の企業(外資系など)では依然として学歴フィルターが残存しているものの、学歴をささやかな指標としてしか用いなくなった企業が多い。それに代わって重要視されるのは、「学生時代に力を入れたこと」のエピソードに表れる就活生の価値観や粘り強さ、対人関係構築能力だ。もちろん、企業がそのような資質を採用において重視するようになったのは今に始まったことではない。しかし、今や警察庁や財務省といった名だたる中央官庁も試験の成績は全く参考にしないと言われ、学生に求められる資質は以前にも増してつかみどころが無くなってきている。

生き方の多様化と、それに応じた求められる資質の多様化・抽象化は、公教育に対して守備範囲を拡大するように求める圧力を形成した。小学校における英語の必修化にはじまり、金融教育やプログラミング教育といった「〇〇教育」の乱発がそれを象徴している。「これからの時代の教員に必要なのは、外部の専門家を学校に招待するための人脈だ」と息巻く人もいる。子どもが身につけるべき資質の多様化に合わせて学校の機能も肥大化させていくというのは、ある意味では自然な思考のようにも思える。しかし、この数年間は学校業務の肥大化が限界を迎えた時代でもあった。公立学校における部活動の外部化が象徴的な出来事だ。業務の肥大化は教員の多忙化を招き、過重労働や授業の質の低下を招いた。国際比較調査は、日本の教師が部活動に時間を奪われるあまり授業準備にほとんど時間を割けていないことを明らかにした。冒頭にも述べた通り「概念的理解」のための高度な授業実践が求められる現代の学校において、副次的な業務を順次外部化していくのは避けられないだろう。

子どもが身につけなければならない能力の幅はほとんど無限大であり、学校がそのすべてをカバーすることは不可能だ。故に私は、生き方が多様化している今だからこそ「小さな学校」を目指すべきだと考える。「小さな学校」とは、学校が生徒の全人格的な成長を一手に担えるという幻想を捨て、生徒の学校外の活動やコミュニティーを尊重する学校のことを想定している。学校外の活動やコミュニティーを重視するというのは、教員が生徒を他校や学外の団体とつなぎ合わせるということではない。自然とそうなるようにそっとしておけばよい。

その際に教員や学校が留意すべき点が2つある。

一つは、「学校でしか得られない能力・経験」に対してはむしろ徹底的なこだわりを持つことだ。教科教育がその中核をなす。残念ながら、受験学力の習得を超えて諸学問の深みに触れつつをれを体系的に学ぶことができる教育機関は、未だ学校の他にないだろう。逆に、簡単な英会話やプログラミングは、さわりだけ体験しようと思えば学外にいくらでも機会がある。また、同世代の(必ずしも相性がいいとは限らない)仲間との共同生活や、部活や生徒会といった組織の主体的運営、あるいはその際の「教員という大人との対立」という経験も、学外では得難いものである。私自身これらの点には特に注力していきたい。

もう一つが、学校内での評価がその人の人格的優劣のほんの一部でしかないことを積極的に伝えることだ。教科教育や一部の課外活動について徹底的にこだわる以上、それらの分野で優れている生徒とそうでない生徒の差が明瞭になってしまうことがあり得る。しかし、学校が育てようとする資質は生徒が身につけるべき資質の一部でしかない以上、その一部の分野で少しばかり周りに遅れをとることを過度に気にする必要はない。中高生にとって学校は生活の大半を占める大きなものだから、彼らは学校での自分の評価を過度に気にしてしまう。そのような息苦しさを取り除いくことが、「小さな学校」の教員に求められる重要な仕事だと考える。

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