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頭が良い人とそうでない人-2
頭が良い人を見ると、羨ましいと思います。
そうでない人を見ても特になにも思いません。
頭が良いということは、言論・思考に適正が高い人
という認識です。
言論に適正が高い方はメディアに多い気がします。
ただ、思考の適正が高くないと、話を聞く気がなくなります。
一般的には、計算が早いとか記憶力が凄いとかも
頭が良い人の範疇だと思いますが、
私の場合、羨ましいとはあまり思いません。
私自身は、どちらも並の下程度ですがww
そう考えると、私は思考能力が高い人になりたいんでしょうね。
そうでない人であっても、他のなにかに適正があると思います。
また、他の人と比べて並の適正しか持たない人でも
幸せになる権利は平等にあるし、
幸せになるのにはなんの支障もないと思っています。
人が生きて、幸せを目指す上で、
何に適正があるか、(無いか)は 実はあまり関係はないんでしょうね。
強いて言えば、自身の適正を見つけられた人は、
幸せになるためのハードルが少し下がる感じですかね。
自身が持つ嗜好が社会的に問題のないものであれば
嗜好に没入することのほうが幸せに近い気がします。
あ
幸福論になってきてしまった・・・
思考に適正がある方の言動は、私の興味をひきます。
私のなりたいものに対しての指標とか参考になるからでしょうね。
こう書くと、自分が向上心が高いように聞こえますが、
はっきり言いいます。
それは間違いです!
だって、向上心が低いという自覚はあますから。
そうか、思考適正が高いと、手抜き・省エネで
楽に世間を渡れると思うから
羨ましいと感じるのかも・・・・・・
ちなみに
私の嗜好は、なにもしないをすることです。
やらなければいけないことを、
やらなきゃ、と思いつつ
ずるずると時間だけが過ぎる状況・・・・
けっこう好きなのかも
(慣れただけかもしれないwww)
大丈夫
それで死んだ人はいない!
たぶん。
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