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3年振りの日本|これがバブル?

初海外勤務の場合、社内規定で最初の3年間は、休暇帰国はない今思うと厳しいものでした。一度も帰国しないままあっという間に3年が過ぎて、帰国辞令が出ました。通常は本社勤務後は、ベルギー、フランス、シドニー、香港かソウルなどの支社転勤を経験して日本に戻るのは、10年間隔が当時は当たり前でした。まだ独身だった私は、結婚の事も意識してくれた人事だったのかもしれません。

80年代と言えば、未だ国際電話は法外に高く、日々の海外間のコミュニケーションはテレックスでした。

緊急で国際電話するには部長の許可が必要。テレックスも1文字単位で料金がかかるので、英単語も独自の省略文字が多様されていました。例えば「わかった、了解」はnotedの省略でNTD。thank youは、TKSとか。こうした末尾は良いとして本文を如何に簡潔に伝えるかも良いコミュニケーションのトレーニングになったと思います。

今はインターネットでTV会議も無料。いた技術の進化は凄いですね。これからの10年、いや5年はAIの発展と共にライフスタイルが、想像も及ばない変化を遂げるのでしょうね。

しかし、それが自分の意思と無関係で手の届かないコロナワクチン接種のような取捨選択の自由がない押し付けになって欲しくないと思います。

さて帰国は、成田空港からオフィスがあった新宿に直行。闊歩している若者がオシャレでスマートに見えました。3年間過ごしたフォートワースのオシャレといえば、カーボーイハット、ジーパンに大きなバックルついたベルトとカーボーイブーツ。胸元にはボータイ。ネットもない情報隔離に近いテキサスの田舎から3年振りの新宿は、浦島太郎になった気分でした。

帰国した頃は、まだバブル期の余韻が残っていました。忘年会シーズンは、銀座で夜中にタクシーを1時間以上も待つなど今では信じられな光景でした。テキサス帰りの田舎者には、東京の生活が羨ましいというより異常な別世界に映り違和感を感じたのを覚えています。

現在その株価もバブル期高値を更新しているのに、一般生活には何ら恩恵もなく、失われた30年の今の日本は、何が狂っているのでしょうか?

私が入社するまでは、中途採用ばかりで新卒が殆どいなかった営業も3年後には全てが新卒。大学の後輩が3人も入社していたのには驚きでした。

そして、新卒でありながらメーカーの役員レベルに会いながらOEM商品開発の交渉出来る姿に違和感を持ちました。会社の看板でなく等身大の自分で仕事する事を心がけていたので、実力でないイリュージョンの世界だと言い聞かせていました。

入社2年目で本社転勤になり、本社では会長、社長に公私ともどもお世話になり、仕事も順風満帆の中でも何か違うという思いが心の片隅でくすぶっていました。

結婚から転職へと続く

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