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恋愛はできないけれど一緒に生活をしたいと思う異性の友人について

 超好きな友人がいる。
 彼とは趣味を通して知り合った。毎月開催されている少人数のイベントにお互い参加していて、1度目は離れた席に座っていた。キラキラした目で楽しそうに話す姿が印象的だった。2度目に会った時は近くの席で、少し話した。イベントの帰りに連絡先を聞いて、次の週末にふたりでご飯を食べに行った。

 初めましてだったのに、どちらかと言うと年上の男性は苦手なはずなのに、年齢も性別も忘れて笑い転げた。関西出身だからか、私のボケをひとつ残らず拾ってツッコんでくれる。「名リベロですね」と称えておいた。

 あまりに楽しかったので、原因を考えてみた。まずは笑いのツボとワードセンスが合う。それは相性としか言い表せない気がする。あとは「言わない」言葉が好きなのだと思う。「女性なのに」と言わない。恋バナもしたことがない。ただただ言葉のキャッチボールをして遊んでいる、その時間がとっても好きだ。

 彼と同じクラスにいられたらよかったな、もしくはルームメイトになりたいな、と思った。要するに、毎日会える環境にいたかった。ひたすらだらだらと喋っていたかった。実際会った時は平気で5、6時間話しているんですよね、大人になってからこんな出会いがあるだなんて、思ってもみなかった。世界って広いんだな。

 そこに恋愛感情は1ミリもないのだ。触れたいとも思わない、むしろ恋愛的な雰囲気が無いから心地が良いのだろう。女性性を求められていないし、男性性を求めてもいない。けれど、私は彼に恋人ができたら間違いなく嫉妬するだろう。彼に好きになってもらえることではなくて、彼を好きになれることに。そして彼と人生を歩めることに。

 会って話した後は毎回、この人と一緒に暮らしたい、と思う。この人といられたら、同じ家に帰ってご飯を食べて眠りにつけたら、本当にくだらないことで、ずっと笑っていられるだろうなと思う。けれど、恋愛はできない。

 悔しい。恋愛だけが、一緒にいる方法ではない。それはわかる。でも、私は恋愛をする人間だ。もし彼と暮らせたとして、私に好きな人ができてしまったら?自分はどちらを優先させたいと思うのだろうか。もし彼も恋愛をする人で、私のことを恋人として好きになってくれたら?前の恋人のように、彼の気持ちに応えられないことに耐えられず別れることになるのではないだろうか。

 彼が女性だったら、私がビアンでなかったら。そんな、どうしようもないことまで考えてしまう。

 でもそのくらい、どうにかして、一緒にいられる方法を見つけたいと思ってしまう程度には好きだ。別れの可能性を恐れて何も言い出せないくらい、私の中で大きな存在だ。

 本当はもっとたくさん会いたいけれど、あまり連絡するのも負担かとセーブしている。

 こんなに好きなのに、恋じゃないんだよな。

 どうして好きの種類が存在するんだろうか。私の中で、それはどうしても厳格らしい。

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