私は我慢強い

小学生の時、自己紹介カードの特技の欄には『我慢すること』と書いた。人にいったらドン引きされた。子供のときはそれが誉められることでこそあれ、おかしいなんて全く思わなかった。

小学生のころ、中学受験のために小学校高学年の夏休みは1日8時間以上勉強した、塾の夏期講習の間じゅう、耳の裏をかきむしり傷が何ヵ月たっても治らなかった。
好きでないピアノを我慢しながら10年続けた。

中学生のころ、辞めたくてしょうがなかったバスケ部を3年続けた、我慢強くて懸垂のタイムが学年女子一位になった。(体力があるんじゃなくて、限界を越えても耐えていただけだ。)

大学生のころ、暴言をはいてくる男性と別れられずに暴力をふるわれるまで2年半も付き合ってしまった。教員にセクハラをされても嫌だと言えなかった。

社会人になり、1社目で入った企業では、毎年のように転居をともなう異動があって、全国各地を飛ばされた。新人の時から辞めたい、と思っていたのに7年も続けてしまった。
2社目で入った企業ではパワハラと激務に耐えていたが、ついに身体と心がついていかなくなってしまった。

今まで我慢強くストレス耐性があるところが、自分の美点であると思い込んでいた。

我慢することで、愛されたかった。
確かに、大人には誉められた。それは扱いやすい子供だったからだろう。愛されるために我慢をしているが、同時に本当の自分は愛されてはいないと薄々気づいていた。

大人になると我慢する人は軽くみられる、なめられる。都合のいい存在になって嫌なことを押し付けられてしまう。
反対にわがままに自由に振る舞っている人の方が周りから大切にされるのだ。自分の意思をもって、のびのび生きている人を見ると気持ちがいいからだろう。

我慢は美徳ではない。我慢した先にはさらなる我慢が待っているだけだよ。キャリアカウンセラーの方にそんなアドバイスをもらった。

我慢して、愛されたかった。我慢して、その先に自由になれると思っていた。

けれど、それは間違いだった。
どうしようもなく人生を間違えていた。

大人になってから自分の鋳型を変えるのは難しい。

嫌な仕事はやらない。家事も適当で、たまにはデリバリーをとる。家の外でも中でも言いたいことを言いたい放題いってゲラゲラ笑って、明るくてゆるい服を着て昼間から野外で酒を飲む。ウクレレを弾きたい。ハワイにいきたい。

やりたいことをとりあえず書き出して、やれそうなことはやってみる。パートナーには我慢せずに、思ったことをいってみる。

悪あがきかもしれないが、この先も自分から逃げることはできない。
少しずつ生きやすくなるように、進んでいくしかない。

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