クソバカボケカスデス日記
過去の恥ずかしかったことを唐突に思い出すアレ
アレが最近よく起こります。自分が100悪いことがほとんどで心が苦しくなりますね。とくに私は単純なのでさっきまで楽しくてもアレを思い出した瞬間から完全に拗ねてしまいます。どうしたらいいんですか?
1日9999回くらい起こるアレの中には「こんなの覚えてたんだ」と思うくらい昔のものがあったり、細かく覚えていることもあるのでこれは書き残しておいたほうが何かの時(きっと永遠に訪れません)に良いのではないか?と感じたので、いちおう書いておきます。全員刺してやる
母親が抱かれてるとこ見るのすごく気持ち悪い
たぶん小学校中学年くらいの時にお留守番をしていて、父親の押し入れを引っ掻き回して見つけた両親のアルバムを観たことがあります。
そこには新婚旅行?の写真が貼ってあり、なかなか仲良さげな感じでした。今は険悪とまではいかないものの月1くらいで怒鳴り合う2人がニコニコしているのが嬉しくて、帰ってきた両親にアルバムを観たことを話しました。
その時母親が「やぁねぇ」と言ったことが本当に嫌でした。あ、まだアチアチな頃を懐かしむ気持ちあるんだ…私がいなければ離婚するくせに…みたいな気持ちが湧き上がってきて、今考えれば両親のセックスを目撃してしまった時のウエーッて気持ちに相似したものなのかなと思います。
この例はよくインターネットで見たやつを言ってみただけで、そういえば私の両親がセックスをしている様子を見れたことがないですね。
ジェニーちゃん班
私の住んでいた地域の小学校にジェニーちゃん(仮)という女の子が居ました。
小4くらい、その子と近くの席だった時、同じ班の人で掲示物をつくるみたいな授業がありました。今思い出すと席替えと班活動文化はガチャ運に生活が左右されてしまう嫌なシステムですね。
ジェニーちゃん+その友達澤田ちゃん+気の弱い坂くん+私 の班で作業を始めました。前々からこのジェニーちゃんは男子から嫌われていたのですが、一緒に労働みたいなことをしてみてついに原因が分かりました。ジェニーちゃんはただただウザかったのです。
私こんな辛い人生送ってるんです…という前書きしといてウザいなんて言葉使っちゃひどいですが、そう形容したいのです。ジェニーちゃんと澤田ちゃんはペン2本使って太鼓の達人ごっこをしていました。私が注意してもやめてくれません。しょうがないので坂くんと2人で作業していたのですが、ジェニーちゃんはふと我に返ったようで私達に言いました。
「ほら2人ともちゃんとやって!!」
お前だバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!あっちいけ!!!!!!!!!!!!その後ジェニーちゃんは転校しました。お別れの挨拶が終わりばらけた拍手の中男子が「やったー」と言っていて、知っている中で1番最悪のお別れ会でした。澤田ちゃんとは現在同じクラスですが、失恋と酒とゲームの話ばっかりで苦手です。
幼児
幼稚園の年長さんのとき友達と友達の母親と自分の母親の目の前で転んで泣きました。それだけです。なんとも言えない気持ちになります。
画面に話しかける人
私の母はテレビでもスマホでも画面に話しかけます。私は誰かが批判されることも苦手なのであ〜あ、大失敗(笑)もうダメじゃん(笑)という母親の声を聞くのはとてもつらいのです。
それは2人で映画館に行った時にも起こりました。普通の声量で映画にツッコミを入れる私の母。もしかしたら私に話しかけていたのかもしれません。上映後、映画面白かった?と聞く母親を無視していたら、母は不機嫌になりました。駐車場に向かう母をママごめんなさい、ママごめんなさい、と呟きながら早足で追いかけていきます。あと何回思い出したら許してもらえるんでしょうか。
思春期
私の母は機嫌が悪くなると喋らなくなるタイプです。私が話しかけても無視して、車の運転が荒くなり、物を置く音が大きくなり、ため息をつき、時々なにかぶつぶつ言っています。この程度の動機で申し訳ないのですが、私は母親を殺す気でいました。
中学1年生の朝、大きなため息をついた母親を殴りました。その前にも1度隠れて突き飛ばしていました。痛い痛いと言っている母親の髪の毛を掴んで机に頭を打ち付けていると、父親が私を取り押さえました。
私が手を離すと母親はすました顔で勤め先に行きました。父親に組み伏せられて2時間くらい泣きました。これを思い出すと本当に辛くて、あのときはごめんなさいという気持ちでいっぱいになります。
不幸自慢
あなたもオタクなんですね!今度一緒にカラオケ行きましょう!
