コーヒーカンタータ
こいびとよ。ぼくはあなたに伝えたい。
つぎのことばを、
フルトヴェングラー ルガーノの「田園」
と
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とかく、クラシック音楽の世界には、常人には理解しがたい単語が多い。
たとえば、
<平均律クラヴィーア曲集>とか、
<ニュルンベルクのマイスタージンガー>
だとか。
はたして、これなんかはどうだろう。
<キリル・コンドラシンの、ハチャトゥリアン 「仮面舞踏会」>
・・・これをきいて、あなたは何を想像するだろう。
お願いだから、一度声に出して読んでみてほしい。その強烈な語感に、圧倒されるはずだ。
まるで、怪獣映画のタイトルのようじゃないか。
「ゴジラ対キングギドラ」も真っ青の。
どんな世界にも、その世界でしか通用しない言葉がある。
料理人、左官屋、医師。
わたしがむかし勤めていた美容室でも、よくこんなことばが飛び交っていた。
「オキシは3%と6%、半々で」
「円錐ロッド、根元のテンション強めで。」
普通のひとには、さっぱり意味がわからないと思う。
さて、話しを戻すと、
<フルトヴェングラー ルガーノの「田園」>
というのは、
指揮者:フルトヴェングラーによる、ベートーヴェン交響曲第六番「田園」の、スイス・ルガーノにおけるライブ録音
となる。
彼の場合、そのほかにも<バイロイトの第九>とか、<ウラニアのエロイカ>なんていうのもある。
この「ルガーノの田園」というのは、数あるフルトヴェングラーの「田園」のなかでも、白眉ものと言われている。
クラシック音楽では、同じ指揮者による同じ曲が、何パターンも存在する。
たとえるなら、長渕剛の「とんぼ」が、オリジナルとライブバージョンがあるように。
有名な指揮者というのは、各地へと招かれ、そこで指揮棒をふる。
それはときに録音され、それに加えてスタジオへも籠った。
そうして、同じ指揮者による、いくつもの「田園」が生まれることとなった。
そのなかでも、この「ルガーノの田園」は、録音、演奏ともに名盤と言われている。
とりわけ冒頭の、薄明のとき、朝靄けぶる田園風景を思わせる、しずかな立ち上がりが美しい。
わたしはこの曲をよく、朝の出勤時間にきいている。
爽やかな空気の中で、小気味よくアスファルトを踏む足取りが、じつに良く合うのだ。
近所の小さな公園で、落ち葉を履いている老人を見たりなんかすると、なおいい。
晴れていればなおさら。
わたしは正直、巨匠・フルトヴェングラーさんには、あまり思い入れはない。
それよりも、どちらかといえば、そう、代々木。
代々木という街は、ほろ苦い失恋の場所であり、べつのときには、昔ながらの喫茶店「TOM」と、そこで読んだ、フルトヴェングラー著「音と言葉」のほうが、思い出深い。
本と場所は、わたしのなかではいつも繋がっている。
その本のことを思い出すときには、それを読んだ場所も思い出す。
セリーヌの「夜の果てへの旅」を読んだのは、巣鴨のビル前の公園広場だったし、
ソール・ベローの「雨の王ヘンダソン」は、メルボルンの図書館前だった。
そして、フルトヴェングラーの「音と言葉」は、代々木の喫茶店「TOM」だった。
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職場のビルの改装により、わたしはいっとき代々木駅へと通った。
そして、その頃からすでに希少となり始めた喫煙場所を求めて、昼休憩になると、久しぶりに眺める代々木駅の周辺を散策していた。
そのとき、「TOM」を見つけたのだ。
外観からしてすでに雰囲気があったが、扉を開けると中はもっとすごかった。
すべてが、茶色。
それも、使い古された職人道具のような古くさい、輝きを帯びた茶色だった。
天井からぽつぽつと吊るされたステンドグラスの照明が、薄暗い店内をぼうっと浮かび上がらせ、ヤニの染みた壁。擦り切れた床板と、艶のある木製のテーブル。網になった背もたれの籐椅子。通りに面した二階の窓側の席だけは、ヨーロッパのカフェテラスを想起させるように、光を浴びている。
驚きを隠せぬまま、半開きの口できょろきょろと店内を見まわしつつも、わたしは空いている席へと座り、コーヒーを注文した。そしてディスクユニオンの袋から、「音と言葉」を取り出して、読み始めたのだ。
本の内容は、いまとなってはあまり覚えていない。そもそもわたしは、記憶力がよくない。いや、人並以下といっていい。一度読んだだけでは、話しの筋などすぐに忘れてしまう。主人公の名前さえ。それはものを書く人間としては致命的な欠陥だと思うが、どちらかといえばいつも、その本の総体としての印象だけを覚えている。つまり、おもしろかったか、おもしろくなかったかの。
「音と言葉」は、おもしろかったといえる。
とくに、ベートーヴェンの章が。たしかフルトヴェングラーは、交響曲第五番「運命」のあの有名な冒頭の主題を引用して、ベートーヴェン自身の作曲の変遷を解き明かしていたように思う。それは、何度も推敲を重ね、無駄なものをそぎ落とし、ようやく完成したという。まるで鍛冶屋が鍛錬した、美しい刀のように。
気がつけば、短い昼休みは、もうすぐ終わりを迎えようとしていた。
わたしは机の上に置かれた伝票を手にとり、何気なくそれを裏返した。
するとそこには、こんな文字が印刷されていた。
コーヒーの何と美味しいことよ!
千のキスより尚甘く
ムスカート酒より尚柔らかい。
コーヒーはやめられない
私に何か下さるというのなら、
どうかコーヒーを贈って下さいな。
(J・S・バッハ コーヒーカンタータより)
そのエスプリの効いた仕掛けに、思わずときが止まった。
それからわたしの心は、春風に吹かれたように軽くなって、それまで読んだ本の内容も、このあとの午後の憂鬱な仕事も吹き飛んで、ただただ心躍り、その言葉を、携帯電話のメモに、必死で写し取ることしか、頭にはなくなっていた。
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