見出し画像

両翼を背に。巨大ぬいぐるみと一緒に高尾山登頂

はじめに

この記事は、ただの運動嫌いの筆者が、目立つ荷物を背負って仲間と共に低めの山に登っただけの内容です。
あっ、今「そのくらいのことで…」という気持ちが芽生えた人は、こんな有象無象の記事を読んでないで、もっと楽しいことを探してください。

きっかけ。深井選手の怪我

昨年2023年の11月に発表された知らせ。北海道コンサドーレ札幌の深井一希選手が負傷した。右膝前十字靱帯損傷、右膝内側半月板損傷。右膝軟骨損傷。
目の前が真っ暗になるようだった。深井選手が大怪我をするのはこれで5回目だったからだ。
4回目が最後であってほしかった。いくら『不屈の男』でも、こんなのはひどい。あんまりだ。いるかどうかもわからない神様を恨まずにはいられなかった。
前回の怪我から深井選手が復帰するまでを追ったドキュメンタリー番組で、彼は「もう神様は信じない」と語っていたけれど、その気持ちが痛いほどわかった。

そのリリースの直後の試合で、選手たちは
「大丈夫 俺たちも信じてる」
のメッセージが記されたTシャツを、全員で着て現れた。
その光景を見て、勝手に目の前を真っ暗にさせた自分を恥じた。
ここにいる誰ひとりとして、絶望などしてない。みんなが深井選手の復帰を信じているのだ。
深井選手本人も、SNSで
「必ず戻ってきたいと思いますので応援よろしくお願いします。」
と発信した。
深井選手の苦しみも努力もわからない私が、勝手に絶望する権利なんてないと思った。おこがましいとも思った。

そんな一連の動きを受けて、SNSで多くのサポーターたちが使う言葉があった。
「善行を積む」
深井選手は「もう神様を信じない」と云っていたけれど、私たちは見えない力が彼の支えになると考えた。とても自然で素晴らしい考え方だ。
私も何かしようと思ったが、いざ思い立っても何をすればいいのかわからない。悪いことをして生きているわけでもないが、善いことをして生きているわけでもない。善いことってなんだろう。善きサマリア人。

無い知恵を絞って思いついたのは、自分の苦手なことをするということだった。私は昔から運動が苦手だ。サッカーを観るのは好きでも、自分でやることは不可能だ。(たぶん、仲間との連携云々より先に身体の使い方が下手すぎて速攻で怪我する。)
そしてアウトドアも好きではない。noteを開くと、なぜかおすすめにアウトドア関連の記事が出てくる。屋外で料理・食事をする楽しさや、自然を満喫するということがよくわからないまま生きてきた。思うに、楽しさよりも不便さに意識が持っていかれてしまうんだろうな。

話は替わって、10月の終わりに、コンサドーレのクラウドファンディングで選択していた『なまらでっかいおっちゃんこドーレくん』が我が家にやってきた。箱から出すとずしりと重く、持ち上げるのも一苦労だった。

家に来た日のドーレくん。
スタージェスという名前をつけた。
名称として使ってないが。

そして、それらの苦行を組み合わせると……
なまらでっかいおっちゃんこドーレくんを持って登山
を遂行するという結論にたどり着いた。
いいんです。読者のみなさんが1ミリも理解できなくて当然のこと。
そして私もよくわかっている。こんなことをしても、深井選手の怪我が早く治るわけでもなんでもないということを。何かしたい自分を納得させるための手段に過ぎないということ、重々承知している。
山は自宅から目と鼻の先の高尾山。標高は599m。初心者向けの山で申し分ない。(決して、なめて登っていい山というわけではない。)

さて、この決意をしたのが昨年2023年の11月。数ヶ月にわたって準備や訓練をしてきた。

トレーニング

まずはネット通販にて背負子(しょいこ)を購入。こちらの重量が1.5kg、ドーレくんの重さが3.6kgなので、背負うとおよそ5kgほど。
購入した背負子だけではドーレくんを固定することができないので、100均でスーツケース用のベルトなどを数本購入した。

背負うとこんな感じ。

はじめは、近所の河川敷を少し歩いた。ちょっと行って戻ってくるだけで、肩と脚がずいぶん重く感じられた。
それから、徐々に平地での距離を伸ばしていった。
本番の2週間前には、あまり運転したくないような急勾配の坂を休憩なしで登ることができた。自分の成長に感動できた瞬間だった。

初めてドーレくんを背負って、試しに近所を歩いたとき。



フィットネストレーナー

実は(?)、私、ジムに通っている。実践向けのトレーニングより、こちらの効果の方が大きかった気がする。ここのコーチはかなり友好的で親切な方ばかり。私は彼女たちを信頼しているから、練習中の写真を見せて、この計画を話してみた。
「えっ、やばっ。」
いつも穏やかな話し方のコーチの本音が出ていた。
そしてすぐに、有効なトレーニングを教えてくれた。プロの魂を感じた。
重い荷物を背負うとき、どうしても肩に意識がいきがちだが、大事なのは脚。教えてもらったトレーニングを律儀に続けていたら、太ももの周囲のサイズがひと月で3cm減った。嬉しい副産物。
「楽しそうですね。一緒に行きたかったなあ。何時に行くんですか?着いていっていいですか?」
着いて来たがるコーチ。コーチというものは、やはり自分が教えた生徒の成長を見たいものなのだろうか。
一緒に来てほしかった。フィットネストレーナーが来てくれたら心強いことこの上ない。日時を伝えると、
「出勤してますね!」
来れないんかい。残念。

