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アメリカ人研究者 カルチャーショック

40年前のサンフランシスコ郊外のシリコンバレー。
5月の爽やかな季節、
国道「101」をひたすら南下し3時間。

サン・ノン・バウティスタ修道院の庭。
一人のアメリカ人が、花畑を見ていた。

私、
「何を見ているの」
彼、
「ここの修道院はハミングバードで有名なんだ。
会えないかなと、探しているんだ」

それ以来、暫く手紙のやりとりをしていた友人。
J.グレイン。

半導体関連のとある学会へ参加するためにサンフランシスコを訪問。
彼は、ある会社のニューヨーク郊外にあるワトソン研究所の研究者だった。


午前中の学会が一段落して、休憩していた時、
先ほどの花壇で彼を見つけた。

彼は、休日の夜は、JAZZバーでピアノを演奏している。

昼休みの誰もいない修道院の部屋
「Let It Be」
「Yesterday Once More」
ミサ用のピアノで演奏してくれた。

つたない英語で私が歌った。

最高の思い出。


綺麗な恋人の写真も手紙で送ってくれた。
私もお返しに写真を手紙で送った。
メールもSNSもない、
大昔の世界。

アメリアの文化、
アメリカ人研究者の普通の生活に触れた瞬間。

強烈な印象を、私は受けた。
カルチャーショックだった。

私の残業時間は、月100時間を超えていた。

これがアメリカか、
これが自由の国の研究者なんだ、、と。




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