お疲れ様です〜
DXとか言葉では働き方改革を言いますが、最新デジタル技術の導入前にそれらを使って自分達がどう生活や仕事の在り方を変えたいかのビジョンがないと全く意味がないと痛感しています。
日本企業にコンサルタントとして入った時に感じた違和感が、社員全てのメールが「お疲れ様です」で始まる事でした。
朝一番清々しくスタートしたいのに、いきなりこの文言が飛び込んで来ると、「未だ疲れてないよ!元気だよ!」とツッコミたくなる自分がいました。
日本はどうもマニュアル化して右に倣えの出る杭は打たれるの社会。同圧と情緒に左右される一面が多いように感じます。メリットは、均一化された質の高い商品やサービス提供に繋がるのかも知れませんが、マニュアルにない事には、頭がフリーズして自己判断で柔軟な対応が出来ない。
礼は欠かせない大切な事ですが、心の入っていない中途半端な挨拶だと如何なものでしょうか?目の前にリアルに相手がいないデジタルツールでのコミュニケーションでは気を付けたいところです。
パンダミックで日本でもリモートワークが受け入れる環境になりました。しかし、リモート呑みよりリアルに勝るものはありません。オンラインで時空を超えて繋がる事が可能になりましたが、空間の共有は出来ません。
Companyという英語はどういう意味?と聞かれると全員間髪なく「会社」と答えられると思います。でも第一義の意味は「仲間」です。その語源のラテン語は、companioでパンを分け合うから仲間。それって日本語で言う「同じ釜の飯を食べた者同士」と全く同じですね。
だからこそ仲間は、空間を共有してナンボの世界。つまり、リアルな付き合いが大前提である事が不可欠。時空を超えて届く電子メール。それを受け取る相手を目の前にせず、お疲れ様と言ったところでどうでしょうか?
若者に「ビジネスは足で稼ぐ事が大切。」と話をすることがあります。便利なデジタルリモートワークの環境になるからこそ忘れたくないベタなアナログ的なコンタクト。
相手の気持ちを思いやること=思いやりであり心配するほどの心配り。「り」がないと心配りは単なる心配ですね。
デジタル化が進めば進むほど忘れたくない「り」です。
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