当日の数日前には緊張してうまく眠れなくなるほどだった。
「これだけやってきたのに、できなかったらどうしよう」
という不安があった。生まれてこのかた運動が苦手な私に、自信なんてずっとなかった。
コーチにその気持ちを打ち明けてみた。
「この数ヶ月のぽんぽ子さんのがんばりを、私たちはずっと見てきています。大丈夫ですよ!」
根拠のある励ましをしてくれた。そして、
「一緒に来てくれる友達がいるんでしょう?もっと頼っていいと思います」
いざとなったらドーレくんを背負う役割を交代すれば良い、との考えだった。
そもそもサッカーは11人で戦うスポーツ。ひとりで完結させようとするのはナンセンス。この挑戦をはじめた原点を思い出すようなアドバイスだった。

両翼を背に

数年間音信不通だった実の舎弟が、突然連絡をよこしてきた。最近富士山に登ったというので、急遽助っ人をお願いすることになった。(情報量が多い)

高尾山口駅で仲間と合流。高鳴る胸を押さえて、高尾山1号路に踏み入った。
私の希望で、私の前に先導をひとり、後ろにはドーレくんの装備を確認する人をひとりはいるようにして動いてもらった。実際に何度か固定するベルトがズレてしまったようなので、いてくれてよかった。

友人撮影。とても良い天気だった
赤と黒の12羽の折り鶴を付けた

登りはじめてすぐ、
「まあすごい。これしょっててっぺんまで行くの?」
自称後期高齢者という女性が話しかけてきた。とても気さくでおしゃべりな方だった。
そりゃ気になるよね、こんなの。
その方は、毎日高尾山に登り続け、もう2000回以上は登っているらしい。そういうことを聞くと、自分のやってることはなんてちっぽけなんだろう、と思わざるを得ない。でも、人は人、自分は自分。当初の目的を見失うことはなかった。
少し登ったところで、水分補給をしようと立ち止まると、ご婦人は
「追いついて、抜かしていいからね」
と残して、あっという間に遠ざかって見えなくなってしまった。その後追いつくことはなかった。2000回も山に登ってるんだから、本当は仙人か何かだったのではないかと思う。

それから、自分のペースでどんどん登って行った。
最初に決めたとおり、弱音は吐かなかった。
疲れてきたら、仲間に遠慮せずに「休憩したい」と伝えることができた。

当たり前だけど、道中は色んな人に話しかけられた。
目立つことをやってるのに、見知らぬ人にわかりやすく説明することができずに苦労した。そもそもJリーグを知ってるのか?というところから話さないといけない。同行していた友人が話し上手で助かった。
それでも、話しかけてくる人たちは不思議そう、という以上にみんな笑顔で、善いことをしている気分になった。マスコットは偉大。

それから、私は性格が悪いので、私の後ろから
「えっ!?」
「なにこれ!?」
という間の抜けた声が聞こえてくるたびに愉快で仕方なかった。

日陰は雪が残っていた。

時々舎弟からおやつのドライフルーツをもらったり、友人の冗談で笑ったりしながら、あまりつらい思いをせずに登ることができた。
心配していた、肩や膝の痛みも不思議と出なかった。
米津玄師の『KICK BACK』という歌のPVについて話したときは、笑いすぎて力が入らなくなるほどだった。

高尾山は霊山
ヒトならざる者が混ざっている。

道中のお堂で、深井選手の怪我の完治と、Jリーグの選手全員の無病息災を願ってきた。

山頂に近づくと、道は固まった雪でツルツルになっていた。非常に危険。今回の登山で一番の難関だった。よくみんな転ばずに歩けるな、と思った。
友人が、靴につける滑り止めのアタッチメントを貸してくれて、本当に助かった。これでまったく滑らなくなった。
そんな中、スカートにパンプスで歩いている若い女性がいて非常に驚いた。客観的に考えて、私がでかいぬいぐるみを背負っていること以上に驚きだった。その靴でどうやってここまで来た??

雪は踏み固められ凍って、危険な状態になっていた

ゴール!

