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ほぼレズビアンと自認してきた自分が異性の恋人と付き合えている理由

 中学生で同性のことが好きなのだと気が付いてから約10年。悩んだこともあったけれど話せる友人もでき、別れてしまったけれど彼女もでき、共に生きていく相手は女性なのだと思って生きてきた。

 しかし今私が付き合っているのは男性、シスヘテロ男性である。こんな未来想定していなかった。誰より自分が一番驚いているよ。

理由を考えてみた

 考えてみたけれど、人間性、に尽きるんじゃないだろうか。恋人はひたすらに優しいのだ。そして私が苦手とする男性性が少ないのだと思う。

・自分の意思に従わせるために体格差を利用しない
恋人は私よりも25cmほど大きいが、触れてくる手がいつだって優しい。例えば車が来た時に私の体を引き寄せる腕の力の入れ方。末端冷え性の私の指を自分の手で温めようとしてくれる時の包み方。自分の肉体を他者を慈しむために使ってくれる。

欲望を押し付けてこないところも好きだ。同意なしに深く触れてくることはないし、受けにも攻めにも応じてくれる。

・性別で決めつけない
恋人は料理が好きなので、よくご飯を作ってくれる。一緒に作ることもある。一方私は彼の苦手とする片付けをしている。何かをする・しない理由に性別を用いる人が多い中、お互いがしたいことや得手不得手を話し合って決めていけることは本当にありがたい。稀有なことだと思う。

彼の趣味は女性が好むことの多い分野だから、少なからず「男性なのに」という言葉をかけられてきたのかもしれない。自身のことを「女々しいよね」とも言っていたけれど、私はそんな風には形容したくない。好きなものは好きなままでいてほしいし、私はあなたの繊細なところが好きだよ。

 以前同性同士で付き合っていた時に強く感じたのは、性別を意識せずに過ごせることの快適さ。逆に男性といると女性としての振る舞いを求められているのではないか、と息苦しいことが多かった。特に相手が「男性として」振る舞っているとなおさらそう感じた。

 けれど恋人といると、そうしたことから自由になれる気がする。

 自分は恋愛に対等を求めているのだと気が付いた。リードする/される、甘やかす/甘やかされる、ということではなく、話し合いながら、甘えながら甘やかしながら歩んでいきたいのだと。

これからのこと

 大げさに聞こえるかもしれないけれど恋人との出会いは「希望」だった。それまで私は、自分の人生において重要な他者は女性だけだと思っていた。友人であれ恋人であれ心から分かり合える相手は女性であり、男性が私の人生に深く関与してくることはないと思っていた。

 しかし彼と出会って、こんな男性も存在するのだと思いなおすことができた。他人の話に耳を傾けられて、穏やかに過ごすことができる人もいるのだという事実は私にとって大きな発見だった。

 これから自分たちの関係がどうなっていくのかは分からない。彼の人間性に惹かれて付き合っているが、私にとっての恋愛対象は変わらず女性だと感じていて、このまま付き合っていていいのかといつも悩んでいる。

 恋人が注いでくれる感情はきっと「恋」なんだろう。それに対して私のこの感情は何だ、たぶん同じ種類のものではない。大切に思っている、それは確かなんだけれど。そんな状態にいつか破綻が来るのかもしれない。

 それでも。私はあなたと出会えて嬉しい。あなたと恋人になれて嬉しいです。だからもう少し、一緒にいてみませんか。

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