オタクと遊びに行く際に確認すべき点は1にジャンル、2にメンタルである。
中1のとき、双方オタクらしいねという知識だけの状態で池田ちゃん(仮)とカラオケに行った。池田ちゃんは腐女子であり、これは親友なれるかもナ⁉️✌️😅と思っていた。
なれなかった。モスバーガーで雑談中に「まぁ私の親障害者なんで」と言われ、そうなんですか、の意味で「へえ」と言ったら「やっぱり引いたそんな無理にニコニコして私と付き合わなくてもいいんですよねえ帰りますかもう嫌」と言われた。オメーが誘ったんですわよ。
池田ちゃんはメンタルがクソザコであり、その他にも列挙したいことがたくさんあるのですが、共感性羞恥の都合により割愛しておきます。
メンヘラ連鎖
気が弱い私は小2で既にメンヘラに依存されていた。酒野ちゃん(仮)は私とよく遊んでくれた女子グループにいた女の子である。しかし早熟小2ガールズはいち早く酒野ちゃんの異常性を見抜き、ハブったり陰口を言ったりしていた。
私はそんな酒野ちゃんが可哀想で「一緒に遊ぼう」と声をかけていた。やめろ!!!!女たらし!!!!しかし酒野ちゃんと2人でいると今度は女子グループにハブられてしまうので、どちらとも都合よく遊んでいた。
酒野ちゃんは言った。「私のこと大事ならあいつらと遊ばないでよ」無理なので、ごめんごめんで誤魔化していると今度はグループの女子Aから「なんで酒野と遊ぶわけ?」と言われた。Bからは「空気読めないよね」とのお言葉を頂戴致した。
結局どちらにも嫌われ3学期は孤独でした。酒野ちゃんには中学に上がるまで唇を狙われ続け、Aとは仲直りし、Bにはこの前「久しぶり〜!!」と話しかけられました。メンヘラになった私を見ないでくれたまへ。
まらそんたいかい
小学1年生のとき、マラソン大会がありました。そういう行事恒例の感想を言わされる授業があり、みんなが「よかったです」「たのしかった」と言っている間に私は(かなしかったって言おう)と考えていました。逆張りオタクなので…
しかし、15席前くらいの子が「悔しかったです」と言いました。その感想を先生が褒めたため、その後はみんな「○○位で悔しかったです」の定型文で喋り出しました。
私は「○○位で悲しかったです」と言いました。成績上げたくて悔しいと言う行為って先生にバレバレなのでは?と思ってです。先生は「悲しかった?悔しかったじゃなくて?ダメですね」とおっしゃいました。かなしかったです。
ステレオ
学生なのでクソデカホームセンターなどに行きたいときは親に車で連れて行ってもらいます。「何買うの?」と聞かれるので、Amazonで気になった商品を見たいと答えました。
父親が「お前ってほんとセールに弱いよなぁ」と言ったのが今日ずっと気になっています、たすけて………ついさっきの出来事です。
私はなぜか「女のステレオタイプ」(愚痴は聞いてほしいだけ、ネチネチしてる、などの偏見)に当てはめられるのがすごく苦手なので、くぅ………という感じです いや親相手にコミュニケーションを要求したのが悪かったが!
自業自得系ヒロイン
中学1年生の時、英語のノートを提出しなくてはならない日があって、私は休んでいました。やっていなかったので。
次の日、人が多い廊下であの!!と先生を呼び止め「今からでもこれ提出できますか?」と聞いたら「もう受け取れません」とド正論を頂き少し泣いてしまいました あ…あ…………………おばか…………
この期間は何をされていましたか?