登りはじめてから2時間ほどかけ、山頂に到着した。
その時は、額の汗をコンサドーレのタオルマフラーでぬぐうので忙しかった。

加工の下の顔は茹でタコのように真っ赤。
でも、いい笑顔。

上の写真を撮っていると、学生とおぼしき外国人の集団に囲まれ、もの珍しかったのか、
「一緒に写真撮っていい?」
というようなことを英語で訊かれた。突然のことで非常に驚いた。英語話せない私はそんなん「オッケー」って言うしかないじゃん!
ここには載せられないが、そうして見知らぬ外国人集団と写真を撮った。

高尾山の山頂からは、天気が良い日には富士山が見える。
この日は、くっきり見ることができた。
友人や舎弟はあの山に登ったのだ。ここから見える富士山でさえ大きすぎて、私にはあれに登るなんて想像もできない。

奥に見える山が富士山
晴れていたので綺麗に見えた。

今回の挑戦で一番やりたかったこと。
深井選手へのメッセージを掲げて写真を撮ることができた。

撮りたかった写真が撮れた。

腰をおろして、ドーレくんもおろして、しばらく休憩した。お腹が空くと思って、お菓子をたくさん持ってきたけれど、山の上でそこまで食欲はわかないものだった。でも少しは食べた。

おやつはもちろん、白い恋人

下山

山に登ったら下りないといけない。
私の中では挑戦は終わっていたから、もう心に燃える炎みたいなものはなくなっていた。でも、そういう時にこそ気を引き締めないといけない。がんばって下山した。
登りの時に見た、雪でツルツルの道がこわかった。
急な坂では、ガシガシ踏み出して膝に負担をかけないように気をつけた。
帰りはドーレくんを代わってもらおうと決めていたので、友人や舎弟に交代で持ってもらった。
その時はじめて、背負われるドーレくんを見た。

友人に背負われるドーレくん。筆者撮影

帰路

下山したあと、ふもとのおそば屋さんでみんなで食事をした。
大きな荷物があるから、テラス席に座っていいか、お店の人に訊いたら、ドーレくんを見て
「あら、なあに?かわいい!」
と、思わぬ反応をしてくれた。彼女こそかわいかった。
おみやげを見て歩き、別れを惜しみつつ、それぞれの帰路に着いた。感謝と達成感と疲労でいっぱいだった。
私は夫が運転する帰りの車で、夢も見ずにずっと寝ていた。

ともだち

いかれたメンバーその1。
一緒に登ってくれた友達。
山登りをしようと思えたのは彼の存在が大きかった。彼と一緒なら楽しいだろうな、最初にそう思い描けたから。常軌を逸したことに付き合ってくれる人は、本当に貴重な存在だ。
応援してるクラブは違うけれど、私にとって大切な友達だ。
以前は、歳が近い同性だけと友達になれると思っていた時期もあった。今は違う。男性だろうが、女性だろうが、歳が近かろうが、離れていようが、応援してるクラブが同じだろうが、違かろうが、友達になれる人はなれるし、なれない人はなれないものだと思う。

お願い

まずいないとは思うが、私のやったことを真似したいと思った方へ。すぐに実践に移さないで欲しい。
今回のことは、数ヶ月間の訓練の上、富士山踏破者×2名、高尾山毎週登るマン×1名というスペシャルメンバーが付いていたので達成できたこと。
当たり前だけど、最低1回以上は普通に登って下見してください。そして、ひとりでやろうとしないでください。山に慣れてる人に1名以上付いてもらってください。必ずその人の指示に従ってください。
あなたが怪我でもしたら、大好きなマスコットが悲しんじゃうよ。

後日談

舎弟の希望により、高尾山を登り切った次の日にサンリオピューロランドに連れて行かれることに。昨日の今日で。
気が狂ってんのか??
多摩地域満喫しすぎィ!
私にとっては山ですべての力を出し尽くしてきた。朝から疲労はマックス。特に脚。夕方、退場ゲートを通るころには痛みを通り越して、感覚がほぼ消え去り、牛歩でしか進めなくなっていた。その後数日はまともに歩けなかった。
テーマパークなので楽しかったけれども。それ以上に苦痛だった。
同じことをしても、全然疲れない人もいれば、動けないくらいヘトヘトになる人もいる。「喜ぶと思って…」と、相手の同意を取らずに予定を組むってかなりリスキー。私は人の疲労に敏感になろう。痛いほど教訓になる出来事だった。

ウサギのメル氏

これからの目標

ゆくゆくは、大きなぬいぐるみとそのオーナーを募って、これくらいの山を一緒に登ってみたい。
でも、私にはまだその器がないので、今は行動に移すことはできない。山のリスクなどの知識をつけ、もっと身体を強くする必要がある。
私自身が自他共に認めるマイペースな人間なので、もしかしたら、かえって私が仲間として受け入れられないかもしれない。そう考えると、今回は全面的に私の面倒をみてくれる実に貴重な仲間に恵まれたのだなと思う。

おわりに。信じること

『信じる』って、とてもあやふやな行為。
心に反して口先だけで「信じてるよ」と言うことは、信じるとは言わない。心は、いつも誰にも見えない。だから、私は行動で『信じる』という形をつくろうとしたのだと思う。
自分なりに課した試練を乗り越えて、今なら胸を張って言える。
「大丈夫 俺たちも信じてる」

おまけ

ぬいぐるみでない、ドーレくん本人(本鳥?)とデートしたときの記事です。よかったらご覧ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?