後悔のない過ごし方

何分拙い文章のため、読んでくださる皆さまには大変に申し訳ない思いですが、今回はちょっぴりと真面目なお話を。
いくつかのSNSで、松尾貴史さんのことだったり、日常のあれやこれやについてひっそりと発信をしていますが、なるべくネガティブなことや、心が沈むような投稿は控えて、心がうつむいているときなどは、おとなしくしていようと自分の中でセーブしていたりするところがあります。
もちろん、そういった類の話がよくないということではありません。
自分の性質上の問題で、どちらかというとそちらの方面に傾き易いので、そうなりにくくするためのすこしの心掛けです。
前述のように、元々はネガティブ思考だったのですが(現在微小進行形)、

「ネガティブなことがもし起きたとしてもポジティブに変えていく発想」

という思想。
note初回投稿時にお話をさせていただいた、敬愛する松尾貴史さんから学んで得た、人生においてとても重要な考え方です。
知っているか知らないか、シフトできるかできないか、気付けるか気付けないか、で大きく変わることも知りました。
松尾貴史さんに出逢わなければ、わたしはずっと、ネガティブ過多の思考のまま、ポジティブで広く豊かな考え方で楽しむ、という過ごし方を知らずに、またそれを確信することなく、揺らぎながら、生きていたかもしれません。
松尾貴史さんに出逢えたこと、松尾貴史さんの考え方と生き方に出逢えたことこそが、わたしにとって大変大きな出来事であった、というお話はまた改めてお時間くださいませ。

さて。
きょうは子どもたちが赤ちゃんのときからずっと仲良くしてくれていたお友達が引っ越しをしました。
新しいお家は車で15分ほどのところなので、そう遠く離れてはいません。
「遠いところではないからいつでも会える」
「離れても友達だからまたいつでも会える」
引っ越しを知った日からそう思って、(もしかするとそう思うようにして)過ごしてきました。

しかし、いざ、いつもの部屋のいつもの窓に灯りがないという“いつも”と同じではない風景を目の当たりにすると、とてつもない寂しさに襲われてしまったのです。

一昨日まではあった灯り。
一昨日まではあった洗濯物。
一昨日まで停めてあった車。

昨日、荷造りの最中に会えてすこし話すことができました。
でも改めてまたきょう来るね、といってくれていたので、きのうは、「また明日ね」と今日、たくさん話せると思い、笑顔で手を振りました。

仕事から帰宅して玄関をみると、ドアノブに紙袋が。
もしかすると、と思い連絡すると、やはり彼女でした。
私は仕事で帰宅が遅くなり、彼女が会いにきてくれたのに、会えず仕舞いでした。

今日会えないことがわかっていれば。
昨日がちゃんとした挨拶のタイミングだったとわかっていたら。
もしかすると今日会えないかもしれないから、と昨日に心積もりをして話をしていたら、と。

自分の行動に後悔の念が溢れました。 
たくさん話したかった、たくさん感謝の気持ちを直接伝えたかった、どうして昨日伝えておかなかったのだろう。
彼女たちの存在がとても大きかったことにも気付かされ…。

色々な気持ちと涙が溢れます。
たとえ車で15分の距離でも。
永遠のお別れなんかではないのに。
節目にはきちんとしていたい、たくさんお世話になった友人だから。

彼女にも会えなくて残念だったと言わせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

恐らく、来月中にはまた会えそうだけれど。

しかしながら、今日という時間と同じ瞬間、同じ日は戻らない。
今あるすべてのことに、「当たり前」のことなど存在しないということも知っている。
「絶対」や「100%」や「完璧」などないということも。

「どこで途切れても後悔のない人生」

松尾貴史さんが司会のラジオ番組、「トーキングウィズ松尾堂」を先日聴いていて、胸に刺さったフレーズです。

正しく、そうだと。

いつ、何時、どこでなにがどう起き得るかはだれにも計り知ることなどできない。

だからこそ、「今」の、この「瞬間」も、一分、一秒も大切で無駄には出来ない。
瞳と瞳が重なり合うその一瞬も。 

これまで、こころの片隅にそういった考えを持ちながら過ごしてきた。
しかし、新型コロナウィルスが騒がれ始めてからは、特に強くそのことを噛みしめるようになった。

一ヶ月ほど前だっただろうか。
普段は松尾貴史さんの夢をよく見る私がこんな夢を見た。

「会いたい人に会えない、会いたくても会えない、コロナってそんな時代やねんで」

誰に言われて、どのような設定の夢だったのかを覚えていないのだけれど、その言葉を聞いたわたしは愕然として、号泣し、座っていた椅子から崩れ落ちた。 
自分が作り出した夢の中で。
そしてはっと恐ろしくなり真夜中に目が覚めたことを鮮明に覚えている。
夢ではあるけれども、現実の世界はそうであり、またはそういった傾向にもある。
未知のウイルスにどう対処していくか世界中が手探りで、医療従事者の皆さまには、感謝の気持ちで一杯になると同時に、色々な情報を得ていくと、気をつけなければならない感染症であることは確かだろうと思う。
ただ、必要以上に恐れずに、不安がすこしでも拭い去られるよう、検査が拡充し進んで、適切な対応を願うばかりだ。

人と人との出逢い、大切な人との時間、その一瞬一瞬、全ての出来事が生きていく中で、貴重な財産であること。
思ったことを後悔のないように行動に移すこと。
これからもそれらをさらにこれまで以上に大切にして過ごして生きよう、そう感じた一日であった。

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