小学校のいつからいつまでだったか、全く不登校の時期がありました。今(中2)は保健室登校の状態なのですが、不登校の頃は10時頃に起きて母親が置いてくれたご飯食べてまとめサイト見て、をベッドの上で完結する人生を送っていました。貯めたお年玉もお菓子とか漫画にどんどん替えていきました。
覚えているのは閉めきったカーテンと黒カビとお菓子のゴミくらいで、どのくらい休んでいたかとかどのくらい外に出たかとかはほぼ覚えていません。たぶん小6の半年間くらいのことだけど、その間に集中力も記憶力もものすごく落ちた気がします。寒い中、担任の先生がプリントをたくさん持って毎月来てくれたことも覚えています。
やっぱこいつのこと嫌いだ
これは思い出ではなく最近あったことのメモですが、母親とまたギスギスし始めました。母は原因不明のイライラも多々あり、そういう場合は物理的に距離を置くことで自衛できていたのですが、一昨日はむりでした。
イライラさせた原因は私が「ドライヤーを使わなかったから」です。もちろん私が風邪をひかないようにという親心からくる説教なのですが、私はまだお風呂に用事があったので後回しにしていました。そうしたら母が不機嫌になりました。どおしてよお
次の日、学校に行きづらくなりました。私は1つにつまづくと全てを投げ出す厄介なタイプです。何事も無かったかのように話しかけてくる母親を意地で無視してまた怒らせました。昨日は殺意がひどくて眠れませんでした。
史上最悪
うわあ思い出した。幼稚園くらい、ダンス教室に通っていた頃、今日どうだった?と母親に聞くのですが全然ダメ。と返されるのです。嫌なので体調が悪いことにして見学していました。嫌なことがあるとすぐ逃げる癖はこの辺からかもしれません。
かいじゅう
珍しく父親の話です。
私の母方の祖母はけっこう早くに亡くなったのですが、葬式の時父親が「おばあちゃん怖かったろ。かいじゅうみたいだったろ」と耳打ちしてきました。実際に私は人見知りであり、祖父母のことを怖がっていたためもうちょい長生きしてくれれば孫らしいことできたなぁと思います。
ママ〜
私が3歳のとき、母が家出しました。最初の記憶です。
(寝る時間になったら帰ってきました)
ママ〜2
小2のとき、不機嫌な母に包丁を見せつけて「自殺するから」と言ったら「すれば」と返されました。
健全故の刃
小学校の部活動で委員長を決める時間がありました。あるよね。美術部ではABの2人が委員長に立候補し、Aが選ばれ、副委員長にはBCの2人が立候補しました。
Cさんのほうが票数は多かったのですが、先生の「委員長にはなりたくないけど副委員長にはなりたいって、なんか違うよね」という一言によりBさんが副委員長になりました。当時は怒られて可哀想としか思いませんでしたが、やさぐれた今考えるとNO.1怖いよなあ、ヘマしてもなんとかなるNO.2になりてえよなあ、自信ない時もあるしなあ、と思います。
下半身不随
幼稚園の頃、友達に「座ろうとした瞬間に高速でイスを引かれるアレ」を、いたずらでやってしまいました。
泣かれてしまったことで頭の中が真っ白になり、必死に自己弁護の言葉を紡ぐ幼稚園児。人を傷つけることで身の終わりを悟るとは愚かです。
父母信仰
小学生にとって両親は全知全能の存在でした。ママお腹すいた、ママ髪の毛むすんで、パパあれ買って、パパあれなに?不登校ともなると尚更信仰は深まり、今のように見下し諦め蔑む対象ではなく怒鳴られようが蔑まれようが両親をずっと見上げていました。
学校に行く行かないで大きく揉めた日の晩、父がヤリイカに当たってひどい下痢を起こしました。数時間前まで私を叱りつけていた全知全能がトイレでうずくまっている。じわじわと絶望が押し寄せてきました。その時がはじめて父は可哀想だから悲しませてはいけない、と考えた時だと思います。
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